【しろまる先輩は距離感がおかしい。】10話「夜行バスの心得」
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◆ ◆ ◆
出発10分前に姿を現したそいつは、プシューというエアブレーキの威嚇音とともに停車した。
京都行き格安夜行バス(4列シート)。
これから雪音を遥か450キロ先まで運んでくれる今夜の相棒だ。
バスから乗務員が2人降りてきて、改札と手荷物の預かりを始めた。先輩が背中のリュックをトランクルームに預けた後、改札係に自分と雪音、2人分の名前を告げる。お返しに座席番号が言い渡され「どうぞ」と乗車許可が下りた。
いよいよ、初体験の夜行バスに乗り込む時がやってきたのだ。
東京で会社員をしていると、こういったバスを利用する機会はほとんど無い。乗っても短距離の路線バスだ。最後にバスで遠くへ出かけたのはいつだろう。などと記憶を辿りながら、雪音はステップに足をかけた。
車内の感想は。
事前の取り決めどおり窓側に雪音、通路側にあすかの順で収まったのはいいものの、実際に席に着いてみるとそこは思いのほか窮屈だった。
何より、車窓を期待して選択した窓側の席が、遮光カーテンによって完全にそのアドバンテージを失っているではないか。すかさず先輩に物申す。
「しろまる先輩、これじゃ全然外見えないじゃないですか。座席も狭いし!」
自称夜行バスのプロらしい先輩は、早くも寝る準備万端のアイマスク姿のまま、夜行バス初心者の雪音に心理を説く。
「夜間走行中に車窓が見えるような状態だったら、街灯とかの光が入ってきて眠れないよ」
確かにその通りである。このバスは“夜行バス”なのだ。
「あぁ……言われてみればそうですね……」
「だから基本的に消灯後の夜行バスでは車内で光を発する行為は御法度ね。もちろん、カーテンを開けて外を見るのもだめ。あと、座席に関しては窓側と通路側の選択肢自体が…………」
「自体が?」
「罠だよ」
「罠?」
「そ。旅行初心者は景色を期待して窓側を選びがちだけど、4列の夜行バスにおける正解は通路側だからね。窓側は壁と隣の席の人の両方に挟まれるから窮屈度が高くてハズレ。トイレとかにも行きにくい」
「じゃぁ、先輩は私が窓側を選ぶと予想してわざと席を選ばせたんですかぁ?」
「ニヤリ」(口元で肯定するしろまる)
———この女、飄々としているように見えて意外と策士である。
確かに、この環境なら通路側の席のほうが快適なのは間違いないし、何より隣の人間との距離感が近いため赤の他人が横に座っていたら安眠できる気がしない。雪音は今更ながら相席を懸念して自分を誘った先輩の心中を察したのだった。
(マイク音)
「発車しまぁーす」
乗務員の濁った声を合図にバスが動き出した。
出発してしばらくのうちは、発進と停止の繰り返しだ。おそらく都内の下道を走っていると思われるが、カーテンで外の様子は見えない。
視覚情報が制限された状態で移動をすると、自分がどこか検討違いの場所へ連れて行かれるのではないか……と余計な妄想をしてしまう。
プツッ———ブツ———ッ
(マイク音)
「えー、本日はご乗車いただきありがとうございます。車内設備と、到着予定時刻についてご案内いたします。まず———」
程なくして流れた案内によると、京都までの道中で2回ほどサービスエリアで休憩をするとのことだ。それ以外の停車は乗務員の休憩と交代のための事務的な寄り道らしい。
乗客の命を預かって夜通し走るのだから、休憩や交代も必要だろう。大変な職業だと思った。
一通りの放送が終わり、バスが高速に乗って安定した巡航を始めると、室内の照明が完全に消された。元々薄暗かった車内が闇に包まれる。
ふと隣に目を向けると、先輩は先のアイマスクに加えて、耳栓と携帯ヘッドレストを装備した究極完全帯に進化を遂げていた。
(プ、プロだ……)
むくり。
雪音の視線を察知したのか、先輩が眠そうな声を振り絞って最後のアドバイスをしてきた。
「さっきアナウンスがあったと思うけど、途中で何回か休憩があるから、その時は一回外に出て身体を伸ばしたほうがいいよ。ずっと同じ姿勢で座ってるのはよくないから」(ヒソヒソ)
「べ、勉強になります……」(ヒソヒソ)
「ではおやすみ」(ヒソヒソ)
「お、おやすみです……」(ヒソヒソ)
「z z z 。。。」
「………………」
。。。
。。。。。
。。。。。。。
。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。
———と、言われましても。
夜行バス初体験者の雪音が、4列シートの窓際窮屈席で、まともな装備品無しでサッと夢の中へ旅立てるほど現実は甘くはなかった。
1回目の休憩ポイントである足柄SAに到着した段階で、まったく眠気がやってくる気配がない。それどころか、初めての体験と深夜テンションが合わさって覚醒状態だ。
先輩の教えのとおり車外へ出て、身体を伸ばし、深呼吸をする。
(またしろまる先輩に振り回されてるなぁ、私……)
流されやすい自分を悔いる雪音を乗せて、バスは深夜の東名を西へ下った。
(つづく)
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