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人生はどんなふうに生きてもいい(妊孕ヨガ月と花ブログより)

私は30代後半に、平和な世界を目指したい、世界の分断をなくしていきたいと思い、芸術の舞台で発信する道を選ぶようになりました。
それは流産や不妊という出来事があったからこそ出会えた道でした。

世界中の子どもたちのために平和な世界を目指すことで、間接的に子育てに関わることもできる、という個人的な思いもあります。

今回も2つの記事を載せたいと思います。

(ここからが転載)

30代後半に突入した頃、私は妊孕ヨガを卒業することにしました。
なぜかと言うと、やりたいことが見つかったからなんです。

妊娠を望んでいたときは、子どもがいたらこんなふうに育ってほしいとか、こんなことをしたいとか、子どもがいる人生を思い描いていました。
でもだんだんと現実が迫ってくるようになり、子どもがいなかったらどんな人生になるんだろうと、少しずつそのことに向き合うようになりました。

子どもがいないというと、日本では特にマイナスイメージがまだまだ強いように思います。
子どもがいたら楽しいし、幸せな人生だと思うけれども、
子どもがいなくても楽しくて幸せな人生は送れます。

我が子を育てるという貴重な経験は叶わないかもしれないですが、もしどうしても子どもが欲しい、子育てを経験したいと思うのならば、今の時代お父さんお母さんと離れ離れになったお子さんを引き取るという手段もあります。
もちろんそれは大変なことだし責任も重いけれども、自分の子どもを育てることだって同じだと思います。
そして子どもがいないということは、お金にも時間にも子育て家庭と比べれば余裕があると思うんです。

だとしたら、自分はこの人生を何のために使おうかと、ワクワクしながら考えていくのもいいんじゃないでしょうか。

●私にもできることはある

子どもを諦める、という言い方をすると、なんとなくネガティブな悲しい印象を受けるかもしれません。
でも人生の中で道はひとつではなくて、こっちじゃなければこっちの道を行こうというふうに、本来自由なものだと思うんです。
今の時代は特に、周りから縛られているものがなければある程度選択できる人生だと思います。

私は自分の子どもを持つことは無理かなと思ったとき、どうしても子育てをしたいという思いには至りませんでした。
ただ、自分の子どものために注ぐつもりだったエネルギーを、何か別の形で使えないだろうかと考えました。
そこで出会ったのが、愛と平和のメッセージを芸術に乗せて伝える活動でした。
その中で印象に残ったのは「世界中の子どもたちを自分の子どもたちだと思って」という言葉でした。

最初に聞いたときはそんなふうにはとても思えなかったし、自分の子どももいないのに人様の子どもを愛せるだろうかと思っていました。
変わっていったのは、その活動の中で子どもたちと実際に触れあっていくようになってからでした。
それまであまり子どもとの接点がなかった私ですが、無邪気な姿に触れていくうちに、この子たちの未来を守りたいという気持ちが生まれてきました。

命をつなぐという意味では、私には何もできないかもしれないけど、周りにいる子供たちのために、その子たちの未来のためにできることはあるかもしれないと思い始めました。

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