『半歩先を読む思考法』

読み終わりました!

今日は覚え書き程度ですが。

1 やっぱりすごい人

去年の今ごろ、落合さんにハマって、彼の著作を片っ端から読みました。

暇さえあればWEEKLY OCHIAI のアーカイブ聴いてた時期もあったし。

最近少し熱が冷めていたのですが、久しぶりに新刊を読んで、やっぱりこの人すごいっ!という感じでした。

2  落合さんとウィズコロナ

1、2章あたりも面白いですが、今回、私が良いなと思ったのは5章です。
コロナ禍についての落合さんのまとまった考えを本で読むのは初めてだったから。

しかもnoteの記事が元になっているので、ライブ感があるというか。書かれた日付を見ながら、あ、初めて休校になったとき…とか、初の宣言があけたとき…とか、思い出しながら読みました。

去年WEEKLY OCHIAIを聴きながら、落合さんはいつも他の人とは違った視点からウィズコロナを考えているように感じていました。対象(この場合はコロナ)を俯瞰しきって、かつ対象の奥深くまで潜り込んでいく、そんな視点。それは彼の他の研究対象へのまなざしにも通ずるのかなと思います。

でも嬉しかったのは、というか落合さん好きだわ。と思ったのは、淡々とウィズコロナポストコロナを述べるだけではなく、ビフォアコロナへの憧憬、「懐古」もきちんと書いてくれていること。もっといえば、コロナ禍の精神的負担を言語化してくれたこと。

「つねに考えながら生活しなくてはならなくなった」

「日常は戻っても祝祭は戻らない」

本当に、この通りで、

祝祭が奪われ、ちょっとした行動一つ一つに思考が必要な毎日、この積み重ねがコロナ疲れだと感じています。

私たち普通の主婦にとっては、家族旅行はもちろん、ママ友とのランチや、子どもの運動会も立派な祝祭。それらが脅かされて制限され、終わりの見えない、神経を張り詰めながらの日常が続いていく辛さ。

「もう元の生活には戻れないから、力を合わせて乗り切ろう!」って、謎の前向きなセリフを聞くと、よけい疲れる。

もう十分がんばったわ。もうコロナ飽きたわ。

そんな中、小難しい落合さんの本に、一番救われました。やっぱり根がすごく優しい方なのでしょうね。

言いようのない最近の虚しさは、祝祭への懐古だったのかもしれない、と認識できて、良かった。ありがとうございました。

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