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「そんなことやってる時間があるならこのくらいやっておきなさいよ」とかいう理不尽の塊

どうも。お久しぶりです。

論文の締切や今週分の配信時間が差し迫っているのにも関わらず、モルカーを全話見直したり、この note を書いているおまいうな ASTRAY です。

さて、そんな表題の件ですが、自戒を込めて書いていければと思います。
結論から書くと「正論」ではあるのですが、それが他者の決定に対して「押しつけ」になってしまう可能性があるということを書いていきます。

時間は有限である

この note を書いている時間で、僕はどれほどのことが出来たでしょうか。締切が差し迫った論文の1ページ分くらいの文量は書いたかもしれません。講習会でも受けてれば、一回分位の講習を受けられていたかもしれません。「こんなことなら論文を書き始めればよかった」と後悔することもあるでしょう。現に後悔しています。

このように時間は有限ですし、人によっては行動の1つが人生に大きく作用するかもしれません。でも、人生はやりたいこと、やらなくてはいけないことだらけ。1つのことに集中してやるだなんてそんなの甘え!立派な社会人なら分別をつけなさい!と、そんなこんなでよく言われる対処法としては「優先順位」をつけることがあげられます。仮に表題の通りに時間に重みをつけて順位をつけるとするならば、現在の僕の場合ですと論文の締切は今日から4日後、配信は明日。となっています。ということは最初に書いたタスクに「優先順位」をつけるなら…

1.明日、配信をできるように準備
2.論文の執筆
3.note の執筆(締切は無し)
4.amazon prime video でPUIPUIモルカーを視聴する

となります。これどおりに進められたらどれだけ素晴らしいでしょうか。ね。本当に。

「そんなことやってる時間あるなら…」の正義感

冒頭でも書いたように僕はモルカーを全話見直しました

「モルカー見てる時間あるなら論文書いとけや」と僕自身思います。しかしながら、モルカーを再視聴することは新社会人として過ごす間に荒みきった心を癒やす上での無くてはならない処方箋です。No PUIPUI No Life.

「時間」に重みをつけて考えるとたしかに今モルカーを視聴することは最適解ではありませんが「心の安寧」を重みにつけるとするなら最優先事項は火を見るより明らかです。

そのため「モルカー見てる時間あるなら〜」というのは時間に比重を置いた「正論」であるということを認識する必要があります。と同時に「心の安寧」に比重を置いた意見を否定し、その意見を正当化しようとしているということも認知しなければいけません。

「この機能はいらんからこの機能作れや」

僕はたまに人のタスク解消方法について「こうした方が効率がいいんじゃないか」と思うことがあります。

それが共同作業で、僕は先に進みたい…でももう一人が出来ていないかつ効率が悪い方法で作業している。そんな時には「そんなことよりこっちをやったほうがいいでしょ」みたいなことを言ってしまうことが多々有ります。

これは、恐らくサービスに対して何か言うときも同様のことが言えるかもしれません。より良くしたいという思いが強すぎるあまりにツイッター等で

「Aの機能を良くしているくらいならBの機能を付け足せよ」
「ツイッターなんてしてないでもっと業務に勤しんで!」

といった形で表出してしまうことがあると思います。この書き方は上述したように「より優れた意見はこちらである」と言っていると捉えられかねません。これは失念しがちですが、相手も傷つけてしまうことになりかねないということになります。

「愛ゆえに」

さて、正論だの最適解だの書いてまいりましたが、相手を傷つけたいがためでは無い限りそれらは、「愛ゆえに」行ってしまうことだと思われます。

わざわざそんな発言を表に出しているのは、その者に対しての愛があるからこそだ、ということです。可愛い子には旅をさせよ。獅子の子落とし。慣用句の様に。

しかし、その愛は受け取るものが受け取る態勢が取れていなければ意味がありません。その愛は通じる時に投げなくては意味をなしません。その愛は相手の状況をおもんばかっていますでしょうか?

今一度、考えていきたいものです。

おわりに

正論や正義感がひしめくこの社会で個人の思想、表現、言論は自由であるとされています。だからこそ、絶え間なくディスカッションやお気持ち表明が行われるのかもしれません。その結果、傷つく人が出ているのはある種仕方のないこととも言えます。ただ、そのメッセージを送る前に今一度考えられる余裕を持っていたいものです。

ということで、僕はこれから三度目のモルカーを視聴します。

それでは。


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