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ネパール渡航を終えて

ネパールから帰ってきました。

今はただただ日本が静かで、物音がしなくて、さみしいです。
バスでは、爆音で運転手の好みの音楽が流れていて欲しいし、隣の人たちはネパール語で話していてほしい。

たーちゃいなとか、あうのすとか、ばすのすとか聞こえなくなったのが、さみしい。

日本でもすっかりマスク文化がなくなってきていることは一旦喜ばしい。


そして、水の値段が高い。


バスの後ろにトイレがあるのも、空港のトイレの便座があったかいのも、全部ちゃんと驚ける。

そして、日本に来ると、私は一人なんだなって思う。

私には行く場所が少ししかないくらいがちょうどいいのかもとも思う。

ネパールでは、基本的に、家とオフィスしか行かなくて。休みの日も、たまーに誘われて出るくらい。
それくらい決まっていても、全然大丈夫だった。


ネパール最終日に感じたことは、
私はネパールという国が大好きになったということと、ネパール人と結婚も悪くないかもしれない(むしろいいのでは!?)とか、思ったこと。
私もネパールの人々のように、ご機嫌に生きていきたいということ。
なによりも大事にすべきは、友達と家族と、仲間。その間のコミュニケーションであること。

「ちゃんとしていること」よりも、もっともっと大事なことがあって、生きていたら、それでいいこと。
そこに、楽しくおしゃべりできる仲間と、友達と家族がいたらそれで大丈夫だということ。

最終週の土曜日。
タメルとアサンバザールの間で出会ったお店の人。
毎日店を開けるのは、家でご飯とか食べていても、今日出会えたはずの人のことを考えちゃうからだって。ものが売れることも必要だけれど、それよりもここに来るいろんな国の人と話すことがめっちゃ楽しいんだよねーと言っていた。
多分この人はこの商売が天職だと思った。
最後の晩餐。女子会。お世話になった方々。

そうしたら、私は意外と「ちゃんとしていたのかもしれない」。
いや、なんていうのだろう。「ちゃんとしようとしすぎてて、生きれてこなかった瞬間(自分のことを認めてあげれなかった瞬間)がたくさんあった」のではないか?

うまく言葉にならない。

私は、この先たとえColorbathで働かない未来を選んでも、ネパールのこと、出会った人々のことが大好きなことには変わらないし、彼らのの何か役に立ちたいと思う気持ちは変わらない。
この1年以内にもう一度、行く。
絶対行く。


そして、日本に帰ってきて6時間の間に思っていることは、私はとっても日本で長い時間生きてきたのだということ。
安心感がすごい。
いるだけで安心感がじわじわと自分の体に出てくるのがわかる。

ここではこう振る舞うというテンプレが染み込んでいて、勝手に発動しまくる。

それに対して、違和感を感じている自分がいる。

自分を変えたくて、ネパールへ行ったけれど、そこで培ったものが全て溶けていく、流れていくイメージ。

バスやその辺の急な階段を降りるときに問答無用で掴まれるあのネパールのおばあちゃんのガシッとした手。
それを忘れていく感じ。

ただ、全部流れて行っても、前の自分には戻れない。

し、私はもっと前向きな自分の始め方を知っている。

グダグダせずに早く寝て。
さっと早く起きて。
家から出て働く場所に行く。

日本のなんとなくに流されるのではなく、
自分が好きだと思ったことを忘れずにやる。

あれが悲しいとか、これが寂しいとか言ってられない。


自分の、心の平和を第一に、ゆるすことが自分の役割だということをしかと認識して、毎日を生きるのだ。

怖がるな。怖れはおいていけ。

世の中や、いろんなことを勝手に分かったフリをして、怖れている自分をゆする。そして、ネパール人の用にご機嫌に一歩を踏むのだ。

ないすー!おつ!自分!

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