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伝説のオーバーヘッドを決めた左足の魔術師 リバウド

特徴・プレースタイル

世界屈指のテクニックや決定力を持ち「レフティーモンスター」、「左足の魔術師」と呼ばれています。

1999年には世界最優秀選手と欧州最優秀選手に選ばれ2002年FIFAワールドカップではロナウド、ロナウジーニョと共に3Rと呼ばれる世界屈指の攻撃陣でブラジルの優勝に貢献した選手となります。

185cmと大柄な選手でいながらボールタッチが柔らかで、正確。

フィジカルコンタクトにも強く多少の当たりではバランスを崩さず強引にドリブルで突破しゴールを決めるプレーも多い選手でした。

スルーパスで味方のゴールを演出するだけでなく、得点力も高くパスやシュートとワンプレーで試合の流れを変え、そして1人で試合を決める能力を持った選手でもあります。

フリーキックの精度も高く、距離の離れた位置でもゴールの隅を正確に射貫くキック力を持っています。

低く威力のあるミドルは振りも速く相手DFが足を出す前に振り抜くことができます。

パスセンス、ドリブル、シュートと全てを高い水準で備えておりセカンドトップに必要な要素を全て備えたブラジルのレジェンドプレイヤーとなります。

話はそれるが、少年時代のリバウドは家計が非常に苦しくユース時代にはバス代を節約するために19キロも離れた練習場まで歩いて通った。 また栄養失調からプロになり初めてステーキを食べた時に歯が抜け落ち、入れ歯になってしまった。
デポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍をする前にヴェルディ川崎(現在は東京ヴェルディ1969)から500万ドルのオファーが届いていた。F1レーサーのアイルトン・セナが 自分のアイドルだったと語っている。

経歴

パルメイラスでの活躍を経てスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍初年度にも関わらず46試合で21得点という好成績を残し、移籍をしたロナウドの後釜としてFCバルセロナへと移籍をした。

1997-98、1998-99シーズンでのリーグ連覇に貢献し1998-99シーズンにはバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞した。

00-01シーズンから背番号が11から「10」になり、スター選手であるルイス・フィーゴがライバル関係にあるレアル・マドリードへ移籍したため、リバウドが真のエースとなった。

また2001-02シーズンではパトリック・クライファート・ハビエル・サビオラと共にトリデンテ(三椏の矛)とよばれるトリオを形成し、強烈な攻撃を披露していた。

ルイ・ファン・ハール監督との折り合いが悪く、2002-03シーズンからファン・ハールがバルセロナの監督を再び就任することになると、2002年にACミランへ移籍した。だが、イタリアのプレースタイルに馴染めず、更に自身の離婚問題でコンディションを崩し出場機会に恵まれず、2003年に退団した。

その後ギリシャのオリンピアコスFCに移籍。リーグの得点王になるなど中心選手としてリーグ3連覇に貢献したが、2006-07シーズンオフに契約交渉が決裂し退団。ブラジルに帰国する予定であったが、家族がギリシャに残ることを希望したため、退団して2週間後にオリンピアコスのライバルであるAEKアテネFCと2年契約を結ぶ。しかし、またもチームと軋轢が生じ、2008年8月29日、ウズベキスタンリーグ1部のFCブニョドコルと2年契約を結んだことがAEKアテネより発表された。その後、クラブでは2連覇に貢献し、特に2009年シーズンにはリーグ得点王にも輝いた。

2010年8月にブニョドコルとの契約を解除して退団した。その後、自身のツィッター上において、2011年にリバウド自身が会長を務めるモジミリンECで現役生活を再開することを発表した。

しかし、2011年1月23日にサンパウロFCへのレンタル移籍が発表された。それからカブスコルプSCド・パランカと契約を結んだ。そして2012-13シーズンからは、ADサンカエターノと1年契約で移籍し、2013年2月9日、移籍後初ゴールをあげた。

2014年3月15日、自身のインスタグラム内で現役引退を発表したが、2015年6月ブラジル2部で最下位に低迷するモジミリンECを救うために現役復帰を表明、7月7日ナウチコ戦で現役復帰後7月14日のマカエ戦では息子のリバウドJr (ヒバウド・ジュニオール、リバウジーニョとも) と親子揃って先発出場し、ともに得点をあげた。翌8月に再び現役引退を発表。

バレンシア戦でのハットトリック

バルセロナ所属時の2000-01シーズンリーガ最終節、勝利した方が翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場(4位)となるバレンシアCF戦で、リバウドはチームの全得点となるハットトリックを記録し勝利に導いた。1点目は前半3分、バレンシアの壁を僅かに掠めてネットに突き刺さったフリーキック。2点目は前半ロスタイムに、得意の強烈な低い弾道のミドルシュートでゴールを奪った。

そして3点目は、2対2の同点のまま、後半43分と残り時間はわずかとなり、引き分けならバレンシアがチャンピオンズリーグに出場するという状況であった。ペナルティエリア外にいたリバウドは、後方からのフランク・デ・ブールの浮き球のパスを「ゴールを背にしたまま胸でトラップすると、左足のオーバーヘッドキックを放ち」それを一挙動で行った。ゴールキーパーのサンティアゴ・カニサレスは、アウトカーブがかかったこのシュートを止められず、ゴール右下隅に突き刺さった。

スタンドで観戦していた当時のジョアン・ガスパール会長が珍しく狂喜乱舞し、試合が終了するとカンプ・ノウの観客は興奮のあまりピッチに崩れ込んだ。ルイス・エンリケに「あれはキャプテン翼でしか表現できないプレーだよ」、メディアからも「キャプテン翼は実在した」と評された。2001年から『キャプテン翼 ROAD TO 2002』が連載されるとリバウドをモデルにしたFCバルセロナとブラジル代表の10番・リバウールが登場し、上記のゴールシーンもリバウールの必殺技「ハイジャンピングボレー」として誌上で再現されている。


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