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こちら月光生命セックス保険コールセンターです。第二十六話

第二十六話 人のセックスを嗤うなⅣ

「気軽に呼び出さないでくださいよ。いまいくつかの組が分裂してて大変なことくらいアナタも知ってるでしょう」

 香ばしい珈琲の香りが漂うレトロな喫茶店のテーブル席で、落ち着いたトーンで話すその男は昆虫を思わせるような冷たい目線を源に送った。

 オールバックにした髪の右の額あたりから、まるでハイライトを入れたかのように一筋の白髪が走っている。
 痩せ型で、頬骨がいまにも皮膚を突き破るんじゃないかと思わせるほど目立っていた。鋭く通った鼻筋の下に色素と厚みの薄い唇がちょこんとついている。その唇の上下を繋ぎ合わせるかのように、一筋の切り傷がその存在感を示していた。

 その佇まいを見るだけで、善良な市民とは一線を画していることが分かる。

「まぁ、そう言うなよ川島かわしま。今回の話はお前にとっても有益なもんだからよ」

 源はそう言うと、品のある陶器のカップに入ったコーヒーに口をつける。

「どうですかね。数年前、野良の売人連中をボコボコにした尻ぬぐいをさせられたこと、忘れてませんからね?」

 川島と呼ばれた男はまるで感情を持たないロボットのような温度で源を見つめる。

「あぁ、あんときは世話になったな。……ま、今回はそれの恩返しってことで」

 源は申し訳無さそうにぽりぽりと頭を掻いた。

「……本題を」

 川島は源に構うことなくそう言い放った。

犯愚裏威ハングリーの件だ。……おたくらも手を焼いてるんじゃないのか?」

 源の言葉に、川島の眉が少しだけ動いた。

 ******

 革張りの重厚な扉を開けた途端、中から土石流のような音の波が襲ってきた。

 三上は中に入るなり顔をしかめる。四方八方に設置されたスピーカーからまるで魔物の鼓動のような強烈な振動がリズミカルに空気を揺らす。
 レーザービームのような様々な色のライトが目まぐるしく交差し、その場にいるだけで酒を飲まずとも酔ってしまいそうになる。

「何だお前、こういう場所は初めてか?」

 隣にいた源が肩を小突いて聞いてくる。その顔は明らかに馬鹿にしたものだ。

「こういうところに来るような青春は送ってなかったものですから!」

 三上は周りの音に負けないように大きな声で答えた。

「なんだよ、つまんねぇ奴だな。おれが若いときはジュリアナ東京なんかのディスコが全盛期だったからよ。こういう場所では勝手に身体が動くぜ!」

 そう言うと源は音に合わせて腕と腰を振り、不格好なダンスを踊った。三上はそれを見てため息を吐く。

「源さん、真面目にやってくださいよ」

「おれはいつだって真面目だよ。……お、あそこだな」

 源が顎を使って三上の視線を誘導する。三上が振り返ると、二人がいるフロアよりも高い位置にあるスペースが目に入った。ガラス張りのその部屋の中には何人かの存在が確認出来た。

「あそこがVIPルームですか?」
「それ以外になにがあるんだよ。ほら、行くぞ」
「あ、ちょっと源さん!」

 一切の躊躇ちゅうちょもなく、源はVIPルームへと繋がる階段を昇っていく。三上も慌ててそれに続いた。

「おい、オッサンら間違ってんぞ」

 VIPルームの扉の前に立っていた黒いスーツ姿の若い男が源と三上の行く手を遮るように立ちはだかった。
 かなりの高身長で、決して背の低くない源と三上を見下ろすように鋭い視線を向けてきた。

「あぁ、ちょっと中に用があってな」
 源は動じることなく笑顔でそう告げる。
「あぁ? オッサンら何もんだ? サツか?」
 男は眉間に皺を寄せ、警戒の色を強めた。

「いや、おれたちは保険屋だ。お前らの偉いさんにそう言えばわかるはずさ」
「はぁ?」

 男は源の言葉が良く分からず訝し気な表情を浮かべたが、すぐさま「ちょっと待ってろ」と言って部屋の中に入って行った。

「源さん、大丈夫ですか?」
 三上が不安げに声をかける。

「なあに、なるようにしかならねぇさ」
 そう言って源はスマホを取り出し、なにやら操作をし出した。

 ほどなく、男が部屋の中から出てきて「入りな」と二人を顎で招き入れた。

 VIPルームの中は密閉されているせいか思ったより騒がしくなく、階下の音楽に合わせて微かに床が振動するくらいであった。部屋の奥に大きなU字のソファーがあり、三人ほどの男がリラックスした様子で座っており、その間を埋めるように座っている露出の高い女が甘えるような視線を男たちに向けていた。

 テーブルの上にはそれはまあ一目で怪しいとわかる錠剤や手巻きタバコのようなものが散らばっており、あたりには薬物特有の甘ったるい香りが漂っていた。

 そして部屋の壁際にはガラの悪そうな輩たちが数人、二人を威嚇するように睨みつけていた。三上はその中に以前木下舞に付いてきたあの茶髪の男の姿があるのを確認し、少しだけ肩を落とした。

「保険屋さんだって? ……どうぞ」

 中央に座っている男が二人を向かいのソファーに座るよう促す。源と三上は素直にそれに従った。

 二人をソファーに促したリーダー格の男は白いワイシャツの胸元を開き、仕立ての良さそうな黒いスーツを羽織っていた。一見するとベンチャー企業の取締役のようにも見えるが、ワイシャツの袖から見える腕からは微かにタトゥーの模様が見えていた。

「……で。保険屋さんがなんの用です?」

 男が隣に座る女の肩に手を回し頬を優しく撫でる。女も嫌がる素振りを一切見せず、頬を紅く染め甘えるように身体を寄せた。

「アンタのチームがうちの保険を不正に利用してるって話を耳にしましてね」
 源がにこやかな表情で語りかける。

「……なんの話か分かりませんねぇ」
 リーダー格の男がとぼけたようにそう言うと、周りにいる男たちもニヤニヤと下品な笑みを浮かべた。

「証拠は挙がってるんですよ。ただね。出来ればうちも公にはしたくなくてね。なので、ここらでちょっと手を引いてもらえるとありがたいんですけどねぇ」

 源が腹を探るようにリーダー格の男の目を見つめる。しかし、そんな源の視線を意にも介さず、男はふふんと鼻で笑った。

「お引き取り下さい」
 男は手の平で出口を指し二人に退出を促すと同時に、テーブルに置いてあった男のスマホが振動した。

「あそこにいる男性、以前うちの顧客と一緒にいたように記憶しているのですが」
 男がスマホに手を伸ばそうとしたその時、三上が壁にもたれかかっていた茶髪の男を指さした。

「なんだ? テメェー!」
 突然の指名に激高した茶髪が肩を揺らしながら三上に近づき、胸倉を掴んで無理やり立たせた。

「テメ、イチャモンつけてきてんじゃねぇぞ!」
「おい、やめとけ」

 リーダー格の男がめんどくさそうに茶髪を制した。その間もスマホは鳴り続けている。

「でも、ダイゴさん……」
「木下様とは、どういったご関係なのでしょう?」

 戸惑う茶髪に追い打ちをかけるかのように三上が言葉を続ける。その目はまっすぐ茶髪を見据えている。

「テメ、ゴラァ!」
 瞬間的に沸点に達した茶髪が腕を振り上げた。

「あ、バカ、やめろ! 手を出すな!」

 源が慌てて声を上げるが、その声むなしく「パンッ」という破裂音のような音が部屋に響いたかと思うと、糸が切れた人形のように前のめりに人が倒れた。

 ――倒れたのは、腕を振り上げ殴りかかっていたはずの茶髪の男のほうだ。

 三上はというと、涼し気な顔で茶髪を見下ろしている。その右腕が胸元のあたりで軽く拳の形を作っている。

「ばっか野郎……。うちの三上はアマチュアボクシングの元全日本チャンピオンだ。街の喧嘩自慢ごときが勝てるような相手じゃねぇよ」

 そう言って源が呆れたように頭を掻く。

「何してんだテメェ!」

 壁際にいたうちの一人、坊主頭の男がいきり立って三上に向かい突進して来た。が、すっと二人の間に割って入った源が坊主頭の腕を掴むと、流れるような動きで身体を沈ませた。
 その瞬間、坊主頭の身体が綺麗な弧を描きながら宙を舞い、テーブルの上に背中から着地した。その衝撃に耐えきれず、テーブルの脚がばきりと折れる。
 シャンパングラスなどの割れる音が部屋中に響き、投げられた坊主男はうめき声を上げるのみで身動きが取れない様子だ。示し合わせたかのように一斉に女性陣の悲鳴がこだまする。

「ちなみにおれはちょっとだけ柔道をかじってる」

 そう言って源はスーツのジャケットを整えながらにやりと笑った。

「……テメェら、生きて帰れると思うなよ」

 ダイゴと呼ばれたリーダー格の男のその言葉を合図に、部屋にいる男たちが身構えた。部屋中が殺気で満ち溢れている。
 各々が隠し持っていたナイフや警棒を取り出す。獣の牙にも似たその刃が照明の光を反射させその存在を主張する。

 三上が両手に拳を作り、胸の前に持ってきてファイティングポーズを取る。その眼光は普段の穏やかな彼のものからは想像がつかないほどに鋭く、殺気に満ちていた。
 源も腰を落とし、両手を前に突き出している。それはまるでどこかのお寺に立っている金剛力士像のようにも見えた。

 凶器を持った集団にも臆することなく、不敵な笑みを浮かべ「今だ! 来い!」と叫んだ。

「やっちまえ!」

 ダイゴの号令と同時に鎖を外された狂犬たちが源と三上に襲い掛かる――と、その時だった。

「全員動くな!」

 突如入り口が騒がしくなったかと思うと、勢いよく入ってきた男がそう叫んだ。その男はオールバックで、髪の右の額あたりからまるでハイライトを入れたかのように一筋の白髪が走っている。騒がしい部屋の中においても全員の耳に届くような、鋭い切れ味を持った声だった。

 突然の侵入者に全員が動きを止め、視線を送る。

 声を放った男の後ろから、スーツ姿のガタイの良い男たちがずらずらと部屋に侵入し、近くにいた凶器を持つ者から順に投げ倒し制圧してゆく。

「んだ? テメェら!」
 部下がやられる姿を目の当たりにしたダイゴが血走った目で男たちを睨みつける。

「警視庁組織犯罪対策部の川島だ」

 川島が警察手帳を取り出しダイゴに見せつけるように突き出した。

「サツが何の用だよ!」
 ダイゴが唾を飛ばしながら叫ぶ。

「用はこれからだ。……とりあえずは、麻薬取締法違反、及び銃刀法違反の現行犯で全員逮捕させてもらおうか」

「ふざけんなよ、クソ! この野郎!」

 いきり立ったダイゴが川島に突進していく。その手には鋭く光るナイフが握られていた。しかし川島は動じることなくダイゴが突き出してきた腕を片手で軽く叩いて逸らすと、その勢いを利用してそのまま投げを放ち、床に思いっきり叩きつけた。

「ぐぉ!」

 投げられたダイゴはあまりの衝撃に情けない声を漏らす。川島はそのままダイゴを抑えつけ、その手に手錠をはめた。

「公務執行妨害も追加だな」

 リーダー格のダイゴが目の前で確保されたことにより、周りにいた男たちの戦意も消失したようで、大人しく捜査員たちの誘導に従い続々と部屋を後にした。

「ひゅー。腕は衰えてないようだな」

 源が川島に向かいからかうように手を叩く。

「全くアナタは、無茶ばかりする」

 川島がにこりともせず源を睨みつける。

「そもそも、彼らが刃物を出してきたから良かったものの、素手で襲ってきたらどうするつもりだったんですか。違反が無ければこちらとしても確保は出来ないですよ?」

 ため息交じりに川島が源を指さす。

「まぁ、クスリやってるって話は聞いてたしな。なんにも無かったときは何発か殴られてから合図を出すつもりだったよ」と言ってジャケットの胸元に入れていたスマホを取り出し、通話中になっていたそれを切った。
「はぁ、呆れて物も言えませんね」
 悪びれもせずに言う源に対し、川島が大げさに肩をすくめた。

「……源さん、この方は?」

「あぁ。おれの大学時代の後輩だ。今では警察でお偉いさんになっていらっしゃる」
 戸惑い気味の三上の問いかけに、源は目配せをしながら答えた。

「ふざけないでくださいよ、先輩。……それより、証拠は大丈夫ですか?」

 川島が呆れるように息を吐きながら源に確認をする。

「あぁ。問題ない。うちの美人エージェントがしっかりやってくれてるはずだよ。そっちも大丈夫か?」

「ええ。この後すぐさま記者たちに連絡を回します。それでいいんですよね?」

 川島の言葉に、源が黙って頷く。

「よし。そんじゃあ三上ちゃん。最後のネズミ退治と行きますか」

 そう言って肩を叩かれた三上は、源の言葉の意図が読み取れず、怪訝な顔で首を傾げた。


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