[Episode.30] スキンヘッドの思い出
1997年7月。2度目の就職活動で既に内定をいただいて、留年した大学も卒業間際になった時期に、僕はひとつの決断をする。
「髪の毛をツルッツルに剃って、スキンヘッドにしよう!」
この頃、Love❤Kitchenの周りではスキンヘッドが流行っていて、vinylman、そしてvinylmanの運営するデザインチーム「vinylworks」の相方である冨ちゃんの2人が既にスキンヘッドにしていた。
「来年の4月になったら社会人になるので、社会人になったらできないことを今のうちにやっておこう!」という、思い出作りのひとつとしてやったのがスキンヘッド。
大学生の自由な身ではあったが、スキンヘッドをするにあたっては週5日のペースで働いていたバイト先に迷惑をかけないように、スキンヘッドにした後しばらくはバイトを休ませてもらうことを社員さんに事前に相談して了承をいただいた。
ディスカウントショップの店舗スタッフ(接客あり)ということもあり、さすがにスキンヘッドの店員は客商売には適していないと判断し、周囲に迷惑をかけないような最大限の配慮をしたのである。(こういうところは、きちんと段取りができるマジメな一面もあったんですよ。)
バイトを約1か月間休むことになった1997年8月2日、僕はvinylmanの家に行き、「キレイにスキンヘッドにするテクニック」を教えてもらいながら、自ら手に取ったカミソリでスキンヘッドにしていった。
思っていたより簡単に、そしてキレイにスキンヘッドに仕上げることができて満足。vinylman家の中は、既にスキンヘッドであったvinylmanと冨ちゃんに加えて、新入りスキンヘッドとなった僕の3人が並んでいた。
スキンヘッドにするとちょっと怖い感じになるかと思いきや、vinylmanと富ちゃんと僕が並ぶと、さしずめ「ヴァイナル念、富念、まこ念」の「テクノ寺の小坊主3人組」といったゆるキャラ集団のようだった。
【写真:スキンヘッドなりたて(左上:髪の毛を剃っている僕、右上:富ちゃん VS 僕、左下:vinylman VS 僕、右下:チルアウト中のまこ念)】
スキンヘッドにした日の晩に、Love❤Kitchenは神戸 Aqua di Maya (JUNX)で開催される「RE-ALIVE」という大規模クラブイベント(ワンナイトダンスパーティー)にライブ出演することになっていた。
【写真:RE-ALIVEフライヤー】
何の用事だったかは忘れたが、ライブ当日にLove❤Kitchenクルーは梅田に行くことになっていて、dj yukiの運転する車に乗り込んで梅田に向かった。
梅田に到着して、dj yukiの後部座席から出てきたのは、vinylman、冨ちゃん、僕の3人。「テクノ寺の小坊主3人組」である。
みんなベビーフェイスの可愛らしい出で立ちとは言え、さすがに梅田の人通りの多い場所にスキンヘッドの若者が3人揃って歩いている姿は異様な光景であり、2度見されたり、変な目で見られたものである。
【写真:梅田の駐車場にて】
8月2日のLove❤Kitchenのライブのリハーサル時の写真があるので掲載しておく。
【写真:ライブリハ中のLove❤Kitchen(左:dj yuki、中央:僕、右:vinylman)】
【写真:Aqua di Maya外観】
スキンヘッドにした僕に対して、母親は相変わらずのリアクションで「(世間様に対して)恥ずかしいからやめて」という感じであったが、期間限定ですぐに髪の毛を伸ばすことを伝えると、特にうるさくは言われなかった。
1か月休んでいたバイト先には、ちょっとしたサプライズにしようと客としてお忍びで入店し、社員さんや他のバイト仲間を驚かせた。
物珍しいせいか、バイト先の女の子たちが一緒に写真に取りたがって、ひとりずつ順番にスキンヘッドの僕とツーショット写真を撮るという妙な撮影会が開催されたりもした。
過去を振り返ってみて、スキンヘッドにしたのはいい記念になって良かったな~と感じているが、ひとつだけ誤算があった。
1997年10月1日。翌年の4月から社会人として働く会社の「内定者懇親会」が開催されることを忘れていたのである・・・。
8月1日にスキンヘッドにして2か月。剃ってすぐに髪の毛を伸ばし始めたと言っても、さすがに2か月では丸坊主としてもかなり短髪であり、周囲からすれば「何かあったのか?」と思われてしまいがちである。
あらかじめ人事担当(採用担当)の方に事情をお伝えするというネゴは取ったものの、やはり内定者懇親会では浮いた存在となってしまった・・・。
これも「若気の至り」ではあったが、今となっては良い思い出である。
【写真:自撮り(市民プールで泳ぎまくったため色黒、生まれて初めてあごヒゲも伸ばしてみた)】
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