鑑賞記録1~『消しゴム山』を観劇して


0 はじめに

こんにちは、夢水です。
少し記事に余裕が出来たので、2ヶ月ほど前の演劇鑑賞のことについて書くことにします。
私は、さる2月の中旬に、主催者の方の紹介で、チェルフィッチュという劇団の『消しゴム山』という演劇を見に行きました。この記事では、その感想について書きます。できるだけ内容のネタバレには注意いたしますが、ぜひご覧になったりじょうほうをしゅうしゅうしたりしてからお読みいただけると分かりやすいでしょう。また、2ヶ月前の話を急に書きたくなった者ですから、記憶に若干のずれがあるかもしれませんが、ご了承ください。

1 軽い気持ちで見てはいけない演劇

この『消しゴム山』という演劇は、軽い気持ちで見てはいけない演劇だったというのが率直な感想です。言葉を選ばずに書けば、「何を伝えたいのかよく分からない演劇」でした。しかしそれは、この劇が駄作だからではなく、わた資の理解力不足にほかなりません。
読者の皆さんが演劇というものにどのようなイメージを持っておられるかは分かりませんが、少なくとも私は、演劇は小説とか映画とかアニメと同じで、起承転結があって、はっきりとしたキャラクターが出てくるというようなことを思い浮かべ、演劇鑑賞の前は、「どんなお話でどんな人が主人公なんだろうか。」なんていう気持ちで劇場に足を踏み入れました。
するとどうでしょう。具体的な言及はしませんが、この演劇は、そういう私の予想を春賀に覆す抽象的なお話だったのです。何という名前の登場人物が出てきて、話はどのような結末で終わったのか。実は、ネタバレをしたくてもうまく思い出せないというのが今の私の心境です。
だから、「軽い気持ちで見てはいけない。」と私が書いた所以はそこにあります。この演劇は、お話を楽しんで鑑賞するというよりもむしろ、しっかりと頭を使って状況を整理したり、それぞれのシーンでのキャラクターたちの動きが何を表しているか国語の授業さながらに考えたりすることが求められます。一般的な演劇以上に、寝たら話しについて行けなくなります。


2 会話の少なさ

この演劇の理解を難しくしているのは、話が抽象的だからと言う理由だけではありません。おそらく、私の理解を緩慢にしたのは、会話量の少なさであると考えます。
私の記憶が正しければ、劇中で交わされる会話というのは本当に限られています。モノローグ(一人語り)をするシーンはある者の、誰に話しているのかよく分かりません。
視覚に頼って演劇を鑑賞できないが故のことなのかもしれませんが、どれだけ抽象的で未知の領域のストーリーでも、会話があればなんとかそのつかみ所の無いストーリーにしがみついてその会話を手がかりにお話を理解しようとするというのが私の特徴です。これは演劇に限った話ではなく、小説とか映画でも、会話の少ない者には不安感があります。
今回の演劇がまさにそれでした。上記のように、たまに出てくるモノローグが手がかりにはなるものの、会話に比べれば確実な理解というわけには行かず、理解しようとしても、分からない不安感に負けてしまうのです。
大事なのは、会話料を作り手や縁者に求めるのではなく、分からないことの不安感を拭い去って、忍耐強く積極的な観客になることなのです。そのためには、やはり鑑賞に慣れることが必要でしょう。


3 静寂と境界線

もう一つ、私を不安にさせたのは音の問題です。
この演劇を鑑賞した多くの方がおっしゃっていたことですが、まず劇場に入ると、何の音かは分からないけれど低くて耳や胸に響く音が絶えず響いています。この音は、劇場の設備点検の音とか、近くの建物で工事をしている音とかではありません(むしろそういう音が筒抜けの劇場で演劇鑑賞なんてできたものではありません)。この音が何を表しているかはさておき、そんなうるさい音の中で演劇を見るなんて私はいやだという気持ちが最初はありました。
そしてその音は、ある部分を境に、ピタッと鳴り止みます。途端に劇場は静かになり、その静寂の中で演劇は転回されていきます。
もちろん台詞は聞きやすくなるし、雑音がないのでストレス無く鑑賞できてとても快適でした。ただ、なぜだか心の中に寂しさが残ったことは指摘しておかなくてはなりません。
その感情を寂しさと形容することも何か違うような気がしますが、なんだか自分の体の上に載っていた重りが取れて体が軽くなった分、歩きやすくなったのにふわふわしてバランスが取りづらいような間隔でした。もう少し具体的に言えば、水泳の練習中、パドルを付けてクロールの手の動きを練習したあとにパドルを外すと手が軽くなって動きやすいけれど水の感触が軽くて思ったように動かせなくなるというような感じです。
その得体の知れない音がなくなって、劇場が静寂に包まれたとき、私が感じたのは寂しさだけではありません。静寂は暗闇と同じで、自分がどこにいるのか分からないような錯覚を与えます(私は暗闇しか体験したことがないので予想に過ぎませんが)。これはつまるところ、観客と舞台の境界線が剥がれ落ちたことを意味するのではないかと思うのです。そして、その境界線を担保していたものこそ、あの得体の知れない大人のです。もちろん、舞台上でモノローグなどの台詞が聞こえれば自分は観客だと気づくのですが、静寂に包まれればそれも忘れてしまいます。
視覚に頼って演劇を鑑賞している人たちは、静寂の中に動きがある場合には観客と舞台の境界線を感じられるでしょうが、静寂によって何の情報も無い私たちのような存在はここで境界線のない別次元に放り出されます。その放り出された感覚が寂しさであり、錯覚であったのかもしれません。


4 音声ガイドを使ってみたが…

私がこの演劇鑑賞のお誘いをいただいた目的の一つに、この演劇の音声ガイドの感想を知りたいからという主催者の方の依頼がありました。そのため今回この演劇鑑賞に際しては、音声ガイドを使用しました。ただ、今回の演劇の音声ガイドは、「エクストラ音声ガイド」というもので、一般的な音声ガイドとはかなり異なった性質を持つものであるということが前提です。
つまりどういうことかというと、舞台で繰り広げられている状況を細かく伝えたり、作品情報を開示したりというような、一般的な音声ガイドが担うべき役割を果たしているわけではないのです。実際、たまに舞台の状況をガイドしてくれることはあったものの、自分の理解を助けてくれるということは少ないのが現状でした。
音声ガイドの立ち位置をどうすべきかという議論は音声ガイドの恩恵を享受している人たちの間でも意見が分かれていたり、対象となる作品の特性を鑑みて変える必要があったりと、考慮すべき点が多いです。そしてその中でも今回の音声ガイドは、ある程度の助けにはなるけれども基本的には自己責任での理解が前提という感じが否めませんでした。私としては、あれぐらいの情報量の音声ガイドがちょうどいいと思うのですが、それはあくまで一般的な作品の話です。『消しゴム山』のように理解の難しい作品では、やはりもう少し情報量がないと不安です。
ただ、音声ガイドの情報量を多くするだけで解決するような問題ではないとも思います。なぜなら、上記の静寂による境界線の喪失という体験ができなくなる可能性もあるからです。重要なのは、視覚に頼って演劇鑑賞をしている人たちにはわかっている情報がそうでない人たちに伝わっていないという情報の不平等性が多い場合、それは妥当な音声ガイドと言えるのかという問題であり、どの程度観客に状況を分からせたいのかということと、どの程度平等に分からせたいのかという二つの側面を考えなくてはいけないのではないでしょうか。


5 鑑賞後のリフレクション

このように、初心者にとって難しい作品の場合、おそらく最も大事なのは、音声ガイドとか作品情報の事前リサーチもそうですが、やはり事後のリフレクションは欠かせません。しかも、一人で振り返るだけでなく、観客同士や、できれば観客と作り手との間でのリフレクションが大切です。
私も、鑑賞後に主催者の方とお話しする機会をいただき、直接音声ガイドの感想をお話ししたり、こんなところが分からなかったと言うことをお伝えしたりできました。そして、そのような時間があったからこそ、この作品のいろいろな魅力に気づくことができたような気もしています。
一人で見に行った場合はこのようなリフレクションは難しいかもしれません。その場合は、知り合いに自分の鑑賞した演劇について紹介することでそのリフレクションの代わりになるでしょう。知り合いの方はおそらくその演劇を見ていないと思うので、きっと様々な質問が飛んでくることでしょう。それに答えることで、自分の理解がまた深まることにつながるのです。リフレクションを経ることで初めて作品鑑賞は完成するということを、今回実感することが出来ました。


6 おわりに

『消しゴム山』は、ある登場人物がこんなことをして、それによってこんな結末になったので、こんなことについて考えさせられるお話だ…なんてまとめられないほど抽象的なお話です。でも、そういう作品に出くわしたときの対処法は簡単です。それはずばり、「分からないことを受け入れること」です。
何かはっきりとしたストーリーの流れがわかっていたほうがいいと思うかもしれませんが、全ての物語に確立した流れがあるわけではありませんし、それを完全に分かってしまうということは、作り手に従属してしまっているということにもなります。分からないと言うことは、まだ自分の感情の中で自立して作品を鑑賞できているということです。だからこそ、上記のようなリフレクションが大切です…。
なんて、偉そうな文章になってしまいましたが、それを今回の作品で一番学んだのは他ならぬ私です。私に、新しい演劇の形を見せてくれた『消しゴム山』という作品には感謝の気持ちでいっぱいです。でも、やはりもう少し、自分の鑑賞経験が必要だということも分かったので、これからは様々なタイプの舞台に足を運んでみようとぼんやり計画しています。
それでは、今日はこの辺で。いい夢見てね。

『消しゴム山』特設HPはこちら:
http://keshigomu.online

参考記事:鑑賞マナーをゆるくした『消しゴム山』上演回レポート ~子どもも障害者も劇場へ~

https://note.com/precog/n/n20a13632859d

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