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[Episode.34] 僕がDJを辞めた理由

1997年12月6日(土) 神戸三ノ宮のライブハウス「STAR CLUB」で開催された異種ジャンル混合イベント「COCK TAIL」。

このイベントが僕自身にとっては一つの大きな転機となった。

エピソードタイトルの通り、僕はこのイベントを機にDJを辞めたのである。

1995年10月に開催されたLove❤Kitchen初の主宰イベント 『ELECTRIC BEAM』 で、僕は初めて人前でDJとしてパフォーマンスを行い、それ以降も楽曲制作を行ってライブを精力的に行いながらも、DJとしてイベント出演をすることも多かった。

このイベントが始まる前からDJを辞めたいとかそういう気持ちは一切無かったのであるが、このイベントが終わった頃にはきっぱりとDJを辞めることを決意していたのである。

僕がDJを辞めた理由には、「COCK TAIL」に出演された2組のパフォーマンスを体感したことによる。

1組目は、関西テクノレーベル連合イベント「PHOZON」で共演した、MUSE electronic Music ProductsのMIXERことKANAGAWAさん。

KANAGAWAさん単独のDJを聴くのは、この「COCK TAIL」でのDJが初めてだったのであるが、ものすごく卓越した技術と僕好みの選曲、ミックス時の手さばきのカッコ良さ、次々に繰り出される独自の世界観・・・。

同じイベントに出演したDJのプレイで、ここまで衝撃を受けたの初めてであり、こんなすごいDJがいるのか~、と感心したと同時に自分自身のDJのふがいなさを痛感した。

自分のDJと言えば、ただ単に自分の好きな曲をつなぐだけで、特にテクニックが優れているわけではなく、フロアのオーディエンスに訴えかけるような魅力も無し・・・。

KANAGAWAさんのDJは違った。上手くコトバで表現できないが、DJプレイから伝わってくるメッセージというか魅力があって、グッと惹き込まれる何かがあったのだ。

1994年にターンテーブルを購入して以来、ずっとDJをやってきたけど、こんなにすごいDJに肩を並べるのは、今から頑張ってもムリな気がする・・・。

そんな思いが自分の中で芽生えた瞬間に、自分の中で「DJ」という肩書きはあっさり捨てることにした。あっさり捨てることができたということ自体、僕自身には「DJ」に対する熱量がそんなに無かったのであろう。

そして2組目は「RAW」。RAWは、川端さん(ギター)、梅ちゃん(ベース)、YAN-BOWさん(ドラム)の3ピースのロックバンドとして1997年に結成。一部のオケにはシンセ等の打ち込みサウンドを絡ませたスタイルでライブを披露された。出演順としては、KANAGAWAさんのDJの後であった。

DJではなくライブで出演をしていたRAWが、なぜ僕のDJを辞めるきっかけになったのか・・・。

それは、この日のライブパフォーマンスが凄まじくカッコ良すぎて、楽曲制作者でありライブパフォーマーでもある僕の鼻っ柱をバッキバキのグッチャグチャのネッチャネチャに折られたからである。

自分がライブ出演したイベントで、ロックバンドとの対バンは初めてであったが、ギター、ベース、ドラムのサウンドの迫力というものが、僕自身が制作する打ち込みサウンドとは全く違い、体の芯に訴えかけてくるような迫力に圧倒されてしまった。

全身を駆使して演奏する姿からして、ツマミやスライダーをクチュクチュといじるテクノのライブパフォーマンスとは比べ物にならないくらいの「熱さ」が伝わってくる。

もちろん、サウンドもめちゃくちゃカッコいい。

今だから言えるけれど、RAWのライブを観て「完全に負けた・・・」と打ちひしがれてしまい、その後のLove❤Kitchenのライブではやる気スイッチが全く入らず、ただ用意した曲を流しただけのような、低空飛行なライブとなってしまった・・・。

KANAGAWAさんのDJを聴いてDJを辞めようと思った直後のRAWの衝撃的なライブで、それが確信的なものとなった。

その代わりに芽生えたのが、「楽曲制作とライブパフォーマンスに焦点を絞って活動をしていこう!」という気持ちであった。

楽曲制作は、そう簡単には辞められない熱意があるということを自分自身で気づかされた。

RAWのライブで鼻っ柱は折られたけど、その後には「ここから這い上がってやる!」 というナニクソ根性が心の底からフツフツと湧き出してきて、イベントが終了してからは楽曲制作とライブパフォーマンスに、よりチカラを入れて取り組むこととなった。

「COCK TAIL」が僕自身にとっては一つの大きな転機となったのは、こういった出来事(自分の中の心情の揺れ)があったからである。

この日を境に、僕はDJとしてのイベント出演は行わないこととした。
(どうしても特別な時はDJをやったことはあるが・・・。)

この判断は、後々考えると自分のテクノの関わり方としての「選択と集中」ができて良かったのかな~、と思っている。

【写真:JRの高架下にあるSTAR CLUB】

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