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不思議なペット“リヴリー”の思い出 『Livly Island』サービス終了によせて

広く見れば自分にとってインターネットにおける初期体験の一つだった『Livly Island』(リヴリーアイランド)が、2019年12月26日をもって運営サービスを終了した。気づいたのは数日経ってからだった。

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『Livly Island』は、中世ヨーロッパで錬金術師たちが密かに生み出した架空の生き物を、日本在住の独学生物学者・ミュラー博士が現代に蘇らせ「リヴリー」と名付けたという世界観のもと、博士が作った箱庭的な人工島「アイランド」でリヴリーを飼育する育成系コミュニケーションサイトである。

リヴリーたちはさまざまな動物をモチーフとした、どこか奇妙で愛らしい姿をしている。ユーザーは餌となるムシの与え方を工夫して自分好みの色や大きさに調整し、リヴリーの装飾品や島のカスタムなどで個性を出した。そのリヴリーを散歩させる形で、他のユーザーの島や、ユーザーたちが集まるパークに出かけて、チャットを行うなどしてコミュニケーションを楽しんだ。

16年もの歴史の中で、PC、携帯電話、スマートフォン、ニンテンドーDSと展開しているが、自分が遊んでいたのはもっぱらPC向けのWebブラウザ版で、期間としてはおそらく2004年から2005年ごろの約2年である。初期に飼っていたのはクラゲのような姿の「ゲッコウヤグラ」、カエルのような「アメノヒグラシ」、ゾウと恐竜をミックスしたような「ジュラファント」だったような記憶がある。

この頃に飼えるのは1つのIDにつき1匹。リヴリーは空腹が限界を超えたりモンスター(ハチやクモ、カマキリなど)から受けたダメージが蓄積したりすると死亡してしまうため、1度は空腹で、1度は無茶な戦闘で「お墓」を作ってしまった苦い経験がある。戦闘はともかくとして、今ほどPCを触る習慣がなかった当時、空腹は「たまごっち」以上の大敵だった。散歩でやって来た親切なユーザーたちに助けてもらい、彼らの島の掲示板にお礼の書き込みをしに行ったことが何度あっただろう。

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そんなライトユーザーな時期に何種類かのレアなリヴリーを見かけることがあった。後ろ足で跳ね少し高貴な雰囲気もある鳥の「ムシチョウ」、カンガルーのような「スナイロユンク」、長い体毛・左右に生えるねじれた角・つぶらな瞳が特徴の「ユキムグリ」などの限定リヴリーだ。中でも高レベルのユキムグリに強烈な憧れを抱き、その島をブックマークしていたことを覚えている。

これらの希少種を飼うには、月額制のパスポート所有者のみが入場できる巨大なアミューズ施設「G.L.L(Great Livly Land)」でネオベルミンという変身薬を使ったり、クリスマスなどの季節イベント期間に変身させたり、飼い直したりする必要があった。リヴリーのレベルを上げると一時的に他の種類に変身する技を使えるようになるのだが、仮初の姿ではなくオリジナルでありたいという一心でパスポート購入に踏み切った。WebMoneyを初めて購入したのもおそらくこの時だ。(後にG.L.L城で肖像画を探すイベントか何かでスナイロユンク絵柄のオリジナルWebMoneyカードが当たった時は迷わず「G.L.L」パスポートを購入した)

この頃から『Livly Island』に夢中になり、飼っていたリヴリーを「イッカクフェレル」「ホオベニムクチョウ」「ミミマキムクネ」などの限定種に次々と変身させていくようになる。また、「ヘンプクジンチョウ」というブタ×コウモリの姿をしたリヴリーを愛する巨大チーム「ヘンプク同盟」に所属し、担当を買って出るなど、積極的にコミュニケーションを楽しむようになった。dd撒きやクイズ大会、鬼ごっこをはじめ、チーム関係なく、その場で集まった人たちで技を使った遊びを考える楽しみ方はインターネット体験として新鮮だった。(dd=リヴリーが排泄する宝石,doodoo<お金>の略)

リヴリーを介した交流にはスタッフによる管理リヴリーが参加することもあり、それまで触れてきた掲示板やチャット以上のインタラクティブ性が魅力だったように思う。公式ガイドブックまで買っていたのだから、今振り返ってみても相当楽しんでいたことは想像に難くない。

ちなみに、2009年10月には利用登録者数100万人を達成したらしいが、この本が出た当時は35万人だったようだ。

リヴリー熱のピークは、2005年の春にKiss-FM KOBEとのコラボパーク「Kiss Livly スタジオ」が展開された頃かもしれない。ラジオ局とのコラボということで、パークには大型のラジオが設置され、自分の島にもミニラジオを設置することができるようになった。ラジオに興味を持ち出した当時の自分にはなんともタイムリーな企画である。(余談であるが、bayfm「金つぶ」でITニュースを紹介しているニック土屋こと土屋夏彦氏が『Livly Island』に携わっていたことを最近知った)

そこでは何組かのアーティストの楽曲やラジオ番組が聴けたような記憶がある(DJではターザン山下という名前が強烈に印象に残っている)のだが、特にオオゼキタクが歌う「恋オーラ」は印象深く、自分にとっては『Livly Island』のテーマ曲といっていいほどの存在だ。音楽が記憶と強く結びつく経験はままあるが、The Offspringだとか、小沢健二だとか、2000年代前半に隆盛を極めたFLASH動画文化からはまったのとはまた違うインターネット体験として色濃く残っている。

当時撮り溜めたスクリーンショットはHDDの故障で残っていない(と思われる)が、ミニラジオから「恋オーラ」が流れる桜の島でミミマキムクネが気持ちよさそうに寝ている光景は忘れられない。

情報の波に揺られてどこからかたどり着いた『Livly Island』。作り込まれた世界観やそこでのコミュニケーションは確かに魅力的だったのだけれど、いつしかインターネットでの興味は拡散して、とうとう戻ってくることはなかった。スタッフ日記で配布されている壁紙が、まるで手遅れになった自分への置き土産のようでもある。

ともあれ、今回書き残しておきたかったのは当時の体験と感謝の想いだ。興味関心が移ろいやすい時分に約2年もの間、楽しませてくれて本当にありがとう。当時交流のあったユーザー、スタッフの皆さんに遅ればせながら感謝を伝えたい。

スマートフォン用壁紙配布 | リヴリー総合研究所「スタッフ日記」Ⅱ(※ヤプログ!は2020年1月31日正午をもってサービス終了)



お読みいただきありがとうございました。