女でも痔瘻になったから、入院して手術してきたわよ ~術後から退院編~

ケツがマジで地獄みてえに痛えええええええええええ~~~~!!!!

 夕方、手術を終え病室のベッドに戻された私は、鎮静剤や麻酔の効果もあり、しばらくうとうとしていた。気づけば消灯時間になり、看護師さんが私の様子を見にきてくれた。消灯時間ともなれば、下半身の麻酔も和らいできた頃だ。看護師さんは「あまりにも痛かったら呼んでくださいね」と言って去って行った。
 インターネットには先人達の「術後の夜が地獄」という話が数多上がっていたため、私は枕元に与えられたカロナールと水を用意して消灯した。

 ケツが痛い。消灯して一時間ほどが経ち、脚のしびれがなくなったと同じころ、尻の痛みがMAX MAXIMIZERになった。痛すぎて頭ん中にHAERETICSが流れはじめたため、カロナールを飲む。
 カロナールは一割程度の痛みを緩和してくれたが、そもそも痛みがあまりにも強大であるため、残りの九割でも充分に人を殺すに足る。私はナースコールで看護師さんに泣きつき、看護師さんが持ってきてくれた筋注によって一瞬で寝た。その後は朝まで一度も目覚めることもなかった。麻酔銃を撃たれた熊ってこんな感じなんだろうな、と朝起きて思った。なお尻は痛い。

 朝食は白米、切り干し大根の煮物、梅干し、昆布の佃煮、豆腐の味噌汁、ふりかけ、ヤクルトというメニューだった。粥だか重湯だかを与えられるかと思っていたが、存外きちんとした食事だと思った。

 それにしたって尻が痛い。カロナールとかいう薬には本当に痛み止めの効果があるのだろうかと猜疑心に苛まれる。昼食前には術後の診察があり、採血され、尻の様子を見られ、具体的にどのような手術をしたのかという説明があった。端的に言うと、切って切って縛って焼いて焼いたとのことだった。そら痛いわ。痛む尻をいたわりながら病室に戻り、麻酔だかカロナールだかの効果でうとうとする時間が長く続いた。昼下がりに目が覚めると、同室の女性が飲むヨーグルトとバウムクーヘンをくれた。はちゃめちゃにおいしかった。これ以来バウムクーヘンのことを狂おしいほどに好きになった。

当たり前のことを言うんですけど、飯を食うと、出るものは出るんですよね。

 私が入院した病院は病院食にとても力を入れているようで、出てくる食事全てがおいしく、丁寧に作られていた。尻が痛いという点及び肝臓の数値と血圧以外についてはまったくもって健康であるため、食欲は普通にある。魚の西京焼きや皿うどん等、バリエーションも豊かで、本当にこの病院に入院してよかったと思っている(トイレ設備からは目をそらす)。

 そのようにおいしい食事を堪能しているので、出るものは出ます。切って切って縛って焼いて焼かれたところからなんか出そうとしたらまあそれは痛いに決まっていますね。痛いです。嘘偽りなく申し上げますが痛いです。お通じに気を遣ったメニューであるため、そこまで負担はなかったとは思っていますが、痛いです。ウォシュレットで洗われるときもしっかりと痛いです。

 なのでもちろん座っているだけでも尻が痛い。寝るにも痛いし起きるにも痛い。パラマウントベッドさんの力を借りても痛い。同室の女性と「いたたたた」「いててて」「あいたたた」「いってえ~~」を言い続ける生活。ゲームする元気もないので、比較的受動的にいられる『マンガを読む』という娯楽がこの入院生活での最適解だったように思う。

 術後は薬剤をぬりたくったガーゼを患部に当てて、トイレの度に交換する、というルーチンを繰り返す。痛みと設備の観点からトイレに行くのは正直億劫だったが、ガーゼを交換するとやや痛みが緩和されるような気がしていた。多分これは気のせい。

退院の日

 今回の入院手術は三泊四日の日程で行われた。四日目の朝、看護師さんがやってきて「きのうの血液検査大丈夫だったので、退院できますよ~」と軽い感じで仰った。こんなにも尻が痛いのに、退院してもいいらしい。していいなら退院しよう……。

 荷物をまとめ「ニンテンドースイッチ持ってき損だったな」と思いながら、同室の女性に「お世話になりました」とお伝えし(その方も同日退院だった)、ナースステーションに挨拶にいったら誰もいらっしゃらなかったため、「お世話になりました」と突如姿を消した居候のような書き置きを残して私は退院した。

 退院はしたが、その後経過を見るために通院はしなければならないということで、週一で病院には赴くことになる。
 家で出すものを出すときの痛みに半ギレになるも、「ウォシュレットがないなら、赤ちゃん用のお尻拭きでお尻を拭くといいですよ」という看護師さんの教えを思い出し、帰り際にムーニートイレに流せるお尻ふきを購入。安いイオンのPB品よりも、今は頑張っている自分の尻をいたわろうと思った。

 ゲームセンターに寄った後に帰宅し、ほっと一息つくことができた。しばらくは「いたたた」「あいたたた」「いててて」という発語しかできないが、それでも家の安心感は格別だった。

 だが言われた通りにガーゼの交換を行い、座薬を入れ、薬を飲み、1週間禁酒というクソデカ壁を乗り越えた私に与えられた試練は、あまりにも厳しすぎるものだった。

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