デザイナーにキャリアチェンジして10年
デザイナーとして働き始めて、10年が経った。
10年前の私は、デザインとは関係のない総合職の仕事をしていて、未経験からデザイナーにキャリアチェンジしたのだけれど、あのとき挑戦して本当によかったと思っている。キャリアの節目として当時を振り返りつつ、同じようにキャリアチェンジに挑戦しようとしている人の背中を、そっと押せたら嬉しいなと思う。
Webデザインとの出会い
子どもの頃から絵が好きだった私は、クラスに1〜2人いる「絵のうまい◯◯ちゃん」というアイデンティティを持って、学生時代を過ごした。大きくなるにつれて自分のレベルや現実がわかってくるので、絵で食べていこうとは思わなかったけれど、夏休みの工作や遠足のしおり、学級新聞など、ものを作ることがとにかく好きだったので、将来はクリエイティブな仕事がしたいと、漠然と思っていた。
でも、クリエイティブな仕事ってどんな仕事?を言語化できないまま、勉強もそんなに得意じゃなかった私は、いちばん成績の良かった国語を活かすという理由だけで文系大学へ進学。そしてそのまま就職の時期を迎え、地元の中小企業に総合職として就職することになった。
就職してからは、ECサイトの運営・企画に携わることになり、毎日が勉強で充実した日々を送っていた。ただ、どうしても「本当にやりたいことはこれじゃないな」と思ってしまい、頭の片隅でずっと「クリエイティブな仕事」について考え続けていた。(考えすぎて「パン職人」とかいう明後日な方向に走りかけていた時期もある 🥐 笑)
ものごとを深く考えてしまうのは、私の悪い所であり良い所でもあるのだけど、先が見えなくなっていた所に追い打ちをかけるように、会社が業績不振に陥った。まさかの新卒2年目で転職をすることになり、正直「私の人生終わったかも…?」と思った。
けれど、高校時代の部活で植え込まれた『ピンチはチャンス』のマインドがここで発揮され、クリエイティブな仕事に近付けそうな企画職で、無事に内定をもらうことができた。そして転職先の会社でWebデザイナーの先輩と出会い、世界が変わり始める。
カラーパレットや図形がたくさん並んだコックピットのようなカッコイイ画面(Photoshop)でLPを作っている先輩の姿を見て、ものすごい衝撃を受けると同時に、「今までやってきたEC業務の知見を活かせる、クリエイティブな仕事だ!」と、目の前の霧がパーっと晴れていくような感覚になったのを、今でも覚えている。
不安で重い、挑戦への一歩
Webデザイナーになるんだ!と決めた私は、さっそく情報収集を始めたものの、10年前の当時、すでに就職している社会人がWebデザインを学ぶための選択肢は、まだそう多くはなかった。
第一候補のデジハリは学費やパソコン、Adobeツールを揃えるために大きなお金が必要だったし、リモートの概念もなかったので、平日夜間・土日に学校まで通って、勉強や課題制作を行わなければならない。
新卒からコツコツ貯めた大切な貯金を、ほぼ全て使い果たすことになる不安。仕事と学校を両立させる体力気力が続くのかという不安。なによりも当時の私は、「もう25歳なのに、ここで失敗したらこの先の人生が終わってしまうんじゃないか」という思いが強かった。心で「やりたい!」と強く思っていても、不確実なものごとへの挑戦の一歩は、とてつもなく不安で、重い。
人生で一番若いのは、今この瞬間
他にも専門学校の資料を取り寄せてみたり、オープンキャンパスに行ってみたり、デザイナーの先輩に相談したり、思いつく限り色々な可能性を探ってみた。だけど、選択肢を増やせば増やすほど悩みが増える。私はどこで学ぶかを一旦横に置いて、5年後(30歳になった自分)の未来を2パターン想像してみた。
① 挑戦しなかった未来:今と変わらず、クリエイティブな仕事を探し続けている気がする。状況は今と大して変わっていない可能性が高い。
② 挑戦した未来:デザイナーとして働けている可能性がある。今よりはクリエイティブな仕事に関わることができて、楽しめているかも。
どう考えても後者がいい。後者になるんだという覚悟はできた。
でもまだ不安を拭えず、もう一つ背中を押す何かが欲しかった私は、本屋をフラフラと歩き回り、たまたま目に止まった本田健さんの『20代にしておきたい17のこと』を手に取った。本の冒頭には、こんな言葉が書かれている。
「若いときは自分の若さに気付けない」
「人生でいちばん若く、いちばん歳を取っていると感じる ”今”」
今思うと25歳なんてめちゃくちゃ若いし、可能性しかないと思うのだけど、たしかに当時の私は真剣に「もう25歳だし…」と思っていたし、それが一歩を踏み出せない大きな要因になっていた。
でもこの本を読んで、今この瞬間が、人生でいちばん若くていちばん歳を取っている状態だから「もう25歳だし…」と不安に思うのは当たり前の感情なんだ。と、自分で自分を受け止めてあげることができた。
もし30歳の私が隣にいたら「何言ってるの!全然若いよ!大丈夫だよ!」と言うだろうし、30歳になって「もう30歳だし…」と言ったら、40歳の私が同じように「コラ!全然若いよ!頑張れ!」と言うはず。それがずっと続いていく。
人間、いくつになっても今この瞬間がいちばん若くて、いちばん可能性に溢れている。ということが、ストンと腹落ちした瞬間だった。本心から年齢に囚われない考え方ができるようになったのは、この本のおかげだし、今でも人生の軸として大切にしている。
理想と現実、気合と根性
不安を拭い去って、スーパーポジティブな気持ちで入学したデジハリは、半年間にカリキュラムがギュッッ!!!と詰め込まれていて、フルタイムで働きながらの通学だった私はとにかく時間がなかった。広告によくあるキラキラデザイナーの理想とはほど遠く、学校に泊まり込んで課題をする日もあった。理想と現実のギャップは、多くの新米デザイナーがぶつかる壁だと言われているけれど、入学当初20人近くいたクラスメイト達も例に漏れず、徐々にドロップアウトしていき、最後の卒業制作を提出する頃には一桁に…🥲
この頃のデザイン業界は、まだこういうガッツリ体育会系の思想が強かったし、良くも悪くも、ふるいにかけられることが多かったようにも思う。
さらに、ハードな授業と課題を乗り越えて卒業できたとしても実務経験がないため、デザイナーとして就職するハードルはとてつもなく高いという現実があった。私は、スキルも経験もないのは事実なのだから、他に使えるものは全部使うしかないと思い、在学中に知り合った制作会社の社長に「雇ってください!!」と押しかけ、気合と根性を買ってもらい(笑)、運良くデザイナーとしてキャリアをスタートすることができた。
当時を振り返ると本当に必死だったし、内向的な私がよく行動できたなと思うけれど、そのおかげで今の自分がいるのだから、感謝しかない。
キャリアの基礎を作った修行の3年間
無事に制作会社のデザイナーとしてキャリアをスタートできたものの、気合と根性だけで雇ってもらった私は、本当に素人同然だった。学校と実務は全く違うと覚悟していたけれど、こんなにも違うのかと打ちのめされた。先輩たちが全員、全知全能の神様のように見えた。(本当に、、、)
だから1日でも早く戦力になりたかったし、なにより自分で「やりたい・やるんだ」と決めたキャリアチェンジなので、折れてる場合じゃないぞ。と、必死に自分を奮い立たせて頭と手を動かし続けた。
正直無理かもしれないと思った瞬間は何度もあったけれど、根っこにある「この仕事が楽しい」という気持ちは消えなかったし、素人を拾ってくれた社長への恩義も返したかった。3年間は何があっても必死に頑張ってみて、ダメだったら潔く諦めて違う道に進もう。そう決めて、朝から晩まで仕事に明け暮れた。
そうして、3年後、周りの優秀な先輩たちには及ばないながらも、デザイナーですと胸を張って言えるような実績ができ、後輩の育成も任せてもらい、25歳のときに思い描いた自分を現実にすることができた。
育ててもらった感謝を胸に、働き方を制作会社→インハウスデザイナーに変え、ECサイトの運営企画経験を活かしたマーケティングや、チーム作り、プロダクト開発など、できることの領域を少しずつ広げながら、10年経った今も、私はデザイナーとして働き続けている。
挑戦を決めた25歳の自分に、感謝を
10年という数字だけ見ると、私はもう立派なシニアデザイナーだけれど、まだまだ勉強だと感じることがたくさんあるし、目まぐるしい業界変化の波に溺れそうになることも、悩み苦しむこともたくさんある。美大や専門学校を出ていないから、基礎が抜けているというコンプレックスもある。
でも、デザイナーになる前に感じていた「本当にやりたいことはこれじゃない」という感情は、もう浮かんでこない。「デザインが好き」という気持ちも、10年前から変わっていない。一生勉強を楽しみながら、20年目も、30年目も、頭と手が動く限り、変わらずこの仕事を続けていたいと思っている。
こんなふうに思えるのは、仕事を通して出会ったたくさんの方々、そして10年前にキャリアチェンジに挑戦してくれた25歳の自分のおかげ……あと、ほんの少しの運もあるかもしれない。ありがとう。
挑戦の一歩を踏み出すのはとても大変なことだけど、これからも過去の自分に感謝できるような生き方をしていきたいと思う。
改めて、25歳のあのとき、デザイナーへのキャリアチェンジに挑戦して本当に良かった!
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