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東大阪 アンダー ザ ブリッジ

今から10年ほど前、実家に兄夫婦が同居することになったタイミングで、家を出ることにした。

はじめての一人暮らしに選んだ場所は、実家からそう遠くない、東大阪のディープタウンと名高いエリア。近鉄電車が通る高架の近くだった。

ベランダを開けるとすぐ横にゴミ捨て場があって、身を乗り出すと、ルール無用に捨てられたゴミの山と、ヤクザの事務所が見える。

そんな部屋。

ユニットバスの中央に備え付けられた洗面台は絶妙に使いにくい蛇口の形状で、顔を洗うときにどうしても服がびしょびしょになるから、朝起きたらまず全裸になって顔を洗っていた。

トイレの便器は壁と極端に近く、座ると右半身は壁にベタ付きの状態。トイレットペーパーの位置は極端に遠く、バック駐車をする姿勢で手を伸ばすという排泄スタイルだった。

水まわりに難はあったけど、こじんまりとしたワンルームは、はじめての一人暮らしにふさわしい、自分らしい空間で、毎日鍵をあけて帰って来るたびに、「私の部屋…」という高揚感につつまれた。

当時好きだった人が部屋に遊びにきて、お鍋をつくって2人で食べたあの時間を思い出すと、いわゆるエモい気持ちになる。

自分の生活空間に、好きな人が存在するだけで人生のピークを何度もむかえた気がする。

「食器のチョイスが実家っぽいな」と鋭い指摘をされたこと。

本棚を見ながら「僕もときめきトゥナイト好きや」と細めた目。

靴下の先にちょっと穴あいてるのを足の指をぎゅってしてごまかしてたこと。(でもバレてたこと)

ひとつひとつの出来事が鮮明に思い出されて、あの部屋での暮らしは感動的にデフォルメされる。

朝起きて全裸で顔を洗って、近鉄電車が走る音を聞きながら化粧をして、狭いクローゼットから服を選んで朝ごはんを食べるというあの動作を、今でも唐突に思い出しては、人生の分岐点として刻んでいる。

一人暮らしをはじめた当初は、新卒で入った広告制作会社を辞めてしばらくした頃で、バイトをしたりフリーのライターをしたりしていた。

近くにハローワークがあってたまに行っていたけど、道路をはさんで向こう側にあったパチンコ屋にドアtoドアで入っていくおじさんを何度も見て、ハローワークに行くことはやめた。

お金もなく将来の不安を抱えた日々だったけど、「なんとか1人で生活している」というプライドのようなものが自分を支えていたと思う。


ディープタウンでの暮らしは、ひとたび外に出ると、4日にいっぺんくらい腰ぬかす出来事があった。

マンションの近くにあったサウナには“ムームー”と呼称されるサウナ専用のワンピースがあって、近所のおばさんがそれを普段着として街を歩いていた。

青い空と青い海、デカいヤシの木とハイビスカスが全面にプリントされている、ハワイを全力でイジってるようなデザインのムームーで、いつも私を目覚まさせてくれて、おおきに。

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雨の日にキャベツの葉を頭に乗せてるおじさんもいたし、駅前のベンチをリビングにして賭け将棋に興じるグループもいた。

大声でやしきたかじんの「あんた」を歌うおじさんに、遠くから合いの手を入れるおばさん。その合いの手に応えるまた別のおじさん。

真冬に膨らませたシャチの浮き輪を持って駅の改札に入って行くお兄さん。

あの街では、それぞれが好きなように過ごしていたし、誰も誰かを咎めなかった。ちょっと変な人たちがいるというのを全員が許容していて、めちゃくちゃ優しくていい街やったな。

また住みたいかと言われるとちょっと考えさせてほしいけど。


#はじめて借りたあの部屋