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こちら月光生命セックス保険コールセンターです。第十九話

第十九話 太陽の小町

「あれ? みなもとさん不在ですか?」
 美智子が源のデスク近くの社員に問いかける。

「あぁ、今日は前からお休みを取る予定だったみたいですよ」
 男性社員が美智子のほうに振り返って告げる。

「そうですか。この前の件の報告をしたかったんだけど、……まぁ、いいか」
 そう呟くと、美智子は持ってきていた書類をパラパラと振りながら自分の席に戻って行った。

 ******

「あぁ、ゲンさん。来ましたね」

 オフィスに入るなり、スキンヘッドの中年が声を掛けてきた。源は手をあげてそれに応える。
 【ヴィーナス企画】とドアに書かれたその場所は、繁華街の外れの雑居ビルの三階にあった。
 オフィスの中は乱雑としており、四つほど置かれたスチールデスクの上は書類や撮影機材などで埋もれていた。

「今日でちょうど五年になるか」
 スキンヘッドが源を手でソファーに座るよう促しつつそう言った。

「あぁ、早いもんだな」
 源がソファーに勢いよく腰掛けると、日差しの中で大量の埃《ほこり》が舞った。

「スギちゃんよぉ、ちったぁ掃除くらいしとけよ」
 舞い踊る埃を手で仰ぎながらしかめ面で源が言う。

「いやぁ、へへ。撮影はほとんどスタジオでするだろ? だもんでちょっとだけ散らかっちゃって」
「なぁにがちょっとだよ」

 そう言いつつも、源の顔には笑みが浮かんでいた。
 それはいつ来ても変わらないこの場所が、ある種の安心感を覚えさせるからか。

「それじゃあ、これ」
 そう言ってスキンヘッドが千円札を一枚、机に置いた。

「おう、確かに」
 源も慣れた手つきでそれを受け取り財布に入れた。

「それよりゲンさん、そろそろ現場に戻らねぇか? ゲンさんの復帰作なら女の子が誰であろうと売れますぜ」
「ばっか野郎。どうせテメェが売り出したい新人でもいるんだろう?」
「へへ、バレたか。でもね、現場に戻って欲しいって気持ちは本当だよ。最近の若いのは根性が無くてねぇ。一発二発でもうヘロヘロ。女の子の待ちならいいですけどね、男優の待ちが多くなると女の子の機嫌も悪くなっちゃってたまらんのよ」

 男がスキンヘッドをぽりぽりと掻きながら顔をしかめる。

「まったくよぉ。おれらの全盛期にゃ朝昼晩連続で撮影なんてのもあったっていうのにな」
「そうだよゲンさん。だからどうだ? 新人指導もかねて一本だけでも」

 スキンヘッドの言葉に源が手を振ってそれを断る。

「だめだ。おれはもう現場には出ないって決めてんだ」
「……やっぱり、アキラのこと、まだ引きずってんのか?」

 スキンヘッドの言葉を受け、源がソファーの背もたれにゆっくりと身体を預け息を吐いた。

「引きずってなきゃ、こんなこと続けてないだろうがよ」

 どこか寂しさを感じるその声色に、スキンヘッドも神妙な面持ちで深く頷いた。

 ******

 都会から電車とバスを乗り継いで一時間ほど移動したところに、その墓地はあった。
 源はなだらかな坂を上ってきたせいでにじみ出た汗をシャツで拭った。
 辺りには自然が溢れ、さわやかな緑の香りが疲れを取り除いてくれる気がした。

 墓地に入ってしばらく進むと、ひときわ大きな墓が現れた。
 それは身寄りのなくなった人間が合葬《がっそう》されている永代供養《えいだいくよう》墓だった。
 源は墓のそばまで来ると、駅前で買っておいた小さな花束をそこに添えた。スキンヘッドから貰った千円はこの花代に消えている。

「おう、アキラ。また来たぞ」
 源は優しい声でそう言うと墓に笑顔を向けた。

「早いもんでもう五年だとよ。おれも現場から離れたら腹が出てきちまったよ」
 そう言うと源は自身の膨れた下腹部をぽんぽんと叩いた。

 どこかから聞こえてくるトンビの鳴き声に誘われるように、源の脳裏に過去の記憶が浮かび上がってくる。

 ******

 それは七年前のある日のことだ。

 まだ男優だった源が仕事を終えて一杯ひっかけて帰ろうと繁華街をぶらついている時、路地裏の暗がりから突然声を掛けられた。

「ねぇ、おじさん。私と遊ばない?」

 顔を向けて見ると路地裏の闇に紛れるように痩せこけた若い女が立っていた。

「手なら三、口なら五、それ以上なら二でどう?」

 路地裏を指さし、暗号のようなその文言を機械じみた感情のこもらない声で言ってくる。

「おいおい姉ちゃん。こんなところで立ちんぼとは品がねぇんじゃないか?」

 源がバカにするように笑いかけると、女はふんっと鼻を鳴らした。

「品で飯が食えるかよ」
「おっしゃる通りだ」

 普段はそんな誘いなど断るはずの源だったが、ちょうどその日給料を貰えたこともあり乗ってやろうという気になってしまった。

「どうせやるならそんな路地裏じゃなくて、もっと綺麗なところでやろうぜ。……ついてきな」
 源がアゴをしゃくり歩き出すと、女もしぶしぶといった様子で源の後についてきた。

 ******

「おっさん、金持ちなの?」

 ラブホテルの部屋に入るなり女がそう言ってきた。
 そこはホテルの中でもグレードの一番高い部屋だったからだ。

 ガラス張りの奥には大きなジャグジー付きの風呂が見え、部屋の中央に置かれたベッドはまるで高貴な人間が使うものかのようにオシャレな天蓋に覆われていた。

「金持ちなんかじゃねぇよ。でも、セックスのためなら金は惜しまねぇ主義だ」
「なにそれ、気持ちわる……」

 源の言葉に女が鳥肌を抑えるように両腕をさすった。

「なにも気持ち悪くはねぇだろ。稼いだ金を酒に使うやつもいればギャンブルに使うやつもいる。おれはそれをセックスに使ってるだけだよ。……ほれ」

 源がラブホテルには必ず備え付けられているセックス同意書を女に手渡す。

「はぁ? なにこれ。同意書求めてきたヤツなんて初めてだよ」
 女が呆れた顔で同意書を受け取る。

「仕事上こういうことでモメたくないんだよ」
「……仕事? こういうことでモメたくない仕事ってなによ」
「まぁ、言うなれば、――性の伝道師、かな」
「……はぁ?」

 ******

 まるで直前まで全力疾走してきたかのような呼吸音が部屋に響いている。

「おっさん、ヤバすぎ」
 汗だくで息も絶え絶えの女が源の腕の中で苦しそうに呟く。

「当たり前だ。これで飯食ってんだからよ」
 源も満足そうに笑いながら女の髪を撫でた。

「マジヤバ。クスリ食ってる時と同じくらいヤバかったよ。……あ、そうだ」
 女が不意に源の腕から抜け出し、自身のカバンをまさぐる。

「ねぇ。今度はこれ打ってからやろうよ」
 そう言って女は小さなポリ袋に入った粉を源の顔の前に持って来た。

「おめぇ、ヤクなんかやってんか」
「悪い? こんなクソみたいな人生、こんな楽しみでもないとやってらんないでしょ」

 そう言って女が袋を開けようとした瞬間、源が袋ごと女の手を引っ叩いた。

「いった……。なにすんだよ!」
「お前よぉ。そんな若いのに人生ぶっ壊れてもいいのかよ」

 源が女の目をまっすぐ見ながら顔を近づけた。

「ふざけんなよ! 何も知らないくせに! 私の人生なんかとっくの昔に壊れてんだよ!」

 女が金切り声で叫ぶ。その目には薄っすらと涙が滲んでいた。

「そんで? クソみたいな人生から逃げ回るためのクスリを買うためにおっさんら相手に立ちんぼか?」
「そうだよ! 悪いかよ!」

 投げやりに叫んだ女の目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

「……はぁ、仕方ねぇ。……お前、おれが預かってやるよ」
 源がどこか観念したかのように頭をかきながらそう言った。

「預かる?」

「路地裏で立ちんぼしても、せいぜい孤独なおっさんがひとり気持ち良くなって仕舞だろうがよ。でも、おれの仕事なら何百、いや何千という男を孤独から救えるぜ?」
「アンタ、何言ってんだよ」
「AVに出ろって言ってんだ。話はおれが全部通してやるからよ」
「AV? なんでそんな……」
「おっさん相手にしてたって単価は上がらんだろうが。こっちならやる気さえあればその何倍だって稼げるぞ。――クソみたいな人生を変えるラストチャンスだ。どうだ? やるか?」

 源の言葉に、女が思案するように目を伏せる。

「……でも、なんで今日会ったばかりの私にそこまでしてくれんだよ。どうせヤバイ会社なんだろ?」

 女が源に疑いの目を向けるが、源はどこか照れ臭そうに笑みを浮かべた。

「お前な、右目の下に涙ぼくろがあんだろ」

 女が確認するかのように自身のほくろに触れる。

「あるけど、……だから?」

「別れた女房との間にな、娘がひとりいるんだ。お前さんより少し年が若けぇがな。うちの娘にも、お前さんと同じ場所に涙ぼくろがあるんだ。だから、なんだかよ」

 源は照れ隠しにわざとらしく伸びをする。そんな源を見て女が吹き出した。

「なんだよ、それ。……娘さんの名前、なんていうの?」

「あ? 名前か? ユウキだ。優しいに、希望の希で優希」

「ふふ、いい名前じゃん。私の親もね、光がたくさん浴びられる人間になりますようにって名付けてくれたんだって。だから、日が三つであきら。それが今じゃ暗がりでしか生きられない。……とんだ名前負けだよ」

 晶がすんと鼻をすする。

「なぁに、まだ間に合うさ。……どうだ晶。おれを信じて、いっちょ日の当たる場所に行ってみるか?」

 源の問いかけに、晶がゆっくりと頷いた。

「よし、そうと決まれば善は急げだ。明日からさっそく勉強させてやるから、今日は事務所に泊まれ。あと約束だ、二度とクスリには手を出すなよ。……約束出来るか?」
「……分かったよ」

 そう言うと晶は立ち上がり、源に弾かれたポリ袋を拾い上げ、トイレに向かいそれを流した。

 ******

 それからというもの、つきっきりで源の指導が始まった。

 現場見学に行ってはカメラワークや表情の作り方、さらには各種技術まで。
 晶は元来真面目な性格だったようで、新入社員さながら小さなメモ帳を持ち歩き、学んだことを細かく書き記していった。

 さらに源の指示通りご飯をしっかり食べるようにした。
 クスリを止めたせいもあるだろうが、痩せすぎとも言えた晶の身体がふっくらと女性らしい体つきになっていった。

 そうしてついに、デビュー作の撮影が決まった。

 現場に行った晶の第一声は「え? 相手は源さんじゃないの?」だった。

「当たり前だろ。おれは売れっ子男優だぜ? 新人の相手なんかしてらんねぇよ」

 そう言って笑う源に対して、晶は不満げに口を尖らせた。
 そして撮影が始まろうとしたその時、晶が源のそばにきてこう言った。

「源さん、外に行っててよ」
「あん? なんでだよ」
「見られたくないのっ! それくらい分かってよ!」

 恥ずかしそうに叫んだ晶に対して、源は鼻で笑ってから大人しく指示に従い部屋から退出した。

 晶のデビュー作はそれなりに売れ、それからも精力的に撮影をこなし何作もの作品を世に出した。
 いつしか業界の認知度も上がり、ファンといえる存在もそれなりに出来ていた。
 しかしその間、源は一度も男優として晶の相手をしなかった。

「いいのかい? ゲンさん」
「あぁ? 何がだよ」

 埃っぽいオフィスでスキンヘッドの男――監督のスギちゃんがソファーでくつろぐ源に声をかける。

「晶。アンタに惚れてんだろ。記念に一回くらい相手してやってもさ」
「なにを言うかと思ったら。スギちゃんよぉ。おれは仕事とプライベートは分けてんだ。おれの相手をしたかったらトップ女優にでもなってもらわないとなぁ」

 小指で耳をほじくりながら言う源に、スギちゃんが大きく息を吐いた。

 晶はその後も順調に女優街道を突き進み、不動の人気を獲得しつつあった。――そんなある日のことだ。

「ゲンさん、晶どこにいるか知らねぇか?」
 スギちゃんから源に電話が入った。
「あぁ? 知らねぇよ。なんかあったのか?」
「もうすぐ撮影する時間なんだけどよ、姿見せなくて」
「んだよ、寝坊でもしてんのか? 分かった。ちょっと家見てくるわ」
 源は電話を切ると、しぶしぶと言った様子で晶の家へと向かった。

 当時、すでに女優としてそれなりの報酬を得ていた晶は、家賃二十万ほどのマンションに居を構えていた。

 源は晶の部屋の前まで行くと呼び鈴を使わずにドアを叩いた。

「おーい、晶。いるかー?」

 何度か呼びかけてみるが反応はない。
 諦めて帰ろうかと思った源だったが、気まぐれにドアノブを回してみると何の抵抗もなくドアが開いた。

「おーい、晶。カギ開けっ放しだ――」

 玄関に一歩踏み入れた源の言葉が途中で止まる。
 源の目に映ったのは明らかに荒らされている室内だった。

「おい! 晶! どこにいる!」

 源が靴も脱がずに部屋に飛び込むと、部屋の隅で伏せっている晶の姿を発見した。

「おい! 晶!」

 慌てて駆け寄りその上半身を持ち上げると、源の手にべっとりとした液体の感触が伝わってきた。

 ――血だ。

「おい! 晶! 何があった!」

 源が大声で呼びかけると、晶の目がうっすらと開いた。

「……ゲン、さん」

 今にも消えてしまいそうなそのか細い声が、猶予が無いことを告げていた。

「今救急車呼んでやるからよ! 死ぬんじゃねぇぞ!」

 携帯を取り出そうとした源の手に晶の手がふわりと乗った。その手は驚くほど冷たかった。

「ゲン、さん。……あいつら。……私の家探し出して」
「なんだ晶? あいつらって誰だ」
「あいつら……、昔、私がクスリを買ってたやつら。……またクスリ買ってくれって」
「なんだって……」
「でも、私……、断って……、そしたら過去のこと黙ってやるから……、金を出せって」

 そこまで言うと晶がひどく咳き込んだ。咳き込む度にその口から真っ赤な血が飛び出してくる。

「晶、もうしゃべるな」

「……でも、私、ちゃんと断ったよ。……ゲンさん。私、ちゃんと……、クスリ断った……」

「分かった! 分かったから!」

 晶の言葉を制す源の目から涙が止めどなく溢れ出ている。

「分かったからもうしゃべるな。偉かったぞ。偉かったな」
 源が晶の頬を優しく撫でる。

「……ゲン、さん。……あぁ、私。……日の当たる場所に、連れてきてく、れ、……て」

 それっきり、晶の身体から力が抜け落ちた。

 ******

「もう何度も話したけどよ。あの後ほんとに大変だったんだぜ?」
 墓の前で胡坐あぐらをかいて座っていた源が墓を見上げる。

「まぁ、お前のお陰で、おれも業界から足を洗うきっかけが出来たからよ」
 源がよっこいしょと腰を上げる。

「あの日、お前に言ったよな。AVの世界のことを『何千という男を孤独から救う仕事だ』ってな」

 源が大きく伸びをする。

「……なんの因果かなぁ。おれは今でもやらせてもらってんだよ。――『人を救うセックスの仕事』をな」

 そう言って源がへへっと笑った。

「そんじゃ、また来年も来るからよ。また土産話でも持ってくるわ」

 そう言って源が見つめるその墓はまるで彼女の名を表すかのように、墓地の中央、たくさんの日の光を浴びる場所に立っていた。


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