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予定通り

東京マラソンを欠場することになった。

もちろんタイトルとは真逆の結果で、勝負の土俵にすら立てない自分に苛立ちと失望感が溢れている。

昨年の10月に1ヶ月入院し、その後コロナにも罹患してようやく仕切り直せたのが12月。

そこから3月に間に合わせようと焦る自分との戦いを続けながら一歩一歩体調を上げていけていたはずだった。

1月中旬ごろから右足の脛骨に違和感が出てきて、それが段々と痛みに変わっていった。

たくさんの方にお世話になりながらトレーニングを継続してスタートラインに立つ道を探したが、強い痛みがそれを許してくれなかった。

検査の結果は疲労骨折。

自分の競技人生においてもう何回目かも正確に思い出せないほど経験してきた怪我だ。

今回についてもその経験からなんとなくの予感はあったが、それを認めてしまうとなんとか前進を続けていた心が止まってしまう気がして見ないふりをしていたのだと思う。

そこで止まることができなかったのが自分自身の弱さであると同時に掲げた目標を達成するためには仕方なかったと感じてもいる。

普段ランナーさんを指導させてもらう中で何度も口にする「くれぐれも怪我には気をつけてくださいね」や「おかしいと思ったらすぐやめましょう」など、どの口が言っているんだという有様だ。

散々応援してもらっておいてスタートすらしないとはどういうことだと思われても仕方のない現状である。

自分に対しても他人に対してもネガティヴなことを口にするのはできる限りしないように心がけてはいるのだが、このnoteにぐらいなら吐き出してもいいのではと思い書き進めている。

「スタートラインに立つことが一つの勝利」という大迫傑君の言葉が改めて身に染みている。

ただ、そうはいっても自分で決めたゴールはまだ先なのである。

5月にもう1つ海外でのレースを予定している。

精神的な動揺がまだ落ち着いていないのも事実だが、それでも進み続けるしかない。

諦めなければ全て報われるなんて心から信じるには裏切られ過ぎているが、どんなに裏切られても自分の可能性を信じて飛び込むことはまだやめられそうにない。

この挑戦がどんな結末を迎えるかはまだ分からないが、自分が自分のことを終わっていないと思える限りはやる。

そして、少なからず応援してもらっていることに対してちゃんとやり切って報告をさせてもらいたい。

「人生予定通りにいくことの方が少ない」
とは何かあるたびに必ず自分の中で思い出す言葉であるが、その予定通りにいかないことをいかに楽しむかがランニングのみならず今後の人生において大切なことではないかと感じている。

譲れない思いと予定外を楽しむ気概を持って、再びスタートラインに向かって努力を続けていく覚悟だ。

どうかもう少しだけ見守っていただけるとありがたい。

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