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21.06.16 恋しい東南アジア ベトナム⑫ やっと最終章


恋しい東南アジア ベトナム全編

それから僕はあのよくわからない薬を毎日しっかり飲みました。

悪くなることは決してなかったけれど、良くなっているのかどうかは正直よくわかりませんでした。

そうこうしているうちに、最終日になりました。

お別れの式で、なぜか韓国料理の弁当を食べ、昼間から皆踊り狂って、SNSやアドレスを交換しました。

次の日の早朝6時に部屋を出て空港に向かいました。昨晩は遅れないように次の日の服を着てそのまま寝たのを覚えています。

水しか出ないシャワーも、コンセントの届かない扇風機も、窓枠のゴキブリの死骸や、カビ臭いベット、もう全てが名残おしいです。


わざわざ早起きをして、飛行機を乗る直前まで見送ってくれた現地の学生たち。
彼らは賢くて優しくて、ベトナムはいつか日本をすぐ追い越してしまうだろうと思いました。


ずっと一緒に行動を共にしていた台湾の学生は台湾をもっと身近に感じさせてくれました。
他人のことを必要以上に気にしないのに、いざという時に彼らはいつも助けてくれました。
そういえば、一度食堂の水が腐っていて、日本語の話せる台湾の学生が日本の学生の触るテーブルを一つずつ回ってそのことを教えてくれたこともありました。  



そして、同じ大学なのにベトナムで初めて顔を合わせた日本の学生たちは、皆とても柔らかく話すのに、驚くほど精神と肉体が強く、圧倒されっぱなしでとても尊敬しています。

ルームメイトの彼女は、ベトナムに行く間際に友達になり始め、ベトナムで本当に友達になることができたように思います。彼女がいなかったら僕は多分途中で脱走していたかもしれません。


世界がこんなことになるなんて、あの時は想像もつきませんでした。けれど、僕は皆がこの先どうやって生きていくのかずっと見ていたいのです。


出発2ヶ月前に思いつきで参加したベトナムでこんなにも沢山のことがあるなんて。
文章にしてみてさらにそのことを実感しました。


あの死んだような大学3年生の僕は、
ベトナムで本当に死にそうになったけれど、
もしベトナムに行っていなかったら自室のベッドの上で天井を見ているだけで夏休みが終わっていたかもしれません。


暑さには滅法弱くて、これからはもう暑い国には行かないと思います。
  

 

けれど東南アジアが大好きなのです。





P.S.お願いがあります。
僕が東南アジアに行ってくると言ったら全力で止めてください。


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