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母親像アップデート

 この一年、本当に濃厚で充実していた。いろんなことがありすぎて、アドベントカレンダー、何を書こうかな?と思ったけれど、「自分の心が一番揺さぶられた日のこと」を思い起こしてみた。心が揺さぶられた日=大人なのに大泣きした日。

1.大泣きした日

 今年の5月23日。記念すべき、10年に一度のバースデー。私はこの日のことを、ずっと前から楽しみにしていた。年が明ける前から、ずっと。

 30代が終わるからって、すぐに何かが大きく変わるわけではない。でも見える景色は、少しずつ変わってくるかもしれない。5月23日は、主人の仕事を休みにしてもらって、ちょっと高級なホテルでディナーでもしてもらおうかな?近場に旅行もいいかもしれない。

 けれど、誕生日当日。緊急事態宣言こそ解除されていたものの、私たちは旅行どころか、外食も憚られるような状況だった。エッセンシャルワーカーである主人は、普段以上の激務とストレスでへとへとになっていて、23日も仕事。それでも花束とケーキを買ってきてくれた。「仕方ないよね」と言いながら、家族四人が健康であることに感謝して、家でひっそりと夕食を食べた。子どもたちが一緒に四本のろうそくを消してくれた。

 それなのに夕食後、主人と口げんかになった。きっかけはすごく些細なこと。でも話し出すと、自分の口から信じられないほどひどい言葉がたくさん出た。その中で、彼が「あなたは家庭保育のストレスがたまってるんだよ」という言葉を口に出した瞬間、涙が止まらなくなった。

 彼にまったく悪気はなく、むしろ私を思いやっての言葉だったのだと思う。だけど、私にとってそれはそのとき一番言われたくない言葉だった。子育てが、ストレス?!私はそんな母親じゃない!!子育ては楽しい!!そう反撃した。でも感情的に反論していることが、日々のストレスで限界になっている何よりの証拠だった。

2.理想の母親像

 さて、いろいろなところで話したり書いたりしているけれど、私には「理想の母親像」があった。身内で恐縮だが、自分の母親だ。

 私は四人きょうだいの長女で、父親はばりばりの仕事人間。しかも昔は転勤が多く、母親は四人の子どもを、知らない土地で、誰の助けも借りずにほぼワンオペで育て上げた。

 しかも母は、教員免許を持っていて、子育て前後は家庭科の教員として働いたりもしている。家庭科!!料理も裁縫も大好きなのだ。「ザ・家庭人」って感じの女性。でもやりがいのある仕事も持っている。無敵でしょ?

 私は小さいころから、ワンピースや手提げカバンやケーキや梅干しや、なんでも手作りできる母が誇らしくて、「お母さんみたいなお母さんになりたい」と思っていた。なれると思っていた。道筋は違うけれど、同じ職業に就いたし。

3.理想と自分のギャップ

 ところが、いざ自分に子どもができてみると、思い通りにいかないことばかり。自分が「理想の母親像」からどんどんかけ離れていくのを感じる。私は、料理はまあまあ好きだけれど、添加物の入ったお菓子も普通にいっぱい買っちゃうし、ミシンと布を買ったり選んだりする時間とお金があるなら、本を読んだりアロマを学んだり、なんなら旅行とか行きたいし。

 そして、「一人きりで自分のペースを乱されずに行動する時間」がある程度確保できなければ、生きていけない。私はそういう人間。

 でも、子どもって、「親のペースを乱す」ことが仕事みたいなもの。それを実感して四年弱、けれどその事実になかなか慣れないのよね。。。むしろ日に日に乱される度合いがアップしてるし。。。いらいらしちゃうこと多々。無邪気に私を慕ってくれる顔を見て、あ~、怒ってばかりでごめんね、と思うことを日々繰り返している。

 そこへきて、例のコロナ禍。育休中の私は、長男も三月初めから家庭保育にして、今年の誕生日のころは、自粛生活が三カ月になろうとしていたのだ。まあ、公園には毎日行ってたけれど。

4.誰かにほめてほしかった

 主人とはすぐに仲直りしたけれど、誕生日の翌日、私は何が辛かったのか、悲しかったのか、そして何を求めているのかをノートに延々とつづってみた。今読み返して公開するのは恥ずかしすぎるけれど、書いちゃいます!えーい。その日私が日記に書きなぐっていた結論。

「あなたは母親として満点だよ、こんなすばらしい母親いないよって、誰かに言ってほしい」

「私を認めて、ほめてほしい」

 そのとき私は、今までの自分って、「人にほめてもらうこと」を主なエネルギーとして進んできたんだなと気づいた。学校でも職場でも、それなりにきついことがあっても乗り越えてこれた。私を「頑張り屋さんだね」と言ってくれる人は多かったけれど、その頑張りは、いつも誰かの承認を必要としていた。 

 そして世界中の誰もが何らかの形で困難を抱えていたあの時期、私も自分的にはいっぱいいっぱいだったんだろうけど、

「でも私は働いているわけでも、社会の役に立っているわけでもない。二人の子どもを育てているだけ。もっともっと大変な人がたくさんいるから、弱音なんて吐けない。ほめられるなんてもってのほか」

「それに、子育ては楽しいし」

と自分に言いきかせていた。知らず知らずのうちに。

5.私のアップデート ~素敵なママの姿は一つじゃない~

 それから私は、「子育てしんどい、と思う自分も認める」「自分のための時間・自分の好きなことも大切にする」ということを意識するようになった。そして、何をしてもしなくても、私はこの子ら二人の母親、その事実は変わらないから、自分の母親や他の素敵なママと同じでなくてもいいか、と今は思っている。

 そんなの当たり前のことかもしれないけど、でも、私は絵に描いたような素敵なママに憧れていたんです。この子たちに会う前からずっと。それがいつのまにか自分を苦しくさせていた。

 だけど、これを書きながらふと思った。私が自分の母親を大好きで、尊敬していたのは、セーターやお弁当を手作りしてくれた(どんなけ手作りなんだ!)からではなく、

 どんなときでも私たちの話を最後まで聞き、頑張ったことはたくさんほめてくれたり、だめなことはだめってはっきり言ってくれたりしたから。

 私が小学生なのに分厚い本を読んだり、ワープロ(!)で小説を書いたりしていたら、「あなたはそういうことが本当に好きなんだね」と言って、いつまでもいつまでも続けさせてくれたから。

 そして、

 台所で鼻歌を歌いながら食べきれないほどの料理を作ったり、魔法のようにミシンで洋服を完成させていた母親は、決して「子どもたちのために」それをやっていたわけではなく、その時間が心から好きだったのだと思う。

 だからキラキラ輝いて見えた。

(家庭的と言っても、部屋はいつも散らかってたしな。。。掃除は好きじゃなかったのかも)

 この一年で、たくさんの人たちと久しぶりに連絡を取りあったり、新しく知り合ったりすることができた。母親像についていうと、私が今まで思い描いていたのとはまったく違った、だけどとても素敵なママたち何人もに出会った。

 何事についても、世界が広がると、価値観が広がり、一つの理想像にとらわれなくなる。それが今年一番の、私のアップデート。素敵であろうとなかろうと、こんなにハチャメチャでこんなに愛らしい息子二人の母親は、私にしかできない。とりあえずそれでいいかなと思う。

・・・

 長文すみません!!読んでくださって本当にありがとうございました。

 私の周りのすべての皆様に、改めて感謝。いつもありがとうございます。(今年まだ書きますが)今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

☆母親アップデートコミュニティ公式のアドベントカレンダー「私のアップデート2020」(https://note.com/huc/n/n85dc54d9c383)の記事です。

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