今日という日から目をそらしたくなっていた日々から、誰かに寄り添う力を学んだ

右も左も前も後ろも上も下もわからない絶望の中で
家庭を持った事、家という資産を手にしたこと、すべてが後悔にしか感じなかった時期があります。

妻も、子供たちも負担に感じ、理解したくても理解できず理解されず、愛したいのに愛せず愛されないと感じる日々。

その全てを投げ出したいけど、投げ出したくない矛盾に葛藤して、

いっその事死んでしまえたらいいのに、と思うも無責任な自分が許せず、


そのうち、

なんの為に働いてるのか

なんの為に家にいるのか

なんの為に生きているのか


分からなくなる。


最近、この頃の感情を改めて感じる機会が増え、

この頃の自分を思い返して、 今の視点で自分で寄り添うことが増えている


頑張りたかったね、でもできなかったね、それでも精一杯やってきたね

自分の弱さにげんなりしたね、でもあなたは諦めなかった

生きてきた、生き延びた。

それがあなたの強さ、健気さ、優しさ。


と、じぶんにかたりかける。



カウンセリングの中でも、

無力感に苛まれている人に寄り添う、というのは時に怖さも伴うことがある。

例えば、

ちゃんとしたいと思う自分がいるのに、ちゃんとできないと思う現実を「許す、受け入れる」と言っても、矛盾するんです。

だから

自分は無力だ、と自分を責めてきた度合いだけ、

自分自身に厳しくしてきただけ、

つい、自分にしてきたように相手に接してしまう。

内心、「そんなこと言ってないで頑張んなさいよ」

って心の声はいいたくなる。


でも、

それでも誰かのために動ける自分がいるなら、

それが強さで、諦めなかったの強さ。


かつて、憧れた臨床心理士の先生がいた。

もう退職されているけれど、

最もどん底にいた時に諦めずに向き合っていただいた


僕の話を聞いていて、

もどかしく感じたときもあったと思う

時にため息をつきたくなるときもあったかもしれない。


それでも、最もどん底にいた時の僕を、ずっと見守り続けてくれた


私達には、生きる力がある

幸せになるための力がある。


今日という日すら見たくないと思い、

明日が終わることを心の何処かで願うほどに追い込まれたあの頃。


それは絶望と暗闇だったかもしれないけれど


いま訪れるクライアント様、一人ひとりの

生きる力、幸せになる力を見守り、寄り添い、見届けていけるカウンセラーでありたいと思う。




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