見出し画像

全ての恋する&恋したい人へ♡for VD 「その恋はあなたに力をくれますか」

こんにちは。まーさです。
先日、恋愛に関するインスタライブをやってみて
(まあ話せたことはほんのちょっとだけど)、
何だか恋にふと関心が向いたので、このテーマで一個書いてみたいと思います。
そういえばもうバレンタインだしね。


何もない所に生まれるかけがえのないもの。それが恋である


占星術で扱う星図、ホロスコープ内では、恋愛は第五ハウスの管轄です。
ほかに第五ハウスが象徴するものの代表といえば、
創造性(クリエイティブ)と子供。
こう聞いて「無から有を生み出すハウスってことだ…」と感じ、
最初に記憶したのを覚えています。

まっさらな状態に、特別なひらめきや信念、素晴らしい偶然などが加わって、かけがえのないものが生まれてくる場所。
それが起こるまで、そこには本当に何もなかったのに。
喜びと生きる意欲と、さらなる可能性を一気に湧きあがらせるような
この5ハウスのイメージ、私は大好きです。

そして改めて、「恋も本来こういうものだ」という原点を思い出しました。

たとえば、先にちょっと仲間である創造性&子供のほうで、想像してみてほしいのですが。
元来人間はみんな創造することが好きです。
今世の中に書いたり描いたり歌ったり踊ったり作ったり縫ったり…
そうやって創造性を発揮している人が、どのくらいいるでしょうか?
(もんのすごくいるじゃないといいたい)
やっている人たちは、みんなそれぞれ、とてもキラキラしています。
細かい差はいろいろあれど、
「描くことは本当に楽しい!これこそが自分だ」(例)。
きっとシンプルに、ただそう思っているんじゃないでしょうか。

誰かと誰かの間に生まれてくる、子供たちのことも考えてみてください。
ここにもいろいろな事情はきっとあります。
が、すべての子供はかわいく愛おしい存在です。それは間違いない。
新しい命がある日そこに生まれてくること。
その本質は圧倒的な喜びだと、みんなどこかでわかっています。

で、恋です。
恋は本来、この二つと全く同質の仲間です。
改めて考えてみて、ここに共通するのは
「混じりけのない純粋さ(ピュア)」。

ピュアっていうと(結構使い古されているので)、
ちょっとうがった印象もなくはないですが(私だけか?)。
言い換えるなら、
「これさえあれば、何もいらない」
たとえ一瞬でも、そう思わせてくれるもの。
私はそう感じました。

ねえ。
誰かを好きになるときって、もともとはこんな感じではないですか。
ただ、その人がその人であるだけでいい。そこにいてくれるだけでいい。
その事実に強烈に惹かれ、喜びを与えてもらえるのが恋です。
今の社会の中で、人との出会いや恋愛はどんどん複雑に(わかりにくく?)なっていっている気もするけれど、
本当の意味で、人間自体は変わっていない。
程度の差はあれど、根源的に人が求めている恋というのは、そういうものなんじゃないでしょうか。

その恋はあなたに力を与えていますか?


もしそうだとすれば。
そして、もしこれを読んでくれている誰かが、今何かしら恋に関して悩んでいるなら。

「その恋によって、私は生きる喜びを得ているか。
何もなかったところに、新たな力が生まれてきているか」


戻るべき原点は、やっぱりここなのです。

一見見た目が苦しく、「何でこんなことをしているのだろう?」と感じるときがあっても、
時に心が揺り動かされ「やっぱり私にとって大事だ!」と思うなら。
あなたは“正しい恋”をしています。
それこそ、生きているってことです。

人生においては、簡単に、要領よく、楽で、見た目にもスマートにやり遂げることが私たちに喜びをもたらすとは限りません。
「自分に特別な喜びを与え、目を開かせてくれるもの」
そういうものに出会えることが、恋の、生きていることの
本当の醍醐味です。

誰かとも決して比べないでください。
だって、それがあなたにとっての本物であるかは、
本当にあなた自身にしか、わからないのだもの。
比べてみたって、そこにあなたの正解はないのです。

また、今は婚活とか恋活とか、そういう概念があり、
つまりはより合理的に、恋するもしくは結婚する相手と出会うシステムですが、存在します。
まあね、個人的には「時にはそれもありだと思う」と考えています。
恋というものに、多かれ少なかれ惹かれる人は多いけれど、
でも世の中の人がみんな恋が得意なわけじゃない。
恋は人生上の大事なパーツではあるけれど、ほかのパーツともある程度同列です(仕事とか子育てとか健康とかお金を稼ぐこととか)。
だから、「どうやっても走るのが遅い(苦手)」な人と同じくらい、恋が苦手(うまくできない)という」という人もいて当然なんです。

だから、恋をしたいけど、誰かと巡り合いたいけれど難しい状況にいるなら、時にお金を出してプロの力、システムの力を借りるというのは、
確かに合理的です。賢さと判断力で、自分をうまく助けているなとも。

とはいえ、もともと恋が人間にとってどういう存在であるかという原点に戻れば、確かに「わかっちゃいるけど、何か違和感(なじめないその考え)」という人の気持ちもわかります。
恋にはもともと合理性なんかないものだから。合理的なシステムの中で、自分は人を好きになれるんだろうか、と思うんだろうね。
むしろ、「なぜこの人を好きになってしまったんだろう」。
こう自分が、真剣に戸惑うくらいなのが、本来の恋の醍醐味だもの。

きっと心を動かされたいんだよね。
自分の心が動いたのを実感したいんでしょう。

恋の最大の敵は、生きる中での”慣れ”である


でもね、普通に生きていると人間は年々どうしても頭は固くなり、
行動範囲は狭まり、考えなくなる。
何より様々なことに”慣れ”(これが最大の要因)、
簡単には心を動かされなくなります。

心って、筋肉みたいなの。
ずっと動かし続けていないと、本当に動かなくなってくるんだ。

だから本当に本当に、誰かを好きになりたいなら、
なのに心が動きにくくなっているのを実感しているなら、

時にいきなり大海原に飛び込むような気持ちで(当然準備なし)、
自分にとっての未知に、飛び来なくちゃ生まれないんだよ。
そのくらいの荒療治がないと、慣れのアーマーは、外れないんだ。

だって、自分が知らない、わからない、困惑している…からこそ
全ての大前提や構えや不要なこだわりが全部吹っ飛んで、
本当のピュアな自分に戻れるんだもの。

むしろ全部今までのまま、なんの不安も心配もなく、
本当の恋をつかむなんて多分できないんじゃないかと思う。
どっちかといえば、
「今までの自分全部どこいった?(涙)くらいに一度不安になったけど、
その代わりそこに愛だけは残った」
こういうことって、特に大人の恋には多いんじゃないかな。

恋せよ大人。恋の主人公は常に自分だぞ

だからね。
もし大人になって、恋をしたいのにできなくなっているなら、
変わるべきは自分自身の気持ち。心のありようだけなんです。

問題なのは容姿でも年齢でも社会的状況でも周囲でもない。
大事なのは
パッと会って「素敵だ!」と思い、即その恋に飛び込んでいけるくらいの、
「それって向こう見ずじゃ…?」レベルの、
勇敢さがあるかないか、だけなんです。

向こう見ず結構。
そのくらい「とんでもないことをした!」と思うくらいじゃないと、自分の真の姿って、出てこないですからね。

★でね?
たとえば婚活みたいなスタイルにのっとった形の中でも、
自分なりの思い切って!をやり遂げて、
新しい人生にダイブしちゃう人っていうのもいると思うんです。
そう、恋は出会い方でもない。
いろいろ恋をするには余分なものをかなぐり捨てて挑む人には
どんなシーンでも特別なキラキラが訪れる。
これは本当のことですから。
たとえば、先に条件や結婚の意志を聞いておいたほうが、自分は自由になれる、安心して思い切って相手に向き合える!って思うなら、
そういうのもありだなと思います。
だから活かすと自分で決めたなら、活かすべき!


★あとね、また違う話だけど。
付き合っている誰かがいるのに、「この人じゃないんじゃないか?」と思うとき、問うべきは自分自身なんです。
もっとこの人がこうだったらなあ、とか、そういう話じゃない。
人間は誰も完璧なんかじゃないし、完璧だから愛してしまうわけでもありません。
「その人といることで、私はよりイキイキと生きられる。
新しい自分が生まれてくる!」と思えるなら、
頑張って何とかして一緒にやっていける道を探しましょう。
そのやる気がわくってことが、恋です。のちに“愛”にさえ変わる何かです。

そもそもどう考えたって、違う個性がそばにいるのは、
ひとりでいるより大変です。
それはそう。だって自分だけって、ある意味楽だもの。

でも楽な道=幸福な道ってわけじゃないし、
人を好きになること自体も、決して楽じゃないです。
でもその楽じゃないことを、喜んで受け入れる。
そういう姿勢にこそ、私は愛を感じます。
未来があるのも、きっとそういう世界です。

それに、
「早く行きたいなら、ひとりで行け。遠くまで行きたいならみんなと行け」というアフリカの諺がありますが、私はこれが好きです。
確かに誰かといること&行くことは、時に寄り道が多かったり、回り道、道を戻ることもあったりして、苦労が多いかもしれないけれど、
今でいうところのコスパの悪い道かもしれないけれど、

「そのおかげで、自分ひとりだったらできなかったであろう、
思いがけない経験ができた。知らない世界を見られた」
こういうことって、人生に本当にあるもんね。
それこそ出会いの化学変化、新しいものがまた生まれた楽しい瞬間じゃないでしょうか。

単なる楽な人生じゃなく、できるかぎりの楽しい人生を生きたい。

もしあなたもそう思うなら、
あなた自身が選んだ、今そばにいる人を一層大切に。
一緒にいることで起こる謎、不思議、奇跡、感動をもっと味わおう。
そんな意欲、沸かせてください。

またこれから大事な誰かを見つけたいと思うなら、
まずは自分自身が本気で恋をすることをお忘れなく。
やわらかい心でたくましく臨めば、
出会い方、状況に関係なく、それに見合う価値ある何かを味わうこともできるでしょう。ただ無心で、笑いながら無茶にも飛び込んでいってください。

恋はどんな場所にでも必ず咲く。
でもあなた自身がその花であることを、どうぞお忘れなく。

★そして現在片思いしているのなら、
やっぱりまずは、恋の原点に返りましょう。

その人を思うと幸福なら、あなたはすでに大事なものを与えられています。

ただその先思いが通じるかは、運命の手の上にあるものだから。
誰にも何にもコントロールはできない。
その事実をまず甘んじて受け入れるべきです。

でも少なくとも、その思いがあなたに喜びを与える質のものなら、
そんな風に恋されている相手も、驚き、感心し、嬉しいはず。
「自分はこんな風に愛されのだ」
その記憶が相手にエネルギーを与えるような恋をしてください。
すぐに相手の心が動かなくても、時間を経て変わることもあるし、
もし片思いのまま終わっても、相手の中には何か温かいものが残る。
そんな形で終わる恋なら、人生いつ思い返しても十分自分が誇らしいと思いますが、どうでしょうか。

またあなたがそんな風にまっすぐ恋をしても、時に届かない相手もいます。
受け取る力がない、まだ未熟な存在なのかもね。
だとしても、それはそれです。
自分自身を責める必要はなし。恋をしたこと自体は素晴らしいことです。
自分の勇敢さをたたえ、また前を見ましょう。
チャレンジした人にしか入らない経験値とオーラ、確実に入ります。
きっと次に巡り合った誰かとは、もっと素直に上手に恋できますよ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?