金のかからない信仰-家でお経よむ⑤、まとめ

続きもの⑤です。過去記事は最下に。

今回はまとめ的なことを書きます。

かの銃撃事件と献金問題をきっかけに、手持ちの書籍を引っ張り出して読経して、関連書籍、Web記事を読み漁りました。

これは久々に来た第5次仏教ブームで、
今回は、教義、お経の内容の他、信仰とは何か、それは必要かを考えました。

結論。
信仰、あった方がいいです。少なくとも自分には。


懺悔文の貪瞋痴(むさぼり、いかり、おろかさ)、十善戒の盗むな、悪口いうな等のやっちゃいかんことを確認する。今更ながら。
⇒道徳感の醸成

自分、至らんわ。未熟だわ。人間できてねー。と自己を見つめる。
⇒内省

ダメ人間でも信心起こせばなんとかなるらしい。
⇒救済への希望、向上心の維持

どんな悪人だよ。

そのほかの学び

一方的に慈悲を垂れ、救済してくれる仏の存在
⇒存在の究極形態は慈悲。

自分だけでなく他者、世の中全体の幸福も祈ること(利他)
⇒もうすこし、他人のことを考えよう。自分。


以上、平たく書きましたが、お経やその解説文からの学びは多いです。
まさに自己啓発。
寺にもいかず、仏壇もなく、仏は妄想設定(もはや概念)の気まぐれ読経ですが、けっこうまじめに取り組んでいるつもりです(自画自賛)。
そして、思考を止める、時には手放しで委ねる行為は、考えすぎのめんどくさい系の人が、楽に生きる術となると思っています。

以上、金のかからない信仰でした。

何かの宗教に勧誘されたら合掌して不動明王真言唱えて立ち去ることにします。




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