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牧野英一博士と民法730条

6/7放送の「虎に翼」第50話では、紆余曲折を経た民法改正案成立を受け、ライアンこと久道頼安をはじめとする司法省民事局民法調査室の面々が、「神保教授のごり押しで730条が残ってしまったことが残念だ」「『直系血族及び同居の親族は、互いに扶(たす)け合わねばならない』などという当たり前のことをわざわざ法律で規定することを国民はどう感じるだろうか」と話し合うシーンが描かれました。

ご覧になって、少し不思議に思った方もいらっしゃったのではないでしょうか。
あれほど家制度の堅持にこだわっていた、神保教授が、なぜこれだけの条文を残すことだけで譲歩されたのか。この親族の扶け合いという条文にそれほど大きな意味があるのか、と。

神保教授はドラマでは政治学の権威である帝大教授として描かれますが、モデルとなった人物を、史実の臨時法制調査会(※憲法改正に伴う諸般の法制の整備に関する重要事項を調査審議するために設置された諮問機関)の委員のメンバーから一人選び出すとしたら、それは、新派刑法学の大家、東京帝国大学名誉教授 牧野英一博士そのひとだと思われます。

牧野博士のWikipediaの記事には、

司法法制審議会委員として民法改正にあたった際に夫婦とその子供(核家族)を家族の基本単位とすべきである我妻栄ら民法学者の主張に対して、病弱な妹の存在という個人的な事情を抱えていた牧野が親兄弟こそが家族の柱であるとして猛反対して「家族の扶養義務」などの条項を存続させた。

「牧野英一」ウィキペディア日本語版

という記述があるのです。

えっ、牧野博士ともあろうお方が、個人的な背景に基づいて、しかも畑違いの家族法についてそんなごり押しを?と興味を持ちまして、いろいろな文献を検索してみました。

すると、同じく臨時法制調査会委員であり、改正民法の起草委員を務めておられた我妻栄博士が、著書「改正民法余話:新しい家の倫理」18章「親族の扶け合い」の中に、この、牧野博士と民法730条について詳しく書かれている箇所を発見しました。
かなり長くなってしまいますが以下に引用します(※新字体に改めています)。

 改正民法第七三〇条は、「直系血族及び同居の親族は、互に扶け合わなければならない」と規定している。
 この条文は、親族編第一章「総則」の末尾に位しているが、親族編の「総則」というのは、法律的な親族の範囲、親等の計算方法、婚姻や縁組による親族関係の発生・消滅などを定めるものだから、右の条文は、その後を承けて、親族間の法律関係の基本を定めたことになるのであろう。しかし、この条文の文句は、修身の教科書の中にあるなら誰にも異存がなさそうだが、民法の規定としては、甚だ非法律的で、その意味があいまいであることは、否定し得ない。ことに、この前の数箇条は極めて法律的・技術的な内容をもっているので、それだけ、おちつきの悪い感じを与えるようである。
 それもそのはずである。この条文がここに挿入されたのには因縁がある。

我妻栄 著『改正民法余話 : 新しい家の倫理』,学風書院,1949.
国立国会図書館デジタルコレクション

 民法改正起草委員が民法上の「家」の制度を廃止するという方針を決定したときから、これに対するはげしい反対があった。戸主権と家督相続と家の三位一体は、わが国の家族倫理を支持する大黒柱であつて、これを廃止することは、国民道徳の頽廃を導くという懸念が、臨時法制調査会の相当多数の委員の思想を支配していたからである。
 そこで、かような思想をもつ人々のうちから、「家」の制度は存置し、系譜・祭具及び墳墓の所有権を「戸主」に帰属させ、これらの物と戸主の地位とが「家督相続」によって長男(女)に承継されるものとすべきだ、という提案がなされた。つまり、財産は均分相続にするが、戸主権と祭祀とだけは、これから切り離して、家督相続の目的にしようというのである。しかし、この提案は採用されなかった。戸主権そのものが極度に制限されなければならないということは、この提案者たちも認めたことだから、特別の財産もなく、格別の権力もないものを戸主として、単に先祖の祭祀の承継を目的とする家督相続なるものを認めておく必要はない、という理由からであった。
 ついで、また別の委員から、家と戸主権という法律的な制度を存置する必要はないが、家族協同生活の倫理を維持する趣旨を民法の中に明記すべきだという主張がなされた。すなわち、「親族は互に敬愛の精神に基づき協和を旨とすべく、特に協同の祖先に対する崇敬の念を以て和合すべき旨の原則を規定すること」だとか、「親族にして同居する者及び同居に準ずべき家計共同の関係に在る者は、敬愛の精神に基づき互に協力する義務を有する旨の規定を設くべきこと」というような提案がなされた。それは臨時法制調査会の最後の総会であったと記憶する。
 この調査会は、国会や内閣に関する憲法付属法規から、訴訟法関係にいたるまで、新憲法に基づいて制定ないし改正すべきすべての法律の調査を担当したのだが、民法の改正ほどはげしい議論が戦わされたものはなかった。しかも、この最終回は、議論のクライマックスであった。衆議院における憲法草案の審議に際しては、新憲法が施行されても、家・戸主権・家督相続の制度は廃止する必要がないと明瞭に答弁した金森国務大臣なども、この時には、民法改正起草委員の意見に動かされて、これを廃止すべきことに決定し、貴族院では反対の答弁をしていたので、これを遺憾とした委員たちの中には、せめて別な形で民法の中にその思想を残そうと努力したようであった。しかし、結局右のような明確な提案は採用されず、「直系血族及び同居の親族は互に協力扶助すべきものとすること」という提案が、それも希望決議として、採択されたのであった。
 この希望決議が、その字句が修正されて、すなわち、「協力扶助」が「互に扶け合う」となって、前に述べた第七三〇条となったわけである。

同上

お分かりでしょうか。
民法730条は、この時まさに抹殺されようとしていた「家」制度を、その精神、思想だけでも、なんとかして生き延びさせようとしていた保守派の委員たち最後の抵抗だったのです。
我妻博士は続けます。

 この条文に対して甚しい不満を抱かれるのは、牧野博士と中田博士(引用者注:中田薫東京帝大名誉教授、日本法制史)である。
 牧野博士(法律新報七四〇号)は、希望決議の字句が修正されたことをいたく憤慨される。博士によれば、新憲法は各人の平等と個人の尊厳という「解放」の理想を強調するに急であって、統合・協力・和合の精神を忘れている嫌いがある。かくの如きは、十九世紀の理想であって、二十世紀の理想ではない。政治においては、解放の理想の他に、天皇を象徴とする統合の原理が明かにされているのだから、家族生活についても、結合の紐帯を明かにして、「家族主義」を宣言しなければならない。かくして、博士は、憲法の中に、「国は、家族生活の健全な保持を保障し且つ保護する。家族生活は伝統及び慣習と条理及び温情とに依って、敬愛と協力との精神に従い、これを保持することを要する」、という一箇条を、第二四条の前に設けよ、と貴族院の委員会で主張された。しかし、これは採用されなかった。ついで博士は、更に本会議で、「家族生活はこれを尊重する」という句を第二四条の第一項として挿入すべし、という修正案を提議された。博士の熱弁は、よく貴族院議員を動かし、過半数をかち得たが、憲法修正案の成立に必要な三分の二には達しなかった。

同上

そうなのです。
牧野博士は、某党がこの67年ほど後に発表することになる改憲草案で出してきた、憲法に家族主義についての条項を入れろという動きを、日本国憲法制定過程ですでに先取りし、そして破れ去っていたのでした。
そして、民法へのごり押しは、この憲法での敗北を経てのものだったのです。

 そこで、博士は、せめて民法の中にこの思想を宣言すべしと努力された。右に述べた希望決議も、実に、博士の奮戦によるものであった。ところが、博士が家族生活の紐帯として終止一貫主張された「敬愛協力」というお得意の句が「扶け合う」などという子供臭い(?)文句となったので、甚しい憤懣を示されるわけである。ことに、新法は、その第七五二条に「夫婦は同居し、互に協力し扶助しなければならない」と規定している。「協力扶助」は「扶け合う」より強いに相違ない。そこで博士はいわれる。「わたくしは、何故に『敬愛協力』という語が、従ってそこに予定せられる一種の思想が、しかく立案当局に依って拒否せられ、夫婦と家族生活一般、特に例えば親子との間に区別が設けられねばならぬかに疑を有つのである」と。 いうまでもなく、夫婦の間に認められる同居と扶養の義務は法律的なものである。夫婦の一方がこれを履行しないときは、相手方からこれを法律的に強制し、また結局は離婚の原因とすることができる。これに反し、親と独立の生計を営む成年の子との間には、これと同じ程度の法律的な、同居の義務はもちろんのこと、扶養の義務も、認むべきではないと思う。その差異が第七三〇条と第七五二条との文句の差に現われているのだと、私は理解している。 

同上

ここまで読んで理解しました。
冒頭で述べた「虎に翼」のあのシーン、発芽玄米こと小橋が朗読し始めた民法730条の後半「互に扶け合わなければならない」を、やや揶揄うようなニュアンスで、一同で声を合わせたシーン。
あの時の皆の苦い笑いは、奮戦の結果、こんなにも陳腐な文言になっちゃったが、それでもここにこだわり続けた神保教授の執着心にはまあ恐れ入りましたね、という意味だったのだと。
今回の製作陣(というか、清永聡解説委員)ならば、必ずこの背景まで研究されているはず、と自分は確信しています。

さて、我妻博士は牧野博士について、最後にこう書かれています。

 もっとも、それならむしろ第七三〇条は法律の規定とはせずにおいた方がよかったろう、なまじ法律の中に親子を夫婦より疎遠にみるような文句があるから目につく、という非難があるかもしれない。私もそう思う。第七三〇条はなかった方がよかったかもしれない。中川教授などは、繰り返しそういっていられる。ただし、牧野博士の考えはそうではない。文字の不満を抱きながらも、この条文に大きな意味をもたせようとされるのだ。すなわち「用語はしかく微温的なものではあるが、しかし第一に、概括条項であるので、思想の動きに従いおのずから動くものであることを考えねばならぬし、云々」といっていられる。この規定を足場として、博士十八番の自由法的解釈によって、親族ことに親子の間に法律的な「敬愛協力」の義務を認めることにつとめられることであろう。

同上

いやあ、どうですこの嫌味の切れ味?
「博士十八番の自由法的解釈」ときましたよ。
前回のnoteでも思いましたが、この時代の先生たちの悪口言う能力ってちょっとすごいものがありますですね。

ところで、牧野博士の呈した「親子と夫婦を区別するのはおかしいじゃないか」と言うイチャモンについては、我妻博士と共に起草委員を務められた中川善之助博士が、著書「新民法の指標と立案経過の点描」に所収の「民法改正覚え書き」の中で審議でのこんなやりとりを紹介されています。

 審議に入るや、待構えた牧野委員は奥野幹事(当時民事局長)をつかまえて、親子の扶養と夫婦の「協力扶助」とを何故こんなに区別したかと、猛烈に追及した。応酬十数合、牧野委員は伏線を縦横に張った巧妙な論法で次第次第に奥野幹事を論理のラビリントに引き込んでしまう。
「憲法には夫婦のことしか書いてないから、民法でも夫婦だけ協力扶助という広い協助関係を認め親子の方は家事審判所で適当にやればいいのだということになると、民法では食うことにさえ困らなければ親なんか扶けなくともいいということになりましょうか」などとやられる。
 とうとう私も見兼ねて立上り「親子だからといっても、随分ひどい子もあるし恐ろしい親もある。わきから見れば、あれでも親子かというような親子がいくらもある。それを親子だというだけの事実で、どこまでも扶け合えといって見たところで出来ない相談です。夫婦の間ならどんな強力な義務を認めてもいいが、親子の間にはそう一概に決め兼ねるのであります」というと、牧野委員は即座に立って「あれでも親子かと思われるような者もあるが、これでも夫婦かと思われる夫婦も沢山私は知っています」と逆襲された。
 私も牧野委員が着席するや否や、立って「これでも夫婦かと思われるような関係になっても夫婦である以上、強力な義務を押付けられて困るという場合のためには離婚の制度がある。夫婦でなくなるという道がある。しかし鬼のような親や子に苦しめられる子や親は、いくらもがいても親子でなくなる方法はない。そこに法律技術の上から、親子と夫婦とを同じように取扱えない契機があります」と答えた。

中川善之助 著『新民法の指標と立案経過の点描』,朝日新聞社,1949
国立国会図書館デジタルコレクション

「論理のラビリント」と高尚な感じを出しつつ、最後は子どもの喧嘩かよ、みたいな感じですが、これは中善先生の一本勝ちではないか、と思うのは贔屓目でしょうか。

今回いろいろ調べてみて、牧野博士についての最初の疑問、なぜ畑違いの家族法にこんな口出しを?についてもだんだんわかってきました。
刑法を学ばれた方ならご存知の通り、牧野博士といえば、主観主義刑法・目的刑・教育刑・特別予防です。
そして、牧野博士は、実は民法についての研究著作も多数あるうえ、戦前から生存権を紹介するなど、刑法分野以外でも業績を残されておられました。

牧野博士は、民法改正が成った後の雑誌「法律のひろば」1950年10月号に書かれた随筆「わたくしの法律学」でこのようなことを書かれています。

 わたくしは、専門として刑法を択んだ。しかし、民法を、これに参照することを怠らないように心がけている。その民法が、一方には、憲法につらなって、国家理論にわたるのであるし、他方には訴訟法と結びついて法律の具体化実効化ということが問題となるのである(中略)
 民法や憲法やの領域では、思想としての法律ということを課題とする。法律の基礎となり背景となる思想は、憲法から刑法をとおって民法につらなるわけである(中略)
 最後に、憲法論とわたくしの仕事のかかり合いになる。それは国家理論である。
 憲法における人権論として一般に考えられているところは、人権と国家との闘争である。すなわち、個人が国家に対してその人権を主張するというのがそれである。刑法においては、犯罪人さえもが罪刑法定主義を盾として国家に対して争うものとせられ、それにつれて、社会も亦犯罪人に対して闘うことになるのである。しかし、わたくしは、刑政上、教育刑ということを考えると共に、憲法上、人権論一般としても、国家と個人との調和ということを考えるのである。かくして、人権については、個人が国家に対して自由を主張することの外に、国家から個人に対して生存権を保障するということが、二十世紀における憲法問題になっているのである。いわゆる社会保障というのがそれである。
 刑事政策において、国家は、権力を振るう前に技術を練るということが重要視せられるのである。これは、社会保障ということが巧妙な技術の組合せに依ってできるのとおなじである。そうして、両者の技術に存する共通点は、好意ということである。国家は、個人に対し、権力の主体として現れるのでなく、好意の担い手としてはたらきかけることになるのである。
 国家は、固より、権力の主体である。しかし、その強い権力は、賢明な技術に依って行使されねばならぬのである。国家における権力と技術と好意との三位一体に依って、法律が、個人間又は個人と国家との闘争の方法から、われわれの社会生活における整列(コオーディネーション)と協力(コオペレーション)との規範になるのである。そこに国民の統合が成立することになる。わたくしは、憲法第一条に見えている国民統合の理念を斯く理解することに因って、刑法に依り、また、更に法律一般に依り、日本国の再建せらるべきことを期待しているのである。

ぎょうせい 編『法律のひろば』3(10),ぎょうせい,1950-10.
国立国会図書館デジタルコレクション

これを読んで、
牧野博士が教育刑を唱えられるのも、生存権について論じられるのも、根っこは全て同じだったのではないか、と思うに至りました。
それは国家による庇護、パターナリズムの思想です。

そう、今日のトラちゃんの言葉を借りれば、牧野博士も、徹頭徹尾、「大きなお世話」を言い続けられた方だったのだなあ…と。

その博愛思想の源泉がどこにあったのか、今回、牧野博士の生い立ちもいろいろ調べてみたのですが、件のWikipediaにあった「病弱な妹」の存在も含めて解き明かすことはできずじまいでした。
引き続き研究を進めてみたいと思っています。

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