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そもそも龍ってなんなのか-龍とお稲荷さん

こんにちは。Ayakoです。今日もトップ画像をクリエイターさんがご提供@noteの画像広場みたいなところ、からお借りしています。ありがとうございます。

最近の気づきをいくつか自分用にメモしておこうと思います。

注:私のフィルターで収集した情報と、私の感性で感じたものなので、これが正解!とかは言えません。ご了承ください。

龍が運ぶものとは

私は古代ロマンが好きで(といっても研究者やプロではないです)、気が向いたらちょいちょい情報に触れるのが好きなのですが、ここ最近でいくつかのものがパズルのピースをくれました。

この「アースダイバー」、文字が小さく文章が多くてまだ完読していないのですが(笑)、一部を読んだときに自分の内側に大きなものを残してくれました。

古代、山は色んなものの源だとされた世界観があったようです。山で滋養が蓄えられる。諏訪の辺りのことを書いてあるところに(御柱祭りについて)こんな文章があります。

山から切り出された巨木に森の霊力を詰め込んで、森と里の間の里山世界を引きずり回し、霊力を撒き散らしたうえで、神社に運び込むのである。(アースダイバー神社編、P140より抜粋)

これを目にしたときに、ブワ~~っと自分の中にイメージが広がりました。御柱祭は、祭りとして物を使ってやりますが、自然界だけの営みの時はどうか。

山で蓄えられた滋養は、水が里や海へ流していく。水がなければ、滋養は流れていくことはない。川のおかげで、滋養が土地に豊饒を与えてくれる。

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よく龍は水系に例えられることがあります。あと、龍を【流れ】と表現する人もいます。

古代の人たちは、その自然の営みを体感レベルで分かっていて、山の滋養も、それを流す水の力も、神聖なものとしたのではないか?と。

龍が運ぶものの象徴とされた神

稲荷神社は全国各地にありますが、お稲荷さんのご祭神は「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」さま。五穀豊穣の神さまです。(豊穣=>後世では日本では米が重要だった。お金の代わりにもなった。=>今はお金系のお願いでお稲荷さんに行く方も多いですね。豊かさの神。)


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五穀豊穣(豊かさ)を与えるものとは何か?元をたとれば山の滋養だと思います。

その、滋養を下に流していく力を持つ自然の霊力を、龍とした。(かもしれないw)

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と、いうところまで自分の中でイメージしていた上で、先日、愛知県蒲郡市の竹島にある八百富神社に行く機会があったのですが、そこの境内の一角にある「八大龍神社」に参拝しているときに、ふとイメージが湧いたのです。

流れていく先は・・・?

山の滋養は流れていく。色々なものを足しながら。

最後は海に。

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そして海からはどうなるか。太陽の光で上に上昇するではないか!

と。

海で一部浄化され、水蒸気となって、上空へ。そして雲となる。(雲に龍を感じる方も多いですよね)。

蒲郡竹島↓

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竹島の先端あたりからの景色↑↓

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その雲はやがて、雨となり大地を潤します。雨の一部は山に染み込み、時間をかけてそれぞれの土地の山の要素とそれぞれの土地ならでは(石や土や植物によって含まれる養分はさまざま)の滋養を育みながら、やがてまた下へ運ぶエネルギーを持つ龍が広く流してくれるのを待つのです。(余談ですが、健康マニアな先生がやってるお料理教室に通っているときに「良い石を使え」と力説されていて、石の力の凄さを何度も聞いたことがあります。良い石があるところには、良い温泉や良い湧き水があるそうなのです(石にミネラルとかがある)。我が家には「良い石」があり(笑)、揚げ物の時の油に石を入れておいたりします。石のパウダーが入ったまな板もありますwww。今年2月くらいに人生初で味噌を仕込んだのですが、蓋に「良い石(笑)」の小さいバージョンをジップロックに詰めたもの、を使っています。心なしか美味しくできそうな気がしたからw)

龍の流れの力を人の活動に例えるなら

私は問われた気がしました。龍(流れ)には、誰でもいつでも乗ることができる。でも流れに乗ったところで、そこに滋養はありますか?と。

(地球に生きているのだから)適切な時間と手間をかけて育んだものがなければ、滋養にはならない。土地に流れ出る時、海に流れる時、雨として潤す時、養分スッカスカのものになってしまう。あなたはそのような物を、広めたり、流したり、したいと思いますか?と。(これはコトの大きさを言っているのではないです。自分の内と外を大切にしようね(育む時はじっくり大切に)ということだと思っています。ただの日常の中にある、普通の生活の中で、育めるものもたくさんある)

そして、山で滋養が育まれるのは、冬です。ジーーっとしておく。その間に、水面下でじっくりと育まれる。動物や植物の亡骸や、虫たち、菌たちのおかげで。

亡骸や虫たちや菌たち、私は苦手です。それは、自分の内側に反映させるならば、自分が葬ってきた感情や、汚い、見たくない自分なのではないかと。それを静かに大切にする。ちゃんと存在させる。発酵されている間は汚いかもしれないし、臭いかもしれない。でも、適切な管理と「気にかけてあげる」というだけで、ピカピカの新しいものが生まれ出るかもしれない。

自然界が、長い冬の後に、ピカピカの春を迎えるように。

桜は長い間眠ると聞いたことがあります。長い長い眠りの後、春に満開の美しい花を咲かせる。ほんの何週間だけ。短い期間の花の時期のために、何倍もの静かな時間をただただ過ごすのです。

冬をちゃんと冬として過ごしなさい。

そうも言われた気がしました。

物質世界の冬もありますが、ここの太文字で私が表現しているのは主に内的(個人的、精神的)な冬です。自分の人生の大きなリズム(数年単位)の冬もあれば、数か月単位、数日単位の冬もあるでしょう。

結局龍とは

龍は自然界の大きな流れなのだと思います。(そして元々は水系がメインだったかも?)今は、人間界の集合的な意識の流れも言うようになったのだろう、と想像しています。時代を経るにつれてだんだん、色んな流れが増えてきた。結局エネルギー体の話だから。

そして龍は運ぶ。何かを(本来は滋養や豊かさを与えるものだった=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さまを象徴する元となった霊力や自然界の力だった、と私は仮定しています)。現代ならば、龍が運ぶものが何なのかは、きっとそれぞれの龍(流れ)によるのでしょう。

そしてやっぱ太陽が出ることも、隠れる(夜)のも、大事だなぁ✨とも気づきが。太陽ネタまで書こうとすると長くなりそうだからやめとこw。

私に大きなヒントをくれた本たち、さまざまな出来事たち、自然たち、ヒントを得る機会にめぐり合わせてくれたお友達のYさん、Kさん、メッセージのやり取りの中で気づきをくれた金RY子さん、ありがとうございます🌸

余談

神社によるかもしれませんが、多くの「春祭り」が、山の滋養やそれを育む山の霊力を神にみたてて、「どうぞ今年も豊穣の力を宜しくお願いします」と、山からふもとに神をお迎えするもので、秋になり、収穫が終わって、「今年もありがとうございました。どうぞ山にお戻りください」と感謝するお祭りが「秋祭り」なようです。(だから、日本人にとって、大事な根っことなる自然を大切にする精神を繋いできたお祭りは、すごく重要なのだと私は思っています。←と言いながら、地元のにほとんど参加していないから、お賽銭とかできる時にしよう・・・)

最近は南方熊楠(みなかたくまぐす)さんが気になっています。明治~昭和初期くらいの植物学や民俗学にも精通された粘菌学者さんです。これを図書館で借りました。

アースダイバーと同じ著者さん(中沢新一さん。思想家、人類学者さん)です。

熊楠さんは、自然界の営みの重要性から明治頃になされた神社合祀(いくつかの神社を合体させて、神社の数を減らす)に対して猛烈な反対運動をした方だそうです。(ちょっと激しい気性もあったそうで、逮捕されたこともあるみたいw ウケるw←コラ!先人に向かって!笑笑)

神社があることで守られる植物や自然界がどれだけ大切か?をものすごく感じていらっしゃったようです。その世界観は、とうてい私には理解できないくらい、深くて広いものな気がします。(写真のように記憶できる人で、お友達の家で見させてもらった百科事典の内容を、帰宅後詳細に書写したりしていたらしい。留学していたころも、語学も知識もドンドン入れて、海外の人たちと活発に議論しまくるくらいの人だったそうな。あまりにも記憶力がいいので、世界の一地方の神話を見聞きして、遠く離れた地方の神話との共通性を見つけ出したりもしていたようです。凄すぎるな。)。

そしてかなり自分だけの妄想なのですが、祓戸四神(はらえどよんしん)=大祓いののりと(祝詞)に出てくる、お祓いの四つの神さまたち、のうちの、最後の最後に出てくる、「はやさすらひめさま」は、菌のようなものを象徴しててもいいのでは・・?と思ったりしていますw

イザナギとイザナミは喧嘩をしたあとに、イザナギは禊(みそぎ)をした。禊をしたら色んな神さまが生まれた。禊とお祓いって私にはほぼほぼ一緒の感覚なのですが(エネルギー体の掃除か物理的な掃除か)、産みだす前には禊があった。禊やお祓いにはそれを手伝う存在(例えば祓戸四神)がいる。

自然界では菌とかが全てを溶かし(無のような感じにし←厳密には大事なものは抽出されているけれど)、新たな生命を作り出したり、新たな生命を作り出す手伝いをするのです。


最後のオマケ。

縄文人は、自然エネルギーの全体量が、つねに一定に保たれているような世界を生きている。狩猟や採集中心の彼らは、動物や植物に姿を変えた自然エネルギーを、自然の霊力の主(モノヌシ)からの贈与として受け取っている。そのとき、自然界から人間界へのエネルギーの移動がおこるだけで、全体としては、エネルギー総量の増減はおこらない。(アースダイバー神社編、P114より抜粋)

読んでくださりありがとうございました🌸

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