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アキレス腱両脚同時断裂からの現在vol.9

ここで「車いす」について。

かわいい後輩が借りてくれた「車いす」。
約2か月間使用していましたが、その間に外出許可もでて、普段の二足歩行生活では見えない、車いす利用者の目線が経験出来ました。

車いすで外出許可が出てたので、街中に出てみると、気になった点がいくつかありました。
・結構気にせず人がぶつかってくる。
・小さな段差でもひっくり返ってしまう。
・身内に対して横柄な態度をとってしまう。
・気を使われるのが嫌になってくる。
・優しい人が多い。

・結構気にせず人がぶつかってくる。
これは生活圏が都心部なので、仕方が無い部分もあります。
車いすに乗ると高さ1mくらいしかないので、通行人の視界から消える事から生じる問題である。子供とはよく目が合ったっけ。
車いすは人混みアウトですね。

背が低くなり視界から消える事が原因として挙げられる

・小さな段差でもひっくり返ってしまう。
路肩の2cmくらいの段差。と、ゆるやかなスロープでひっくり返りました。
いずれも道路、歩道でひっくり返り。
ひっくり返ってじたばたしていると、周りの人達が集まってきて起こしてくれました。良い人達で非常に助かりました。
別の国なら身ぐるみはがされてもおかしくありません。

これは車いすの乗りこなしの問題のような気がします。
乗るのがうまい人はうまく乗りこなすのではないでしょうか?

・身内に対して横柄な態度をとってしまう。
これは完全に甘えですね。身近な人に対して当たってしまう。
「こっちは怪我して足が動けないんだぞ。」という意識が頭にあり、つい大きな態度になってしまう。
そして自己嫌悪になる。
だめだな〜。と思いつつも。。。
当時の彼女が身の回りの事をやってくれていたのですが何度かケンカになりましたね。。

・気を使われるのが嫌になってくる。
この感情は自分でも不思議な感じがしました。
街なかで車いすだと結構気を使われます。
「手伝いましょうか?」「大丈夫ですか?」などなど
大変そうな人に声を掛けてヘルプしてあげる。
良心の持ち主ならば当たり前ですよね。
しかし、
「これ位自分で出来るから!」
と、思ってしまうんですね。
微妙なラインがあります。
先程のひっくり返るような、自分でどうも出来ない状態はそうは思わないのですが、自分で出来る事を「手伝いましょうか?」とくると、こういう感情になってしまいます。
このラインを越えてしまえば、この感情は起きない。
このライン未満だとこの感情が生まれてしまう。
この感情のせいでイライラしたりする事が結構ありました。
これは自分でも初めての経験でした。

・優しい人が多い。
先述の、気に掛けてくれる人、ひっくり返って助けてくれた人、エレベーターで押してくれる人、電車の乗り降りで手伝ってくれた人、などなど
車いす生活を送る中で「こんなに助けてくれる人がいるんだ」と、車いすで外に出るのがあまりストレスに感じませんでした。もちろん調子に乗ってはいけませんが。

日本だからでしょうか?
他の国は?そうはいかないのでしょうか。
日本は道路インフラもしっかり整備されており、そういう意味でも障がいを持っている方も比較的安心して生活できるのではないでしょうか?
ちょっとこれは違うテーマになってしまいますね。

脱線しましたが、
色んな人が生活していて、直立二足歩行の生物が普通ではないということ。
様々なものを抱えて生きている人もおり、その中の「車いす」生活の一端を経験出来たことは、今まで見えなかった事が見えた、人生において有意義な時間でした。

もちろんその後の、
・松葉杖生活
・脚が満足に効かない生活
と段階的に続いていきます。
今振り返ると、アキレス腱を断裂しましたが、見えない世界が見えた有意義な時間でした。

続く


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