満月を過ぎた月・NWOと占星術(つぶやき2本分くらい)

朝、雨戸を開けた時に、空の西側に満月を過ぎた後の月が見えました。『万葉集』に残っている柿本人麻呂の和歌「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」も、満月を過ぎて下弦に向かっていく頃の様子を詠んだのでしょうね。

昔、理科の時間に月の満ち欠けとか習ったときには、恥ずかしながらいつ頃どの辺に月が見えるのかとかピンとこなかったけど、占星術を学んで、月の満ち欠けとかで占っているおかけで、太陽と月の位置関係がつかめるようになってきました。近代、占星術と天文学が切り離されたのがある意味悲劇だったかもしれない。もともと天体観測をするのは、暦を作って農業や漁業の参考にするためと、占星術をするためなのでしょうし。占いも農業も興味ないけど、星の動きや未知の天体を発見することに興味があるという人がいてももちろん良いわけだけど。

ところで新世界秩序(NWO)とか、目論む連中も多分、水瓶座でのグレートコンジャンクションとか、冥王星の水瓶座入りとか分かっていて、その上でそれによる既存の価値観の崩壊を自分たちが目論む方向に誘導しようとしているのだろう。彼らが目論むのが企業・財界による支配であるならば、それは山羊座的な価値観でしょうから、多分うまくいかないとは思いますが。あるいは、山羊座的な名残が強いうちに水瓶座的になるのを極力防ごうとしようとしているのかもしれない。なんだったか忘れましたが、立ち読みした本にも彼らは風の時代にならないようにしようとしているという趣旨の記述がありました。いいえて妙かもしれません。ただ、水瓶座にも二面性みたいなのがあるでしょうから油断してよいという話ではないと思います。『日月神示』にも「同じ名の神二つあると申してあろう、 同じ悪にも亦二つあるのじゃ、 このこと神界の火水ぞ」などとあります。

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