見出し画像

日付のあるnote(2021.10.26-11.15)

2021年10月26日(火) マンモスは絶滅した

 今日から日記を始めます。色々なきっかけがありますが、一言で言えば今の私を記録したいから、と言ったところでしょうか。
 就職活動をやめたとき、「生産性」「効率」といったものから意識的に離れていきました。お昼頃に起き、映画を観たり漫画を読んだりして、ご飯を作って食べて、読書やゲームをしたりして寝る。今日よりいい明日を期待しなかったし、毎日を無為に過ごすことこそが最大の贅沢だと思っていました。競争に負けた自分を癒すには、計られてしまう「価値」から離れる必要があったのです。
 そんな日々を続けていると、驚くべきことに、巨大な不安にとらわれることがあります。こんな私でも働けるのかな、生きていけるのかな、一緒に居たいって思ってくれる人はいるのかな。「価値」から離れた生活をしているはずなのに、自分の「価値」を考えてしまうのです。おそるべき資本主義社会。というか、資本主義がもはや身体化してしまっていることが本当に怖い。 
 こういう風に書き始めてしまうとネガティブですが、これは昨日の私と今日の私が違うことを記すための記録です。以前までは「無為な時間」だと捉えていた時間を捉え直す行為なのです。 
 ここで先日後輩が教えてくれた話を1つ。マンモスが絶滅した理由はいくつかありますが、その1つは寿命の長さだと言われているそうです。生物は環境に適応するために、世代を超えてDNAレベルで少しずつ変化します。つまり、世代交代が早ければ早いほど進化が早くなるわけで、当時からすると寿命が長いマンモスは進化の速度が遅く、地球環境の変化に身体がついていかなかった、と言われているとか。
 私が生きている間にDNAレベルで変化することはできないけれど、昨日と今日の違いが分かれば、変わりやすいのではないでしょうか。要するに代謝をよくしていきたいのです。 
 マンモスの喩えがうまくはまったとは思いませんが、最適な比喩を考えるには今夜は眠すぎるのでまた明日。

2021年10月27日(水) この気持ちはなんだろう

 日記をどの媒体で記すかはとても迷いました。どこでも書けるようにしたい。日付順で読みたい。他者に読まれる文章ではありたいけれど、いいねの数を気にしたくない。まとめて読むときにページを戻ったり読み込んだりしたくない。色々考えた結果、noteのページに増やしていき、見出しごとに日付を分けていくことがベストな方法でした。読みにくいかもしれませんが悪しからず。
 毎週水曜日の20時から、友達4人でただしゃべるだけの「水曜会」という会をしています。みんな頭の回転が早くて関心分野の広い人なので、1週間の中でもっとも2時間を早く感じる時間です。今日はいつもの2人がいなかったけれど、共通の友達が来てくれたので、3人でゆるっとしゃべる会になりました。
 その中で記録しておきたい話を1つ。私は犯罪の大半は犯罪者の個人的要因よりも社会的要因の方が大きいと思っていて、極論社会の作り方次第で犯罪はなくなると思っています。具体的に言うと、Xが万引きをしたのは、①それを手に入れないと教室内で仲間外れにされる②お小遣いをもらえず、手に入れるには盗むしかなかった③妹が万引きしているところがバレそうになったから自分に気を引かせるために万引きをした(③は『万引き家族』ですね)みたいに様々な環境要因が考えられるわけで、Xが先天的に持っている盗人DNAを発揮させたわけではないと思っています。
 それに対して、ある程度は先天的なものであるという意見も出たのが先週のディスカッション。そして今週友達が、どちらの意見もわかるとした上で、「犯罪の要因は社会にあると考えるのは正論であると同時に、(私自身の)希望なのではないか」と言ってくれて、ものすごく腑に落ちました。その人が犯罪者であることを、その人が勉強をしないことを、その人が働かないことを、その人のせいにしたくない。そう信じたいと思っていると気がつきました。
 キングオブコントでザ・マミィが1回目に披露した「この気持ちがなんだろう」というネタに感動したのは、あまりにもそれが理想の社会だったからです。酒井さん扮するぶつぶつとしゃべっているおじさんに、無視されても声をかけ続ける爽やかな青年・林田さん。やり取りの中で、青年はおじさんに財布を預けてトイレへ行ってしまいます。おじさんは財布から札を抜いてポケットに入れようとしますが、「あいつ、俺のこと信じてたな。人に信じられたのって初めてかもな」と思い直し、葛藤しながらも札を財布に戻します。一部始終を見ていた青年は、「僕のお金を盗らないでくれてありがとう。(中略)僕ね、おじさんのこと、大好きだよ」と言います。そしておじさんは「胸があたたかくなる感情」を初めて知るのです。
 ありがとうや大好きだと言われることがなかったから道端でぶつぶつとしゃべっているおじさんになってしまっただけで、そうでない現在もあり得たのかもしれない。さらに言えば、もしかしたら私もそんなおじさんになっていたのかもしれない。私は林田青年のような根気強さと他者への想像力を持っていたいと思うわけです。

2021年10月28日(木) かそけきサンカヨウ

 京都シネマで『かそけきサンカヨウ』を観ました。今泉力哉監督が好きで、今年は『あの頃。』『街の上で』に続いて3本目の公開です。コロナでの公開延期の影響もあるとはいえ精力的ですね。好きな監督の作品の封切りは、嬉しいのと同時にどきどきします。その監督が切り取る世界が好きだからこそ、ハードルが上がっているわけです。
 小説原作なのもあって前半は物語っぽさもありましたが、中盤以降は流れるような展開で、ナチュラルで爽やかでした。内容もあたたかくって、なんだか帰りたくなりました(どこにかはわかりませんが)。
 本作の中で印象的だったのが、鈴鹿央士くんが演じる陸という男子高校生。彼がはっきりと「今の自分が嫌いだ」と言うのです。その強さ、まっすぐさが美しくて、心を打たれました。なぜ彼がそう言うのかは、映画を観てのお楽しみです。
 自分に「好きか否か」という尺度を向けたことはあるけれども、そのときの好きの対義語は「好きじゃない」だなあと思います。「嫌い」は強すぎて使えません。
 考えてみると、昔は思っていたはずなのに、他人に対しても「嫌い」と思えなくなりました。「こんなことをしているけど、この人にも事情があるんだろうな」と思えてしまうのです。
 劇中では「今の自分が嫌いだ」と打ち明ける陸に、母(演・西田尚美さん)は陸が見えていない事情を話します。彼は自分が知らなかった出来事、関係性、時間の流れ、感情を知り、心を揺さぶられます。きっとそのときに「今の自分が嫌いだ」から「今の自分を好きになりたい」に変わったと思います。彼が1つおとなになった瞬間です。
 そのあとの展開も素敵で、心がぎゅっとなりました。なぜか無性に聴きたくなって、クリープハイプの「左耳」を聴きながら帰りました。

2021年10月29日(金) はじめての川西

 初めて川西市へ行きました。尼崎から快速で10分程。交通・アンケート調査のアルバイトをするためです(調査団体が面白いことをしている人たちで、友達に紹介されたのです)。見知らぬ土地の通行人に声をかけるのは億劫ではありましたが、用事がないと行かない街なのでこの機会に行ってきました。
 色々な人に話を聞いてみて一番面白かったのが、「川西で自然を感じられるか」という質問に、川西市内の人はおおむね◯を、川西市外の人はおおむね×をつけたことです。
 川西市は典型的なベッドタウンです。私からしたら駅のロータリーにちょこっと花壇が整備されているだけで、人が住む街という印象。私も被調査者であれば「自然を感じられない」と答えるでしょう。しかし市内の人が「自然を感じる」と答えるのはなぜか。
 「市外の人が訪れる川西」は駅やその周辺のことが多いので、商業施設ばかりで緑が少ない、ということも考えられるでしょう。住宅地には公園がありますし、住んでいる人が自然を感じる瞬間が多いのはおかしくありません。
 印象的だったのが、川西在住のとある女性の回答。「家にいると鳥の鳴き声が聞こえる」。私は「鳥の鳴き声を聴くことが『自然を感じる』なんかーい!」と頭の中だけでツッコミましたが、どうも彼女は大真面目に答えている様子。確かに「自然」とか「静けさ」を表現するために鳥の声が使われることはあるけど……。私の家は鳥の声こそ聞こえませんが、徒歩30秒で堀川に行けますし、堀川には(時期によりますが)セキレイやカモがいます。京都御所や二条城も近いので、都会にしては緑や生物の豊富な方でしょう。
 しかし、ふと沖縄に心を巡らせると、「自然を感じる」どころではない自然が存在していたことを思い出します。海は生活のそばにあって(例えばシャワー代わりに海に飛び込むというように)、植物たちもグロテスクなくらい生き生きとしています。
 沖縄から帰洛し堀川を見て、「コンクリートでしっかり整備されて、始まりから終わりまで水が管理された魚のいない水流だ」と感じたことを思い出します。そんなに月日が過ぎたわけではないのに、今ではもう堀川を川認定してしまっていました。あぶない。
 人が何に「自然を感じ」るのか。それはその人が住んでいる(及び生まれ育った)環境に依拠しすぎてしまうような気がします。川沿いにある住宅街で育った私は、「川=自然」になっているのかもしれません。
 「自然を大切に」とよく言いますが、「自然」の共有イメージを作ることが先決なのかもな、と思ったのでした。
 余談ですが、母のLINEのアイコンがサンカヨウの花になっていたので尋ねてみると、母も『かそけきサンカヨウ』を観た模様。映画の趣味はきっちりと母から受け継いでおりました。

2021年10月30日(土) 忘却の季節

 川西のアルバイト2日目。衆議院選挙投票日の前日なので、選挙活動が活発です。川西市在住の調査員さんによると、兵庫6区は激戦区らしく、現職の自民党議員と比例復活した立憲民主党議員、そして兵庫6区での当選経験のある維新の会の三巴だそう。なんと昼から吉村府知事が応援に来るそうで、維新の気合の入りっぷりがよくわかります。
 昨日の調査担当場所は駅周辺だったのですが、今日の午前中は駅から10分ほど歩いたところにある公園を任されました。全体に芝生が生えていてイベントができる広いスペースもありつつ、水路もあって広場を遊歩道が囲っている……なるほど、これは自然を感じられるスポットに間違いありません。遊具やベンチも過不足なく、子どもを連れた家族からキャッチボールをする大学生、シニアやペットを連れた人まで、様々な層の姿が見受けられました。山の方に目を向けると、斜面を埋め尽くすような家、家、家。いかにも阪急が作った景色、と言ったところでしょうか。阪急が切り開いた山と、人工的な自然と秋の空。不思議なことに、この景色を見て懐かしさを感じるんですよね。結構好きで、落ち着く眺めです。
 話は変わりますが、先日友人が「今の自分を残すために、最近聴いている曲のプレイリストを作っている」と言っていて、日々を記録することは日記以外にもそんな方法があるのだなあと思いました。そしてふと思い出して探すと、ありました。去年の秋のプレイリスト。
 帰り道、駅のホームに着いたら早速再生。5曲22分の短いプレイリストです。1曲目はThe SALOVERSの「床には君のカーディガン」。出だしからギターじゃんじゃか系です。サラバーズは私が中学時代に聴いていたバンドで、当時彼らは24、5歳くらい。尖っていて文学的で、繊細で不器用。私の「永遠の放課後」趣味は、このバンドが形作ってくれました。この歌は情景が鮮明に浮かぶ上に、秋の人恋しさと物悲しさがうまく表現されていて、サラバーズの中で最も好きな曲の1つです。2015年3月をもって無期限活動休止になりましたが、ボーカルギターの古舘くんは別のバンドを始めました。そのバンドが2曲目の「FALL FALL FALL」を歌う2というバンドです。夏が目の前のことを楽しむ季節であれば、秋は目の前にはない何かを想像して「ない」ことを実感する季節だなと思いますが、まさにそんな曲ですね。いいバンドですが、今年の6月にドラマーが離脱して以降活動休止中です。戻ってきて欲しいな。
 3曲目は去年古舘くんの弾き語りソロライブで歌ってくれたDeath Cab For Cutieの「I Will Follow You Into the Dark」。古舘くんは自身で歌詞を邦訳し、ギターを弾きながら朗読してくれたのですが、それが秋の夜長にぴったりでした。「I will follow you into the dark」というスタンスが優しすぎて、そういうのもありえるのかあ、と心にじっとり沁みたことを覚えています。
 4曲目はフジファブリックの「茜色の夕日」です。言わずもがな名曲ですね。実はサラバーズのカバーでこの曲と出会ったのですが、熱のこもった古舘くんが歌うと号泣必至なので(それもまた良い)比較的クールに歌う本家の方を聴いています。
 そして最後の曲がチョモランマ・トマトの「無垢ではない」。このバンドは川谷絵音くんのソロプロジェクト「独特な人」のSEで流れていて出会いました。「through your reality」が流れていて、このバンドもこれを流す人たちもめっちゃ尖ってんなあ!と思ったことをよく覚えています。この曲は秋を歌った曲ではありませんが、秋ってこういうことに気づいてしまう時間が多いなあと思って入れた曲です。
 いやあめちゃくちゃいいプレイリスト。そしてプレイリストのタイトルが「忘却の季節」。去年の私は一体何を忘れたかったんだろう……中身はしっかりと忘却したみたいですが、当時聴いていた音楽だけは残っています。

2021年10月31日(日) 六甲とハンバーグと選挙と

 今日は六甲ミーツ・アートへ行きました。六甲山で毎年行われているアートイベントです。六甲山に行くのは初めてで、上がっていく標高と下がっていく気温にわくわくしながら向かいました。
 全部書くわけにも行かないので、今日鑑賞した中で一番印象的だった作品を記します。真っ白な巾着袋やお道具袋などが10個ほど吊り下げてあり、よく見ると白いワッペンがついていて「なんでわたしが?」「自分のじかんがほしい」といった言葉が綴られています(一言一句正確ではありませんが、そういったネガティブなニュアンスの言葉です)。近くに置いてあるブラックライトで照らすと、ハンコで押された大量の「はんどめいど」の文字が浮かび上がりました。直感的に「気味が悪い」と感じました。「はんどめいど=いいもの」という価値観が刷り込まれていることをうまく表現しているなと思います。他にも「お母さん手作りの持ち物」を取り扱った戦後以降の主婦向け雑誌の切り抜きにブラックライトを照らすと、その背景にある意見や刷り込まれた価値観が浮かび上がってくるという展示もありました。主張や問題意識が最適な方法でアウトプットされていて、その不気味さも含めてとても好きな作品です。来月もう一度行って、今日回れなかったところへ行くつもりです。
 帰り道、初めてびっくりドンキーへ行きました。以前アルピーの平子さんがまだ息子を連れて行ったことがないから連れて行かなきゃ、というトークをしていて、そんなにいいものなのかと思って機会を伺っていたのですが、それほどの価値のあるものでした。ハンバーグを食べているときに20時になって、スマホを見ると自民で単独過半数の勢いとの速報。今夜は長くなるなあと思いながら残りを食べました。っていうわけで選挙速報を見ながら日記を書いています。選挙速報って永遠に見られるんだよなあ。実家のある福岡2区が激戦で少し胸が熱くなっています。結果は出ていませんが、眠たいので明日確認するとしましょう。

2021年11月1日(月) わかるけど、わからない

 京王線の事件から一夜。こういった事件が「怖い」だけでまた起きてしまうと思いはしますが、具体的に何をしたらいいのかが難しいなと思います。新聞記事によると、犯人の男性は「仕事を失い、友人関係もうまくいかず、2人殺して死刑になりたかった」と話しているとのこと。仕事を失わなければ、友人関係がうまくいっていたら、と思ってしまいますが、私は彼に仕事を与えられないし、彼の友人になるチャンスもなかった。その上で自分の周囲を見渡したときに、私はどれほどの何をできるのでしょうか。
 先日バイト先で友達と2人で提案した企画がありました。しかしその提案内容は実現しそうなものの、理想的とは言えない形で返ってきました。変更の理由は確かに経営者の立場にならそうするだろうな、という内容。でも、私たち2人が抱いた感情は「わかるけど、わからない」というもの。社長の気持ちはわかる。けど、私たちとしてはこうしたいし、経営視点と私たちのやりたいことの折り合いもつけられると思っているんだけどなあ。
 (もやもやはしましたが、それとは別に)この「わかるけど」というステップはものすごく大切な気がしています。その人の立場になること。腑に落ちないかもしれないけど、「わかる」ことを認めること。
 京王線の事件も「わかるけど、わからない」だなと思います。全てを失ったとき、社会に一矢報いたい。お前らは見下してるかもしれないけど、自分だってこれくらいできるんだぞ、って見返したい。社会構造で失ったもののせいでどうせ死ぬのであれば、社会制度で死にたい、殺して欲しい。その目標に対してはどこまでも緻密に、とことん正確にやる。
 その気持ちはわかるけど、そのアウトプットを選ばないなと思う。
 「わからない」で片付けるんじゃなくて、「わかるけど、わからない」にすること。それがゴールではないけれど、まず第一段階として、私が人と接するときにできることなのかなと思いました。

2021年11月2日(火) 若林明日香

 火曜2限はゼミです。
 私はゼミの同期のことがとても好きです。頻繁に話さないし、むしろ先生には「一匹狼タイプの集まり」と言われるくらいなので特に集まることもないのですが、私が一番心を許しているコミュニティです。
 先生があるとき「僕のゼミに来る人って社会のものさしに疑問を抱きつつ、一方で自身はその社会で生きていくことがうまくて、それにもどかしさを感じている人だよね」と言っていたのにはとても納得しました。そういう人たち同士では、問題意識や引っかかりポイントが似ているからとても話しやすいのです。それに、同じ先生の下で学びたいと思った、ということに対する信頼感もあります。ゼミでの私が一番のびのびしています。
 秋学期から対面授業になったので、2限終わりに仲良しの友達とランチへ行くようになりました。8割はお笑いの話をして(彼女はジャルジャルのファン)、1割は卒論の話でしたが、残り1割で名字の話になりました。
 先日の最高裁の国民審査では「夫婦別姓を合憲とするか違憲とするか」という論点が注目されました。私たち2人は(現段階で)結婚して名字を変えることに抵抗はあまりありませんが、「別姓がいい人もいるわけだし、選べた方がいいじゃん」くらいの感じで選択的夫婦別姓を支持しています。でも名字を変えることは、クレジットカードや身分証明書の変更、その他諸々の手続きが結構大変だそう。その負担がどちらかに偏るのは、変える方も大変だし変わらない方も心苦しいだろうなと思います。だったら、2人とも新しい名字にしてみたらいいのに。例えば私(池田)が佐藤さんっていう人と結婚して、2人とも「福徳」っていう名字にするとか。そのくらい名字ってカジュアルになってもいいと思うのですが、そうもいかないんだろうなぁ。
 名前に執着が少ないのは、もしかしたら複数の名前を使い分けることに慣れているSNS世代だからなのかもしれません。名前が違っていても、私は私であるという意識は持っているつもりです(つもり、としたのは、自分と短歌が乖離しないため筆名を本名にしているので、その辺りははっきりとした自信はないためです)。
 私だったら若林にしたいな。若林明日香、芸能人でいそう。いいなあ。

2021年11月3日(水) 四つ葉のクローバーを探せ

 今日は尼崎の森中央緑地でイベント出店をしました。私たちのブースは「四つ葉のクローバーを探そう!」というもの。「人が踏むところに四つ葉が多いというけれど、それは本当なのか?」というクエスチョンのもと、参加者に四つ葉のクローバーを探してもらって地図にマッピングし、その疑問を解決するという自由研究をしました。
 子どもたちは「本当に四つ葉のクローバーあるの?」と信じていない様子でブースへやってきますが、私が「さっきここで見つけたよー」と四つ葉のクローバーを見せると、「僕も見つける!」と元気よく探しに行きます。そして四つ葉のクローバを片手に戻って来るときの表情がみんな素敵でした。
 「ないと思っていたものがあることを、自分の目で確認する」という経験は、とても貴重だと思います。それは「ないかもしれないけど、ないとは言い切れないもの」を端から諦めずに探す原動力になりうるからです。それに、「ない」と言われているものが「あるかもしれない」と思うことは、ものすごく希望的なことのように思えるのです。

2021年11月4日(木) 空回りする換気扇

 普段は起きる時間を気にしない生活をしていますが、先週の金曜日から用事が詰まっていて遅寝早起きの日が続いたので、久しぶりにのんびり起床。目覚ましではなく朝日で起きられるのは嬉しいことです。
 9月に尼崎のシェアハウスに泊まりに来てくれた愛知県在住の男子大学生が、今日から3日間泊まりに来ます。聞くと、用事は終わったから日帰りでも良かったのだけれど、せっかく時間があるから泊まりに来たとのこと。そんなに居心地よく思ってくれていたんだ、と嬉しい気持ちになりました。
 彼は地域教育を勉強・実践していて、彼が大学でやっていることや彼自身の学生時代の話など、夕食を食べながら2人でのんびりと話しました。でも、なんだかいまいち盛り上がらない。地域も教育も私の関心分野で、話を広げられそうなトピックです。私の質問の仕方が下手なのかな、申し訳ないな、と思いながら原因を考えていました。
 1つ、思い当たる節がありました。私は年下が苦手なのです。
 中学生くらいからそうでしたが、意識し始めたのは高校生になってから。部活のときにどう接したらいいのかがわからなくて、後輩と2人になることを避けていました。
 今アルバイトしている学習塾の後輩たちとはうまく接することができますが、塾講師という「他人を安心させるのが上手な人」と話しているからだろうなあと思います。サークルや講義で一緒になった後輩とは、そんなにうまく接することができません。
 オードリーの若林がラジオで、人と話すモードのことを「換気扇が回っている状態」と表現していました。結婚してから家で「換気扇が回っている状態」になったから、仕事場でも換気扇のスイッチを入れやすくなった、と。私が年下の子と話すときは、「換気扇は回っているけれど、うまく空気が通り抜けていない」といった感じでしょうか。他人と話すテンションだけど、どことなくずれていて空回りしているような気がします(換気扇は常に空回りするものですが)。
 いとこをはじめとする親戚が年上ばかりで、身近に年下がいないところで育ったから年下とのコミュニケーションがわからないんだ、と思っていたのですが、それだけではないような気がして色々考えていました。そして思い当たったのが、7歳上の兄との不仲です。兄の反抗期が私の幼稚園から小学校生くらいの時期に重なり、ぬいぐるみを投げられたり小さな意地悪をされたりと、凄まじく悪い印象がこびりついているからです。そのイメージを払拭することのないまま、兄は高校を卒業して実家を出ました。たまに実家に帰ってくると、反抗期に私にしたことを忘れたかのように振る舞うので(実際忘れているんでしょうけど)、それが本当にいやでした。
 兄に対して私がそうであるように、年下が年上を極度に嫌うケースのことを知ってしまっているから、そうならないように避けているのでしょうか。でも年齢関係なく好き嫌いは発生するものですし、何か原体験がありそう。年下とうまく話せないという苦手は、いつかカウンセリングしてもらいたいなあと思っています。

2021年11月5日(金) 喧嘩するほど

 ここ数日所用で以前住んでいた尼崎のシェアハウスに滞在しています。朝っぱらからしょうもないことで住人と喧嘩になり(リビングにトースターを1台置くか2台置くかという喧嘩です)、イライラしたままバイトへ向かいました。
 何かに怒れたのは久しぶりだったので、怒りというエネルギーが沸いたことに嬉しさを感じつつも、内容がしょうもなさすぎて、なんでこんなにイライラしてしまったんだろう、と後悔。今住人でもないわけで言ってしまえば他人の家なのに、トースターを2個リビングに置くことにいら立ってしまう自分の心の狭さがどうしようもありません。アルバイトも身が入らず、お客さんが来たときに間の抜けた顔をしてしまいました。
 バイト後に図書館で卒論に取り掛かるも、なんだかむずむずして文章が頭に入って来ません。閉館ギリギリまで4時間以上いましたが、進んだのはちょっとだけでした。
 他人の家のトースター事情にいら立ってしまったことを謝ろうと思いましたが、謝るということが久しぶりで謝り方がわかりません。思い返せば、喧嘩をする相手もそうそういません。とりあえずミスタードーナツで何個かドーナツを買って帰宅しました。「朝は怒っちゃってごめんね」と言うと、何とも思っていなかったようで拍子抜けしました。あるやりとりについてずっと考えているのが片方だけっていうのは、往々にしてあることですね。
 仲直りのあとというのは以前よりも仲良くなったような気がするもので、晩ご飯を食べながらバラエティ番組(相席食堂)を見て、そのあとおうちでできる謎解きキットを一緒に解くほどの仲良しっぷり。
 「喧嘩するほど仲がいい」と言いますが、喧嘩できる関係性であると同時に、喧嘩するからより仲良くなるのかもしれません。

2021年11月6日(土) ネタを書きたい

 卒論を進めるために昼から図書館へ。初めて土曜日に尼崎市中央図書館の自習利用をしましたが、高校生だけでなくて社会人でも勉強している人が多くて「休みの日に勉強するってすごいなあ……勉強に終わりってないんだなあ」と感じました。
 論文を何本か漁って、ふと窓の外を見ると立派な尼崎城。散歩したい衝動に駆られて、パソコンを閉じて外を歩くことにしました。
 中央図書館周辺は国道や阪神高速が近くて交通量が多いので、空気が綺麗なわけではないのですが、散歩道は文句なしに整備されています。安心感たっぷりのハライチのラジオを聴きながら知らない道を歩いていると、思い出しました。今日は早稲田の学祭で、友達がお笑いのイベントに出るんでした。ベンチに座ってYoutubeを開くと、6人くらいが座って大喜利大会をやっています。大喜利は正直みんな面白くなかったけど、そのあとのネタは見ものでした。「こねくり回しすぎてんなあ」っていうコンビは聴衆がついていけていない感じでしたが、シンプルなフリップ芸や、土台のしっかりしている漫才、間を十分に取っている人が笑いを取っていました。友人の漫才も面白くて、ベンチで声を出して笑ってしまいました。
 後から知りましたが、どうも都内6つの大学のお笑いサークルの精鋭たちが1位を競うイベントだったようで、早稲田のお笑いサークル代表で出ていることもすごいし、そこでしっかり笑いを取っているのもすごい。
 そして唐突にネタを書いてみたい、と思いました。ネタは誰にでも書けるものではないと思っていたけれど、同じ大学生でも書いている人がいるし、友達も書いています(書いていると明言していないけれど、漫才の構成上ネタ担当っぽかった)。とっかかりがわからないけれど、まずはハガキ職人からやってみようかな。あるラジオの企画に投稿して読まれていた友達が、「読まれるかな、と思って聞いてしまうから投稿すると純粋に楽しめない」と言っていたのでずっと避けて来ました。しかしそこを振り切って、職人になるタイミングが今なのかもしれません。やってみよう。

2021年11月7日(日) ネットの外へいく蔓

 今日は保育園のマーケットにスライム作りで出店しました。10時から15時まで、1時間のお昼休憩を除いてスライムを作り続け、すっかりへとへとになりました。
 1日トータルで30個近く子どもたちとスライムを作って感じたのは、「待つ」ことの難しさと大切さです。相手が1人だったらのんびりと待てるのですが、一度に3人を相手にすると、液体を計ったり混ぜたりするのを「私がやる!」と言いたくなってしまいます。予約制なので1組10分で回さないといけないけれど、できるだけ子どもたち自身にやってもらいたい。その狭間で葛藤しながら試行錯誤していました。
 一緒に来ている保護者さんを見ても、どこまで参加するかは人それぞれ。後ろからお子さんの手を持ってやる人もいれば、所々で手を貸す程度の人もいます。
 塾で生徒にどこまで関わるかはある程度決まっています。それは目標と現状がわかりやすく存在するからです(わかりやすくない時もありますが)。でも勉強以外の面で大人側がどこまでやるかということは、非常に細かい程度の話であり、難しいことです。
 今年、ベランダでゴーヤを育てていました。基本的に蔓は緑のネットに沿って上へ伸びていくのですが、ネットからはみ出て果敢に伸びていく蔓もありました。そんなとき、蔓をネットに戻すのは教育の役割なのでしょうか。それともネットからはみ出た蔓をそのままにしておくのが教育の役割なのでしょうか。確かにネットから出るとそこは茨の道であることが予想されますが、出ると決断したのは蔓の方だし……ずっと考えていますが、なかなか答えの出ない問いです。少なくとも、ネットを張ることと水をあげ続けること、そして毎日見守ることが、ゴーヤに対して私ができることであり、やるべきことなのだろうと思います。

2021年11月8日(月) ダルちゃんと岡野さん

 友達が貸してくれたはるな檸檬さんの『ダルちゃん』という漫画を読みました。「みなさんどうもこんにちは/丸山成美です/24歳の派遣社員です/なーんつってね/実はこれは仮の姿で/本当のわたくしはダルダル星人のダル山ダル美/ダルちゃんです」というページから始まります。「普通の人間」に擬態して求められる「役割」を果たすダルちゃんが、様々な出会いを通じて自分の幸せを見つけていく物語です。「友達」と出会ったり詩作を始めるなかで、ダルちゃんが自分を見つけていく過程が美しく、気持ちよく描かれていて、とても清々しかったです。
 職場で唯一の友達に借りた詩集を読んで「自分も書きたい」と思ったダルちゃんは詩を書き始めます。その詩はダルちゃんの世界の捉え方をストレートに表現したもので、とてもエネルギーを持ったものでした。
 そこで思い出したのが、芸人の岡野陽一さんです。空気階段のラジオの準レギュラーとして度々出てくるのですが、以前番組(それも本編ではなくアプリで聴けるアフタートーク)で親しくしている女性の話をしていたときのことです。その女性は目黒区のタワマンに住んでおり、今まで1階にしか住んだことのない岡野さんは週の半分くらいタワマンに通う暮らしをしているとのこと。その女性に付き合いたいと言われたときに、答えられずに寝たふりをしてしまったそう。そのことを空気階段の2人に問い詰められたとき、「その女性が好きなのか、タワマンが好きなのかわからないんだ!」と言っていて、その素直さ、正直さに泣きそうになりました。泣きそうなんだけど、面白くて笑ってしまう。このエピソードを笑いに昇華するだなんて、この人は本当に「芸人」なんだ!と思いました(オンエア後にその彼女と付き合いはじめ、今も交際は続いています)。
 そして今の私には、ダルちゃんや岡野さんのような正直さがないなと痛感しました。自分の感情や感覚をもっと素直に出したいと思うけれど、作歌が進まない現状を見ると、どうも言語表現では無理そうな感じです。もっと正直でありたいし、それ以前にもっと自分を知りたい。ダルちゃんも岡野さんもかっこいいなと思います。

2021年11月9日(火) 文字を学ぶ順番

 ゼミにシュタイナー教育を研究している友達がいます。19世紀後半から20世紀前半にかけてドイツ周辺で活動していたルドルフ・シュタイナーさんが考えた教育法で、それを実践するシュタイナー学校は日本にも10校近くあります。シュタイナーは競争社会に疑念を抱いていたため、シュタイナー学校にはテストがなく、自由でのびのびとした校風で知られています。俳優の斎藤工さんもシュタイナー学校出身です。
 会話の中で、文字を教える順番の話になりました。一般的な学校ではひらがな、カタカナ、漢字の順番で教えますが、シュタイナー学校では漢字を少し教えてから、ひらがな、カタカナを教えると言います。ひらがなはもともと漢字が簡略化されてできた文字なので、漢字から教えるのが自然、という風に捉えているとのこと。しかも最初に教える漢字は、先生が決めていいそうです。そこで人気なのが「光」。最初に教える文字にしては難しいような気がしますが、シュタイナーの考え方にとって「光」は大切な要素だそう。それも単純に書き順や字の形を教えるのではなく、「あるとき妖精がおりてきて……」とストーリー仕立てで教えられるのだとか。他にも「山」という漢字を教えるために山に登ったり、基本的に象形文字から教えたりと、起源を大切にしているようでした。
 そこで先生の4歳の息子さんの話に。息子くんは「れ」「ろ」を書けないし、文を書くときもひらがなとカタカナが混ざった形で書いてしまうけれど、恐竜図鑑が好きだから「恐竜」は読めるとのこと。小学校の文字教育で考えると逆転現象が起きているわけですが、その子自身の周りにある文字から覚えていくというのは自然なことです。ひらがな表を埋めるように文字を勉強するのではなく、その子自身にとって必要な文字から身につけていく、というのはナチュラルだなと思いました。
 塾で教えている小学6年生に、漢字を覚えるのが苦手な子がいます。授業毎の漢字テストで10問中3問くらいしか正解できない状態が続いており、やり方を変えてもなかなか伸びません。その子に必要なのは詰め込みではなく、漢字の成り立ちから教えたり、その子自身の周りの漢字から身につけていくことなのかもしれませんが、学習塾だとその時間を取るのもなかなか大変で、難しいなあと思った日でした。

2021年11月10日(水) 酒井さん婚約おめでとうです

 春くらいから芸人のラジオにハマり始め、毎日のように聞いています。ハマるきっかけになったのが、アルコ&ピースの番組、「アルコ&ピースのD.C.GARAGE」(以下、dcg)という火曜深夜0時からの1時間番組です。そこから芸人のラジオを開拓していった私にとって、アルピーは特別な存在なのです。
 アルピーは、福島出身の愛妻家で家族が大好きな熱い平子さんと、クレカを持たずサブスクにも一切入らない川崎出身のクールな独身貴族・酒井さんという2人のコンビです。
 独身を貫くかと思われた酒井さんが、ついに婚約を発表しました。婚約を発表した先週の木曜日には、ハライチやマヂラブがラジオでその話題を取り上げ(特にマヂラブの野田さんは酒井さんのことがとても好き)、ラジオ界でも盛り上がっていることを感じました。男性芸人というのは、独身を貫くかと思っていたら突然結婚するものなので(若林とか山里さんのように)、驚きというよりは嬉しい気持ちでいっぱいでした。先週の放送回の前にすっぱ抜かれていたそうですが、dcgは2本撮りなので全く報道には触れておらず、実質昨晩の放送が報道以来初めてのdcgでした。
 トークゾーンでは、平子さんが酒井さんの婚約を知ったときの話題に。平子さんは全く知らず、とある番組出演後に色んな人に「酒井さん婚約おめでとう」とLINEが来ているのを見て「結婚すんの!?」となったとか。知った後に会うのがM-1のネタ合わせだったらしく、2人とも全くその話題に触れられず、漫才の練習も一回で終わったというトークが2人の関係性を表していて、ニヤニヤしてしまいました(M-1の3回戦突破おめでとうございます)。
 芸能人が結婚すると○○ロスといった現象が起きますが、自分自身が酒井さんの結婚を喜べていることの健全さに嬉しさを感じます。確かに独身貴族キャラの酒井さんはロスですが、奥さんと2人での仕事ができたり、奥さんとお出かけしたトークとかが出てくるのかなと思うと、楽しみで仕方がないですね。最近は若林や平子さん、澤部の奥さんトークが大好きなのですが、このときの自分の視点が、純粋なファンなのか、いつか誰かの奥さんになりたい人間として夫の感情にキュンキュンしているのか、それとも彼らの奥さんになった気持ちで勝手に愛を感じているのかわからず、自分大丈夫か?と思うときもあります。先日はハライチの岩井さんと結婚する夢を見ました。一度も夢見たことがないのに!でも夢の中の結婚生活楽しかったな。

2021年11月11日(木) 独身であることに意識的になるのはいつからなのだろうと思う独身の日

 過ぎていく日々と対照的に進まない卒論。昨日と今日の2日間で進めないと来週の締め切りに間に合わないことはわかっているのに、どうも筆が進みません。
 今日は洗濯と溜まった洗い物をするぞと意気込んで起きたら、それをするだけで疲れて卒論が進まず。パソコンを開いたものの、ちょっと書いては調べもの、ちょっと書いては調べものの連続で全然行が増えません。
 そういえば、と思って大学の授業資料や先生とやりとりできるページを開くと、ちょうどゼミの先生からの卒論フィードバックが来ていました。
 ワードファイルの右側にコメントをたくさんつけてくれていました。「ここをこうするといいかも」ということを例文付きでたくさん書いてくれていて、しかもそれが夜の0時過ぎに書いてくれているコメントで、その丁寧さに心の中でありがとうございますと呟きながら見ました。
 先生が「いいねえ。」とコメントしてくれている箇所が序盤に何箇所かありました。それは自分の研究動機を書いているところです。そこを読み返して、「私はこれを知りたくてこのフィールドワークを始めたんだった!」と初心を思い出しました。本当に自分のやりたい研究をさせてもらっているなとしみじみ思います。自分の好奇心に素直に、そして本気でやるぞ〜!

2021年11月12日(金) 至高のポトフ

 昨晩から尼崎のシェアハウスに泊まりに来ているのですが、一軒家なのもあってか家がとても冷えます。今夜はあったかいものを食べたいなーと思って、ポトフを作ろう、と朝のうちに決めました。
 Youtubeで料理研究家のリュウジさんの動画を見て作ることが多いのですが、ラッキーなことに至高のポトフのレシピが存在しました(リュウジさんのレシピは簡単で味濃いめのものが多いのですが、手間をかけて美味しい「至高」レシピを作ることもあるのです)。ジャガイモやキャベツなどの具材を一旦じっくり焼いて焦げ目をつけてから30分煮込むという、まあまあ手間がかかるレシピ。そんなに手間をかけたら美味しいに違いないしやってみよう、とラジオを聴きながら料理していたら、あっという間に出来上がりました。
 ちょうどいいところに同居人が帰ってきて晩ごはんに。そのポトフは私が今まで食べたポトフ史上最高に美味しい出来でした。にんじんは柔らかく、じゃがいもはごろごろで、キャベツはつかめないくらいとろとろでした。
 お金と時間がかかるので料理はサボってしまいがちなのですが、「温かくて美味しいものを食べたい」「リュウジさんのレシピを作りたい」「シェアハウスの友達に食べてもらいたい」くらいの、プレッシャーにはならないけどモチベーションにはなる程度の動機で料理を作るのはいいなと思いました。
 晩ごはんを食べながらM-1の3回戦を視聴。アルピー、ハライチはさすがでした。GAG、コットン、金属バット、男性ブランコ、蛙亭、日本の社長らへんもめっちゃよかったです。(大学お笑いを見たときも思ったのですが)テレビで見る漫才って面白いので、面白くないネタを見れるのがとても新鮮でした(3回戦まで残っているのも相当すごいのでしょうが)。決勝が楽しみです。決勝は卒論提出2日前ですが、このシェアハウスでのんびりと見られたらいいなあ。

2021年11月13日(土) 六甲山の歴史

 先月末に続いて、六甲ミーツ・アートへ。前回行けなかったところを巡りました。展示の中で知ったのですが、六甲山は明治以降にイギリス人・グルームたちが植林したりゴルフ場を作ったりしてリゾート開発したという歴史を持っているそうです。自然が豊かで「六甲の木のにおい」を再現したアロマミストも販売していましたが、元々はハゲ山だったみたいです。
 第2次世界大戦前から、阪急と阪神で観光客争奪戦をしていたとか。廃墟となった当時のホテルで制作された作品の展示もありました。
 六甲と言えばケーブルカーですが、阪急系、阪神系両方のケーブルカーが、戦時中に不要不急線に指定されて止まっていたそうです。阪急系は設備を撤去してしまったそうですが、阪神系は設備を残したままだったそうで、戦後も再開することができたとか。確かに戦時中の六甲ケーブルカーは不要不急でしたでしょうが、ケーブルカーが残っていたことで今でも私たちは利用できます。
 以前に比べると「不要不急」という言葉は聞かなくなりましたが、たとえ今は一時停止しているものでも、復旧の手立てを残しておくことが大切なんだなと実感しました。

2021年11月14日(日) his

 『his』という映画を観ました。2020年に公開された今泉力哉監督作品です。山奥の田舎でひっそりと暮らす青年・迅のところに、突然学生時代の恋人・渚が6歳の娘・空を連れて来て3人で暮らし始める物語です。この話の肝は、その恋人が男性というところ。迅と渚の愛、渚と空の愛を軸としながら、様々なところに愛が連鎖していく物語です。LGBTQや性別役割分業に根強く残る偏見を描きながら、地域共同体で生きていくことや仕事をしながら子育てをすることなど、社会問題と自然な形で接続していてお見事でした。
 この物語の惹かれるところは、娘の空がどんどん状況を変えていくことです。
 同性愛者に対する偏見が嫌で人の少ない田舎暮らしを選んだ迅。空が「パパと迅くんがキスしていた!」と公民館で言ったことをきっかけに、迅は町を出ていくことを考えます。
 しかし空は「空が『パパと迅くんがキスしていた!』って言ったから、空たち3人で暮らせなくなるの?いやだよ!」「愛し合っている人同士がキスをするのはおかしなことじゃないよ!」と告げます。その無垢さに心を打たれた迅は、みんなに自分が渚を愛していることを伝えます。そしてそれは、迅が思っていたよりもあたたかく受け入れられるのです。
 もう1つ、渚と妻・玲奈の離婚調停中の出来事。2人は親権を争って裁判をしていました。ある日、空が渚に「なんでパパはママが好きなのに、一緒に暮らせないの?」と尋ねます。渚は「パパはママのことが好きだけど、ひどいことをして、すごく傷つけてしまったんだ。だからもう一緒には暮らせないんだよ」と伝えます。すると空は「じゃあ、ごめんなさいって謝らなくちゃね!」と笑います。
 その後の離婚調停裁判中、玲奈が保護者としての責任能力があるかを弁護人に問い詰められているとき、渚は和解を申し入れます。そして離婚の原因を謝罪し、「自分は今までずっと空と一緒にいたから、次は玲奈の番だ」と言って親権を譲るのです。
 6歳の空は、社会の空気や偏見に汚されることなく、純粋な目で物事を見て、素直に反応します。それにおとなが動かされていく様子が、とても自然で美しい世界だったのです。

2021年11月15日(月) 鍋の素

 寒くなって鍋が美味しいこの季節、一人暮らしの人にとっては固形や液体の鍋の素は欠かせないアイテムなのではないでしょうか。野菜がたくさん取れて、料理としても楽チンで、何より体が温まる鍋ですが、一人前の鍋を美味しく作ることは結構大変です。でも少量の鍋の素があれば、一人前の鍋を簡単に美味しく作ることができます。
 私がアルバイトしている塾の最も素晴らしいところの1つは、台所があるところです。飲食店営業の許可を取っているので、コンロや鍋を使って、簡単な調理をすることができます。
 今日は6コマ目と8コマ目が授業で、間の70分が空きます。弁当を作るのが面倒だったので、冷凍ご飯と切った鶏肉・野菜と固形の鍋の素を持って、塾の台所で鍋を作ることにしました。
 コンビニでよく売っているレンチンするだけで食べられる鍋より格段に安く、量が多すぎないのもポイントです。身も心も温まって、満足感たっぷり。万全の体制で8コマ目に臨みました。
 そして寝る前、『心がバテない食薬週間』という本の11月の欄を読みました。この本は漢方の視点から週ごとに食材をおすすめしてくれる本で、食事のマンネリ化も防げるので取り入れて自炊しています。11月のまとめのページを読むと、最後の行に「心にマイナスとなるお鍋のもと、レトルト、冷凍食品はやめておきましょう」とあるではありませんか。お鍋の素は心にマイナスになるの!?確かにこの本は加工食品を推奨しない傾向にありますが、私がお弁当代わりに塾で作った鍋は、確かに心にプラスになったような気がするけどなあ……。あの時の満足感は嘘ではないし、でも加工食品がよくないのも想像がつきます。でもやっぱり加工食品がないと生きていけないし、過多にならなければいいか。鍋の素のおかげで自炊できている、という満足感に少しは頼ろうと思います。

2021年11月16日(火)からは、卒論執筆のため休載しています。














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?