地方創生政策立案・施策実行のために   第3章 空想的社会主義

カヤックグループ戦略室として、QWANで半年ほど担当させていただいた、地域通貨。

地域通貨の歴史は、18世紀の空想的社会主義者ロバート・オーウェンに遡る。

産業革命で労働者が疲弊する中、オーウェンを始め、サン・シモン、シャルル・フーリエなどの革命で傷ついた志ある資本家が、理想のコミュニティを求め、小規模の自給自足共同体を作り、実践していくが、進行する帝国資本主義の中で、中々長期的な成果を出せなかった。

この私財を投げ打った実験的な試みが、後にマルクスら「科学的社会主義者」から区別的名称として、「空想的」(ユートピア的)社会主義と呼ばれ、現在も西側諸国の社会福祉思想の源流にもなっている。

一方で我が国は、江戸時代に藩札制度という、地域通貨に近い取引形態が、幕府とは別に各藩の財政を陰で支えた。

戦後のブレトン・ウッズ体制による金本位制が、ニクソンショックとスミソニアン合意で、敗戦国で固定相場制の恩恵を被り工業国として発展を遂げた我が国も、変動為替相場制へと移行、矛盾を打破するための協調介入が行われた1985年のプラザ合意により、共産主義にとどめを刺し、資本主義は以降、マネーゲームと化し、我が国は失われた30年へと突入していく。

資本主義がデジタル化して、ゲーミフィケーションになることで、ビジネスが二極化し、寡占のプラットフォーマーの勝者と、大量の敗者に分かれ、サービス化で労働の意味が変化し、少子高齢化が急激に進行することも相まって、格差社会が先進国でも広がりつある。

核家族化、地方過疎と都市の過密で、分断された地域のあたたかな価値を取り戻す取り組みとしての地域通貨は、作家ミヒャエル・エンデのエンデの警鐘を機に、21世紀初頭に様々な地域で取り組みが行われたが、成功事例と呼べるに値するものは少ない。

ブロックチェーン技術を機に、通貨をデジタル化する事で、データ解析出来るようになり、適切な施策が打てるようになるという期待感の元に、第2次地域通貨ブームが来たのが、一昨年あたりから。

人のつながりを数値化する通貨を導入することは、新しい経済価値を作り、市場の失敗でおろそかになった域内循環経済への投資を推進できる期待感もある一方で、匿名性のある国家通貨から、非匿名性の誰がどこでお金を使ったがわかることで、管理社会による行動統制と選民思想にもつながる。

SDGsの観点からは、人間関係ベースの社会資本より、熱力学第二法則(エントロピーの法則)に矛盾する持続可能な開発を目指す環境資本を重視した、20世紀初頭に物理学者で地域経済学者でもある玉ノ井芳郎らが提唱したエントロピー通貨を提案したが、QWANの取締役と折り合いが合わず、真っ当な議論ができないまま、頭良すぎると言われて、辞めることになった。

今まで経験したことのない分野で新たな知見が広まり、良い経験になったとともに、自分のやりたいことを見つめ直すきっかけにもなった。

霞ヶ関への働きかけも、別途行ってきて、新たな政策提案にも繋がったので、やなさんや他のカヤック社員には、残してきたしてきた資料が伝わっていることを願うとともに、関係が今も続いているカヤック系鎌倉仲間と共に、新しい経済価値に挑戦していきたい気持ちは今でもある。

バッハは、作曲した譜面に、Soli Dela Gloria (ただ神の栄光のために)とサインしていたというのは欧米では有名で、SDGsはそれを想起させるようだが、地域通貨は、我欲を捨て、ただ神(多神教国家では複数系でも良いのか)のために尽くす、高い倫理観を問われる通貨制度でもある。

進行する第4次産業革命で、どのような経済システムに移行することが未来から望まれた神の声なのか、複数の地域と複数のシステムで検証していくことが、ゲーミフィケーションを超えた私たち世代のリアル人生ゲームになるかもしれない。

第3章 空想的社会主義

ロバート・ウォーエンのニューハーモニー平等村と千年王国
労働交換券は、人為的な地域通貨システムとしては最初の例として、地域通貨を語るには重要であり、LETSなど近年の地域通貨システム構築の参考にもなっている。

現代的な地域通貨の始まりは、ロバート・オーウェンの「労働交換券」です。 オーウェンは、1832年に、ロンドンで「全国公正労働交換所」を設立し、「労働交換券」による実験を行いました。 参加者は、「労働交換所」で自分の生産したものと引き換えに、その生産に要した時間を記した「労働交換券」を受け取り、 他の生産物を購入できたのです。この実験では、労働時間を価値の基準にして公正な交換をめざしたのですが、 労働時間の計算が難しさや商人の利潤を求めた介入などの理由により失敗に終わりました。
そもそも地域通貨の歩みを振り返れば19世紀末にイギリスのロバート・オーウェンが始めた労働証券に発祥を見ることができます。
当時のイギリスは産業革命華やかし時でしたが新しい産業発展のもと、時勢に乗って多大な富を築く者がいる反面、これまで家内自営業や農民といった人たちの中には産業革命について行く事ができず仕事を失い貧困にあえぐ生活を余儀なくさせられるという深刻な状況も生み出しました。
このような中、貧困を改善する様々な社会運動が生まれましたがオーウェンが注目したのは貨幣というシステムでした。
貨幣の特長は流通範囲がグローバルに広がっていて誰でも、それを得て使うことができます。これはモノやサービスの交換を拡大発展させていく手段としては大変優れています。というか貨幣なくしてはそもそも取引、流通は起こらないといっていいでしょう。
しかしながらこの貨幣が取引、流通、富の偏りを生み貧富の格差を発生させてしまうのも事実です。
オーウェンは貨幣の特長を残しながら貧困層の人々にもお金が行き渡るようにと地域だけに流通する通貨ー労働証券というものを考え出しました。
この試みは必ずしもうまくは行きませんでしたが、オーウェンのアイディアは、その後第二次世界大戦のきっかけとなる大恐慌の時代にもリバイバルし世界各地で地域通貨による取引が行われました。
そして現在20世紀末から進行しているグローバリゼーションによる経済格差と地域経済の衰退は、再び地域通貨の可能性を蘇らせていると言えるでしょう。

シャルル・フーリエ

アソシアシオン「ファランジュ」は1500人から2000人で構成される。理想的には1620人だというのだが、これは810におよぶ情念素が完全なシステムを形成するのに必要な人数の、2倍にあたっているらしい。フーリエが1819年に確立した理論にもとづくものだったのだが、その後にフーリエ自身が「縮小規模実験体」を発案して、80家族・400人でも「試験ファランジュ」が設立できるとした。このようなファランジュの中心には、その建物だけでも自生自立しうる「ファランステール」という集合機能と集住機能をもったパビリオンが設定された。

シャルル・フーリエは、ニュートン力学に基づいて基本情念を12に分け、関係性を計算したが、経済学が系の資源が無限であるという仮定のニュートン力学に基づいている

なお、日本については、

「野蛮人のうちもっとも勤勉かつ勇敢であり、もっとも尊敬に値する日本人は、女に対しても、もっとも嫉妬心がなくもっとも寛大である。そのため偽善的な習慣に恋愛を禁じられた支那の猿どもが、わざわざ日本に渡って恋愛に身を委ねるほどである。」

と述べられている。

西洋発の地域通貨の元となる理想主義的な思想に理論的には賛同するのに何か直感的な違和感があるのは、中世キリスト教の抑圧や産業革命の激動の中で醸造された、コンプレックスから人を管理しようという歪んだ思想も見え隠れする。
我が国の講や藩札などの地域通貨の元となる思想との対比も興味深い。

シルビオ・ゲゼル ー減価する貨幣ー

マルクス主義は最良の経済システムなんだ、君が子供をコントロールしようと思ったらね。でも具合が悪いことに、連中はすぐ十代になってしまい、反抗し始めるんだよ。
国民ってのはこうしろといわれたり、抑圧的で圧制的なやり方で統制されるのを憎むものなんだ。誰もが旧ソ連や中国やそのほかの国で、計画経済ってい うのが計画されたようにいかないのをみてきたしね。そこでは産業の目的は利益を上げることじゃあなくてひとを雇用することだったわけだけど、それは計画経 済には荷が重すぎたってわけよ。
そこでやっぱり、利益を上げようとする動機がみなを競争させるし、この競争が成功と社会の豊かさをもたらすんだと考えた。
でも、結果はみたのとおりさ。確かに成功したやつはいる。しかしそれ以上に負けたのもいてさ、所得の格差は広がった。雇用をもたらすのは、競争だけじゃあ無理ってことも知った。
じゃあもう一度、マルクス主義のような無関心と感動のない社会を永続させるような体制に舞い戻るかい。
できない相談だよ。
三つ目の選択肢が要るんじゃないかな。それを聞きにきてくれ、第三の途だ。
ゲゼル理論がそれに答えてくれるはずだ。

ユートピア思想は、マルクスが批判的に表現した、上記で見てきたオーウェン、フーリエ、サン・シモンらの空想的社会主義から、エンゲルス・マルクスの思想を科学的社会主義として、レーニン主義として農業国ロシア帝国で共産主義革命として結実するに至った。しかし、ソヴィエトの崩壊とともに、計画経済の様々な教訓が残され、資本主義経済の行き詰まりが叫ばれても、単純に計画経済管理社会の方向への舵取りというわけにはいかない現実がある。以下に、「ユートピアの歴史」の最終章の一部を抜粋し、21世紀の経済システムの展望の参考とする。

ジュディス・シュクラーが示唆する通り、個人の自由をひとつの単位として考える強制的な連帯への代償は、あまりにも高くつきすぎることがわかった。一九八九年の革命(東欧革命) 後のソヴィエト共産主義の崩壊と、中国の、とりわけ資本主義と社会主義が交じり合った自由 市場混成体への転向によって、共産主義が掲げていた「計画経済銘柄」の魅力は弱まった。お そらく一九八九年のベルリンの壁崩壊が最も明らかに象徴しているのだろうが、「ユートピア のバブル」はとうとう弾けてしまったのだ。「ユートピアは、スパルタめいた要素が多すぎて祝祭めく要素が少なすぎ、独身主義の要素が強すぎて慶事の要素が弱すぎ、仕事が過剰で遊びにごく乏しいと広く認識されるようになってきている。多くの人々にとっての理想が、安手で、暗く、おもしろみに欠けるものになった。 革命が、より偉大な道徳を少なくともあまり長く吹き込んではくれず、いっそう看過できない残酷さを招くほど、ユートピア思想は、現代の蛮行を煽るものとして見なされ得るのである。
自慢の平等も急速に消えてしまう。新興の特権的エリートが、特別な土地、オート・クチュー ル、贅沢な暮らしをじきに所有するようになる。連中は、革命のさなかに割ってもいない卵を貪り尽くすのだ。近代化した社会の成員の大半は、もはや黄金時代に立ち返ることはない。先祖は現在の人間と比べて「より良い」存在だったのかもしれないということについて、どのような疑いがほとんどないだろうが残っていたとしても、もはや羊飼いなどにはなりたくないのだ。それよりも買い物だ。アルカディアには買い物をする場所がなく、共産主義のモスクワには買う価値のあるものがなかった。ユートピアの黄金の魅力は、当初こそ光り輝いて見えたものの、今や見かけ倒しの黄鉄鉱なのは明らかで、スパルタの貨幣程度の価値しかない。我に与えよ――あるいは二十世紀後期の人々であれば、こう口にしたろう――郊外を、贅沢品を、名士の文化を、テレビ映えのする娯楽を、 絶え間なく、感動的な新しいものを、限りない欲望を鎮めてくれるものを。
 富は現実であり、黄金時代とは現在のことで、漸進的により煌き、数値化したようにより規則正しく小規模化されている。アダム・スミスは、どうやら選択の文化を届けてくれたらしい。 そして人々は引き続き、トマス・モアのいう神的な名誉を、預言者と英雄に、そして超金持ちに与えるのだ。彼らの祝福のために祈り続け、聖遺物箱を崇め続けるのだ。ショッピング・モー ルが我らの寺院であり、崇められるべきは(ビル・)ゲイツと(ウォーレン・)バフェットー万歳、シリコン時代!( オール・ヘイル・ザ・シリコン・エイジ)
  だがしかし、まさにこの瞬間、先進国の多くで、自由市場の「成長」と進歩への単純な信仰ーまるで資源と人口が無限に拡大し続けられるとでもいったようなーもまた衰え始めていたのだった。二十世紀後期には、エコロジー的破局という亡霊が、次第に選り抜きのディストピアの立場から全体主義を追いやり、取って代わることになった。過去二世紀にわたって具現化した主要なユートピアであったアメリカ合衆国は、今や厳しい経済的、政治的衰退に直面し ている。宇宙までもが希望の光を与えてくれるように思えるのは空想の中だけで、一関の死の光線の方が現実味を帯びて迫ってくる。万遍のない拒絶と、財政危機だけが弱体化させ得る退廃との只中で、破滅論者と「黙示録」の狂信者が姿を現し始め、「終末は近い」と告げるのだ。

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