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半分のオレンジとタンゴにおける男女の話

書き手:Haruna

タンゴってセクシー、親密、恋人以外とこんなに近づいて躍るなんて!とはよく言われる話。実際にタンゴを踊る筆者(アラサー女)は何を考えているのか、タンゴの魅力が多少なりとも伝わるよう、主観たっぷりに自分目線で綴ろうと思う。

半分のオレンジ

スペイン本国の言葉で"Media Naranja"という表現がある。直訳すると「半分のオレンジ」。自分の片割れである運命の相手を指す。自分単体では不完全であり、ぴったりの相手を見つけて初めて完全体になるという恋愛観だ。これは明らかに古代ギリシア、プラトーンの「饗宴」で語られるアリストパネスの演説からきている。この話は結構有名で割とあちこちで語られている。例えば "Hedwig And The Angry Inch"  というミュージカルの楽曲 "The Origin Of Love" はまさにその演説の内容そのままだ。

ざっくりと内容を説明すると、元初人間には1つの胴体から4本の腕と4本の脚が生え、顔は2つで頭は1つ、360度見渡せてめちゃくちゃ速く動けて調子に乗っていたので神様が怒って半分に引き裂いた、それが今の人間の形。だから現在の私たちは失われた片割れを求めている、それを愛だの恋だのと呼ぶのだよ〜という話。

私はタンゴと恋愛を重ねるつもりはないが、二人の人間が一体となって動く時の万能感みたいなものは、目指すべきタンゴのゴールなのかなと思う。その相手が「唯一無二のダンスパートナー」でも「ミロンガ (タンゴのダンスパーティ)で偶然出会ったリーダー」であっても構わない、とにかく踊る瞬間だけは神が妬むほどに万能で全知全能で無敵だと感じられたら最高よねって話。実際にタンゴを踊っていると、自分一人でいくら練習してもできない動きや緩急の波があって、二人で動いて初めて作り出せる流れ、みたいなものがある。タンゴにおけるほとんどの動きは歩き(とその変型)なのに不思議と飽きないのだ。

官能的でセクシー?

Sakurakoも先日のインタビューで言及していたが、タンゴにもれなくくっついてくる「官能的」とか「愛憎」とかいう形容詞、実際にタンゴを踊る側の感覚からは結構ずれていると思う。少なくとも私は躍る相手の性的な魅了にはほぼ興味がない(まちょっと嘘だけど)。アブラソ(抱擁の形)の気持ちよさ、身長のバランス、重心の位置、リズム感などなど、セクシーさよりも大事なものがたくさんあるので、顔や腹筋は後回しだ。

先日のインタビュー↓↓↓

ただし一つ言えることは、タンゴには男女それぞれの役割があるということ。男性は男性らしく、女性は女性らしく、服装や動きで「性」をデフォルメする。それぞれの特異点(パートナーと相違する部分、相手に無い部分)を強調し尖らせることで、一体となった時により大きなオレンジを作り出せる。

友人のダンサーは自身をゲイ/オカマと言っているが、「タンゴを躍るときはもうめっちゃくちゃ男になる。ストレートの男よりも男らしく歩くよ。」と話す。男は男らしく女は女らしく振る舞い、全く性質の異なる二人が一つになる瞬間の美しさ、赤と黒、柔と剛、陰と陽、光と影、正と負、、、エトセトラエトセトラ、、、がタンゴの魅力であり且つ官能だの何だのと言われる所以でもあるのだろう。その実、踊り手はみんな少しの嘘をついている。ゲイだって男を演じるし、女だってフロアでは「女」を追加で練り上げているのだ。

男性優位性

タンゴについてもう一つ言われること、男性の優位性。確かに男性がリードして女性がフォローするし、ミロンガでは男性から女性を誘うのだと初心者レッスンでほぼ全員が習う。

前者のリードフォローについては多くの先生方がエネルギーの循環やら互いの体重移動を利用した動きについてレッスンで解説しているはずなので、今回は言及を避ける。

後者、ミロンガ では男性が女性を選ぶのかという命題、多くの女性は否と言ってくれるはずだ。カベセオ(Cabeceo)と呼ばれる、首の動きでフロアへ誘うアクションは男性から女性へ向けて行うことが原則だが、大前提としてアイコンタクトが必要だ。男性が踊りたい女性を見つめるのと同じくらい熱い視線で、女性だって踊りたい男性を目で追っているし、誘われたくない相手とは目が合わないよう全力で努力しているのだ。「今日来ている女性陣はカベセオに気づいてくれないから、席の前まで行かないと」という発言を時々耳にするけれど、本当に??・・・まぁその辺の駆け引きやら粋やらも含めて失敗しながら楽しめるのがタンゴの良いところでもある(自戒も含めて)。

ある恩師に言われた。「女性が男性を『紳士』に仕立ててあげれば、紳士は女性の輝く瞬間を作ってくれる。自分からドアノブに手を掛けるな、男性に開けさせろ。男性が紳士を演じる環境を整えるのが女性の仕事だ。」どちらが優位という話ではなく、フロアでは男女の役割があり仕事と責任があるということ。

ちなみにこの師とはコンペの時にも、

師「決勝はもっと爆発してもいいよ」

Haruna「了解!初っ端からぶちかまします!」

師「違う、馬鹿、タイミングは男が与えるから、その時だけ爆発しろ。男の声を聴け」

Haruna「了解!」

みたいなやりとりをしている。仕事を全うしなければ自由は与えられない。

さらなる理解に向けてはもう「ボールルームへようこそ」を読んでほしい。ボールルームダンス、いわゆる社交ダンスのスポ根漫画だが、パートナー関係についてはタンゴも殆ど同じだ。

自己肯定感爆上げ

性質の異なる二人が一体となって4本脚で歩く美学が根本にあるからこそ、タンゴには「これぞタンゴ」というような美しさの見本がない。背が低くても、太っていても痩せていても、肌が何色でも、とにかく二人が一つになって動いていればビューティフルでハッピーなのだ。特にミロンガ のような、相手を入れ替えて色んな人と躍る場面では、他者との違いこそが重宝される。みんな同じだったらつまらない。若くて美人なら最初は誘われやすいが、結局抱き合って躍るので顔なんか見えない。一人で足りないところは二人で補い合えばいい。とにかく自分が自分のままで他者に必要とされ抱きしめてもらえる、それがタンゴの根源的な魅力であり、国境をこえて世界中の全世代に広まった理由だと思う。タンゴを躍るためにアルゼンチン人になる必要もない。

まとめ

今回初めて主観的なコラムを書いてみたら案の定発散してしまった。陳腐で申し訳ないが、とりあえずそれっぽくまとめたい。

半分のオレンジ、4本脚の美学・・・タンゴで自分の片割れを求め完全体を目指す。

男性/女性のデフォルメごっこ・・・男は男らしく、女は女らしく、多少の嘘をついて演技をする。それぞれの役割があって、どちらが優位ってわけじゃない。

「違い」を抱擁・・・体型も人種も、互いをありのままに受け入れて楽しめるタンゴは世界の共通言語。

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