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私の手帳の定義

実は、先日、Thredsに私の手帳の定義をアップしてみたところ、同意してくださった方がいらしたので、ここにも書いておきたい。

まず、それを書くきっかけ

この定義を書いたきっかけは、あるニュースサイトのタイトルである。そのタイトルとは、
予定とやることリストだけ書けばよい手帳
というものだった。

私には不思議なタイトルで???が頭の中に。もちろん、クリックしなかった。記事を読んでもあまり価値を感じなさそうだったので。
なぜなら、私にとって手帳とは「予定とやることリスト」を書くものであって、なんの不思議もないタイトルだったから。

ほぼ日手帳の登場で変わった手帳という概念

手帳の概念が変わったのは、ほぼ日手帳の登場だろうと思う。これによって、手帳(私の定義ではないが)ユーザーの裾野が大幅に広がったのは間違いないし、概念が変わっただろう。それによって手帳の新しい市場が作られたことは否定しない。

しかし、ほぼ日手帳のほとんどの使い方はこれまでの手帳の使い方とは違った。手帳は記録を取るもの、ログを作るものという概念である。

私の手帳の定義

しかし、私の手帳の定義は、昔からある定義だと考えている。手帳は記録を取るよりも、予定と行動を管理するものと定義している。
だから、先ほどのニュースサイトのタイトルは当然すぎるのである。

記録という意味まで広がった手帳の概念は、利用の裾野を広げたことは先ほど述べた。が、一方で、この概念の広がりが手帳を手にする壁を高くしてしまった気もする。また、夢を実現するといった概念やライフハック的な概念、こうすると自分の思う人になれるという自己啓発的概念まで入ってきて、アナログ手帳への回帰の門をさらに狭くしたようにも思ったりする。
私はそんなこと、できませんので。。。
と。

ほぼ日を含めた手帳に対する私の定義

ほぼ日を含めて、「記録を取る」という意味での手帳は私の定義では「手帳」ではない。ノートである。雑記帳と呼んでもいい。日々の記録に限定するなら、それは日記である。私の手帳の定義では、ほぼ日は手帳ではなく、ほぼ日ノートである。

ただ、Threadsでいただいたコメントでほぼ日ウィークスが言及されていたのだが、あれは、いわゆるレフト式のウィークリーフォーマットの手帳である。記録を前提としていないと私はとらえている。

まとめてみると、私の定義では「手帳は未来を見るもの」で、「ノートや日記は過去を記録するもの」ということになる。

誤解を受けないように追加の説明

誤解を受けないように2つの点を追加しておきたい。

ひとつは、あくまでもこの定義は私が考えていることで一般論ではないということ。誰かに押し付けるものではない。

もうひとつは、物理的形状や商品の名前、その商品が含まれるカテゴリと私の定義は関係ない。たとえば、システム手帳と呼ばれる物理的形状は手帳にもなり得るし、ノートにもなりえる。綴じ手帳でも同じだし、ツバメノートでスケジュール管理、タスク管理するなら、それは手帳である。

結果、使い方で定義が変わるということである。
となると、いわゆるレフト式や月間ブロック+メモページという構成の手帳類は「手帳であり、かつノートでもある」ということになる。

最後に

こんな定義は使う上ではどうでもいいのである(笑)。この文章の元も子もない爆。
ノートも手帳も類似の技術で作られているし、楽しく使えれば、便利に使えれば、それでいいのである。

誰かのまねではなくーもちろん使い方などを参考にするのはいいだろうー、自分としてどう使うかということを考えて行けばいい。それが私の定義でいう手帳なのかどうかということは別にどっちでもいい。とはいえ、最後に言いたいのは、この文章で頭がすっきりしてくれる人がいたということに感謝したいのである。

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