光る君へ 白楽天 左遷されても真実を語る、と論語

 光る君へをみていて白楽天(もしくは白居易)が時々出てくる。枕草子のエピソードも中関白家と定子のところでちゃんと御簾を巻き上げるシーンでドラマ化された。
 しかし、どうやら香炉峰の雪を見るのに簾を跳ね上げた、というのが正しいらしく当時はそこまで厳密に伝わらなかったらしい(白楽天 山口直樹 学研)。
 ドラマでは紫式部の弟が大学で白楽天の新楽府が紹介されていたが内容は諷諭詩で、世の中の風刺、夜中で民が困っていることを為政者に知らせる役割である。太田次男「中国の詩人 白楽天 集英社」によると白楽天はその頃、すでに長恨歌をリリースしており、人気者になり、さらに諫官となり天子の側近だったらしい。しかしこれらの詩を書いて左遷されたらしい。
 そのような自分の身に不利な状況でありながら長いものに巻かれずに直言や表明をする勇気ある態度を、ミシェル・フーコーによるとギリシア哲学ではパレーシアという。プラトンもシラクサの僭主に会いにいきトラブルになり奴隷として売られたとのことである。
 ギリシアではそのようなことが取り上げられているが、東洋ではそんなのは当たり前すぎるせいか比較すらされていないようである。
 そこでちょっと調べてみた。対象は白居易のさらに千年前の「論語」(現代訳論語 下村湖人 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001097/files/43785_58836.html)

です。
 パレーシアに対応する言葉の調べ方はどうしましょう?
 自由に話すとか、腹蔵なく話すとかすると、検索のしようがない。政治的なパレーシアである身分が下のものが王などに話す場合は、諌める、がいいでしょう。
 するといくつか引っかかってきますが、下記がぴったりでしょう。

 微子第十八
一(四六一)
微子(びし)・箕子(きし)・比干(ひかん)は共に殷(いん)の紂(ちゅう)王の無道を諌めた。微子は諌めてきかれず、去って隠棲した。箕子は諌めて獄に投ぜられ、奴隷となった。比干は極諌して死刑に処せられ、胸を剖さかれた。先師はこの三人をたたえていわれた。――
「殷に三人の仁者があった。」

 天子に直言して聞き入れられず去ることになったり、獄に入れられたり.胸を裂かれる、とはひどいことになっています。
 このように、ギリシアだけでなく中国にもパレーシアの実践はあり、その伝統は白居易にも伝わっている。司馬遷の史記列伝は調べてないですが、いっぱい出てきそうです。
 パレーシアという概念を知った時なんかよく知ってるな、と思いました。パレーシアは政治的な背景もありますが、もともとはギリシア人の自由民が民主政治の場で発言できる概念で、政治的、身分的な前提はありません。
 今回の政治的なパレーシアでは皆さんにも身近な内容でしょう。この話題は以前から考えてみたいことでしたので続きを考えています。パレーシアから自己との関係、他者との関係を論語をネタにすこし調べています。
 5月12日の「光る君へ」にもものすごく大テーマに白居易の新楽府出てきましたね。ドラマ見る前にこのレポートを書いていたのでのけぞりました。ドラマが楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?