獣医療ソーシャルワークとは何か?② 動物虐待と人間への暴力の「リンク」、動物介在介入(第5回アソ読会報告)

実施日:2020/9/18

文献:T. Melissa Holcombe, Elizabeth B. Strand, William R. Nugent & Zenithson Y. Ng (2016). "Veterinary social work: Practice within veterinary settings"(獣医療ソーシャルワーク:獣医療的状況のなかでの実践)

第5回では、第4回で扱った「獣医療ソーシャルワーク:獣医療的状況のなかでの実践」の続きを読んだ。

少しだけ振り返ると、この論文は獣医療ソーシャルワーク(VSW)の先行研究レビューであり、VSWとは、「獣医療とソーシャルワークの実践の交差点でおこなわれるサービスの提供」である。VSWの主な焦点は 4 つ、すなわち、①動物を喪うグリーフ、②動物サービスを提供する者の共感疲労、③動物への暴力と人への暴力の関係、④動物介在介入である。①②について第4回で扱ったため、第5回は③④について議論した。

1.動物虐待と人間への暴力の「リンク」とは何か?

まず、「③動物への暴力と人への暴力の関係」である。動物への暴力と人への暴力の関係は「リンク」(Link)と呼ばれ、この分野ではしばしば目にするテーマである。たとえば、アメリカにはそれを専門とする団体がある。リンクの論点は多岐にわたるが、私が見たところ、この論文では以下の4つの観点が示されている。

1番目は、他の問題の現れとして動物虐待を認識する観点である。具体的にいえば、動物虐待は、家庭内暴力における加害者の一つの戦略である。たとえば、夫が妻に暴力を振るっている場合、妻が大切にしているペットを傷つけ苦しめること、あるいはその可能性を示唆することは、それ自体が妻への暴力の一部である。また、動物虐待は、精神障害の症状であったり、家族の機能不全の症状であったりすることもある。

2番目は、他の問題の予測因子として動物虐待を認識する観点である。具体的にいえば、動物虐待は、高齢者や女性、子どもといった人間への暴力の予測因子になり得る。したがって、ペットへの虐待の存在は、それ自体が問題であるだけでなく、家庭内暴力の予測因子として捉えることが重要となる。

3番目は、他の問題を悪化させる因子として動物虐待を捉える観点である。たとえば、家庭内暴力を受けている女性が、自分だけが避難することで家に残されたペットが加害者から虐待されるという懸念を持ち、シェルターへの避難が遅れることがある。

4番目は動物虐待それ自体の連鎖についてである。先行研究によれば、家族による動物への虐待を見て育った子どもは、将来的に動物虐待をする可能性が高くなるという。

以上のような動物虐待と人への暴力との関係についての問題が指摘されている。だが著者によれば、実際にそれを実践につなげる上では、二つの課題がある。

課題の一つは、研究上の課題に関するものである。著者によると、動物虐待が人間への暴力の予測因子となるかは検証が不十分であり、あくまで仮説にとどまっている。その背景には、「動物虐待」の定義が調査によって異なり、一貫していないことがある。

もう一つの課題は、獣医師が動物虐待への対応に関わるうえでの課題である。著者によると、アメリカでは獣医師が動物虐待を通報しても、その獣医師を法的に保護する州は少ない。また、獣医師は、家庭内暴力への介入はおろか、動物虐待への介入に対しても、そのスキルが不足している。

さて、この論文で、「③動物への暴力と人への暴力の関係」について述べられていることは以上である。以下では、いくつかの点についてコメントしていく。

2.「リンク」は、日本のソーシャルワークにどのような影響を与えるか?

まず、上記のような議論が日本において与えうる影響について考える。その点から考えると、日本で特に注目を集めてきたのは、動物虐待を人への暴力の予測因子とする立場や、動物虐待を抑制することで人間への暴力も抑制しようとする立場である 。たとえば、動物保護法(1973年)を動物愛護法として改正したのは1999年だが、これは1997年の「酒⻤薔薇事件」以降、世論が動物虐待に対して敏感になったことが背景にある。

社会的な動物愛護の機運を高めることで動物虐待を未然に防ぐということは、なるほどこの理屈からすれば人間の福祉の向上のために正当化され得る。ただ、動物愛護の啓蒙活動や法整備を訴えかけることは、ソーシャルワーカーの仕事ではないだろう。もっと別の人々が中心となるべき事柄であるだろうし、現にそうなっている。

では、実際に生じている、あるいは生じつつある動物虐待の個別ケースへの対応については、ソーシャルワーカーは何かすべきだろうか。たとえば、動物虐待への介入に関わる機関(保健所、動物愛護団体など)と児童福祉やDV被害者救済に関わる機関が連携して、相互に報告しあう、ということは可能であるように思われる。動物虐待がある場合には、家庭内で人間への暴力が生じつつあるか、すでに生じているかもしれない。また逆に、人間への暴力が発見された家庭内では、動物も虐待を受けているかもしれない。だから、動物虐待と人への暴力、それらの一方の問題に関わる機関が、他方の問題やそのリスクを認めた場合に相互に報告しあうことで、おたがいに自らのクライエントを発見する機能が高まるかもしれない。さらには、介入においても協力することができるかもしれない。この仕組みに、ソーシャルワーカーは関わることになる。

このような問題を考える際に、動物虐待を意図的な虐待に限定し、そこに焦点をあわせると、射程を狭めてしまう。おそらく、意図的な虐待よりも、非意図的な不適切飼養の方が圧倒的に多いからである。たとえば、独居の高齢者が年齢的な衰えなどからペットの世話を十分にできなくなることは、動物愛護業界では大きな問題となっている。このような不適切飼養がある場合には、その高齢者自身もセルフネグレクトに陥っている可能性が高い。逆に言えば、セルフネグレクト状態にある高齢者がペットと生活している場合には、そのペットの福祉も著しく低下している可能性が高い。だから、高齢者の福祉に関わるソーシャルワーカーが、動物愛護に関わる人々と連携することは、互いに有意義になり得る。

実際、すでに動物愛護に関わる人々の一部は、不適切飼養のペットを救うためにその飼い主への支援が必要であると認識し、人間の福祉に関わる人々との連携を求めている。一方、人間の高齢者福祉に関わるケアマネなどのなかにも、ペットの不適切飼養に心を痛めている人々はいるし、ペットの存在が社会福祉サービスの障壁となっている、と感じている人々もいる。ペットの問題をどこに相談していいのかわからないソーシャルワーカーは少なくないだろうから、包括支援センターあたりが仲介して動物愛護団体などとつなぐ仕組みはあってもよさそうだし、実際に、一部ではそのような仕組みが始まっている自治体もある。

しかし、では、人間の福祉に携わる者と、動物の福祉に携わる者、その両者が実際に協力したところで何が具体的にできるか、といえば、それはいまだ暗中模索と言ってよさそうだ(このような連携を模索する動きについては、環境省「社会福祉施策と連携した多頭飼育対策に関する検討会」があり、当会でもこの検討会について第7回で扱った)。論文中では獣医師による動物虐待への関わりが重要視されているが、動物だけではなく人間の福祉に関わる多様な職種・機関の関わりが必要である。だれが何をやる(べき)か、具体的に何について誰と誰が協力していく(べき)か、これからの実践と議論の発展に期待したい。上記したように、動物虐待と人間の諸課題との関連はいまだ明らかになっていないようである。しかし、それが因果関係かはともかく、相互に関連しているという報告は多数あり、説得力がある。したがって、まずは動物虐待と人間に関わる諸課題がどのように関連しているのか、実践と研究の積み重ねのなかで解きほぐしていくことが求められるだろう。

3.動物介在介入とは何か?

次に、「④動物介在介入」についてである。動物介在介入(AAI)とは、「治療や改善のプロセスの一部として動物を含む治療的介入を記述するために使用される包括的な用語」であり、動物介在療法(AAT)と動物介在活動(AAA)とから構成される(日本ではAATもAAAも一緒してアニマル・セラピーと呼ばれることが多いが、厳密には二つは分けられる)。

AATは、「特定の目標、目的、結果の測定を伴う保健・福祉サービスの専門家によって行われる治療過程の一部である目標指示型介入」である。実際には、医師を中心に具体的な治療目標のために取り組まれる。一方、AAAは、「訓練を受けた専門家やボランティアによって行われ、特定の治療目標を持たず、むしろ生活の質を向上させるための動機づけ、教育、レクリエーションの機会を提供するもの」である。つまり、ボランティアを中心とした目的が必ずしもはっきりしない活動である。

AATとAAAは、どちらも対象者にあわせて動物ややり方を選び、適切におこなうことで、さまざまな効果があるとされている。だからSWにAAI(=AAT+AAA)を取り入れることで、クライエントの福祉の向上につながることが期待される。そして、そのような期待から試みられている実践も少なくない。しかしながら、AATもAAAも、その効果の検証はいまだ不十分とされている。

4.動物介在介入は、日本のソーシャルワークにどのような影響を与えるか?

さて、以上の論文の内容を踏まえて、AAIは日本のソーシャルワークにとってどのような意義をもたらしうるかについて、以下では考察する。まず、AATは現在、日本ではほとんど普及していない。というか、たとえば医療保険が適用されるレベルでAATが広まっている国は、この世界のどこかにあるのだろうか。AATが医療的な技術であるならば、これは単純に経験的な検証の問題であろうし、ソーシャルワークはそれに協力はしても、中心にはならないだろう。

一方、AAAは日本動物病院協会(JAHA)による「人と動物のふれあい活動」(CAPP)などを中心に、日本でもそれなりに普及している。ただ、福祉施設が外部の人を呼んでおこなうレクリエーションの一種として以上の何かが求められているわけではない。もちろん、レクリエーション活動は非常に重要であり、定期的なCAPPの訪問をとても楽しみにしている福祉施設の利用者が少なからずいることを私は知っている。だが、そこでソーシャルワーカーは実施ボランティアとの調整などの業務をするにとどまる。AAAについて、もっとソーシャルワークが深く関わる方法として、どのような可能性があるだろうか。

たとえば、面談の際に動物を伴う方法はどうか。訓練された人懐っこい犬は、ソーシャルワーカーがクライエントととの信頼関係を構築するための一助となってくれるかもしれない。ただ、そのためにはその犬の扱いについてソーシャルワーカーが習熟するか、習熟したハンドラーを帯同するかする必要がある。また、そうした犬を専門的に訓練し、管理し続ける必要がある。このようなコストは決して小さいものではないと思われるが、その割にこの方法は犬嫌いのクライエントには使えない。そう考えると、面談のためのAAAは少なくとも日本ではあまり現実的ではないように私には思われる。

この背景には、日本と米国の職域の差もある。米国の場合、カウンセリングをソーシャルワーカーが担っている。そのため、カウンセリングの手法の一つとしてAAAが位置づけられるかもしれない。この場合には、AAAを専門とするための訓練も可能となり得るだろうし、それが有効なクライエントに対象を絞った専門家となることも可能なように思える。だが、日本ではカウンセリングは心理職の仕事であり、ソーシャルワーカーの主な仕事ではない。

私の考えでは、いわゆる動物介在ではなく、施設でペットを飼うこと、それと並行して入居者のペットを受け入れることの方が、やはりハードルは高いものの、そのハードルを超えるような社会福祉上の意義を見出せそうな気がしている(私は修論でそのようなことを論じたが、紙幅の都合上ここでは割愛する)。AAIについては他の可能性についても検討不足だとは思うので、今後リサーチしていきたい(今後の研究課題)。

ところで、AAI研究業界では、AAIは人間に効果的か、どのような効果があるのか、ということについての検証が主な焦点とされている。だが、それとは別に、AAIに効果があるとしても、それをやってもよいのか、という動物倫理的な問題が残る(こちらに関する研究ももちろん多少はある)。たとえば、猫カフェやふくろうカフェなどは動物福祉の観点から批判されているが、それとAAIはどう違うのか。

まず、一般的にAAIにおいては、動物に過度なストレスがかかるAAI、AAIに向いていない動物を使ったAAIは、人間にも効果が低いとされている。落ち着いた動物を見たり、そのような動物を見ることで、人間は落ち着くのであり、不穏な動物とのふれあいは人間にとっても不安を呼び起こし、さらには怪我などのリスクもあるからだ。だが、現実問題として、そういう不適切なAAIがないわけではない。飼い主の自己満足や顕示欲のために、あるいは組織の拡大や利益のために、不適切に動物を使役するAAIは存在しないわけではない。残念ながら、人間は動物の気持ちを無視して喜べてしまう側面があるからだ。では、そのような事態を防ぐためにはどうすればよいか。AAIに参加する動物の福祉を保障するために、どのような社会的仕組みが必要か、という点がまず一つの課題となる。

では、高い技術を持つハンドラーとそのハンドラーに訓練された動物(主に犬)による理想的なAAIは、どうだろうか。訓練された犬は、オンとオフがはっきりしていて、オフのときには無邪気な姿を見せている。ではオンの状態がたんなるストレスかといえば、そのようには見えない(もちろん、犬と話をできるわけではないが、ストレスホルモンの研究などからも、このへんの検証は最近進んできている)。仕事として役割を与えられること、参加者に喜んでもらうこと、指示通りに動くことでハンドラーから褒めてもらうこと、そういったことからAAIに喜びを見出している犬は、現に存在するようである。というか、犬とはそのように、人間の指示に従い人間と活動することで喜びを感じるように適応的に進化してきた(させられてきた)という点で、非常に特異な動物である(同様の存在として馬があるが、それでも人間との付き合いの⻑さは犬には及ばない)。もちろん、AAIに適しているかどうかには個体差があるから、選抜の過程はかかせないが、選抜の過程で脱落した犬たちにも家庭犬としての幸福が保障されているとすれば、その選抜も犬の福祉に反しないものになり得るだろう。そのように考えれば、動物の福祉に配慮したかたちでのAAIは十分に可能ということになる。

したがって、ソーシャルワーカーにとっての実践的かつ倫理的な意義をここから引き出すならば、AAIをやる場合、そのために招待する団体について、そこでの動物への倫理的配慮について十分よく調べたうえで、適切な団体を選ぶべきだ、ということになる。すでに記したように、その方がおそらく、人間の福祉にとっても効果が高く、リスクは低い。

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