「他人の占い結果、どこまで公開していいの?」スペースで話を聞いた理由と考えたこと
9月6日(月)21:00-22:20、お二人の現役占星術師さんから話を伺うという主旨でスペースを公開しました。きっかけは、かとうふみえさんがリツイートされた、とある作家さんの投稿です。浮上したのは「勝手に第三者の占い結果を公開する」ことについて。以前から時々話題に昇るのを見ています。記録にこそないものの、占星術への反論と同じく、かなり古い時代まで遡るテーマと考えています。
現役占星術師の意見を聞きたいと思いました。そこで交流のある、かとうふみえさん、雨森亜子さんからご意見を伺う場を設けました。スペースのリスナーは160名前後。開催後に送られた意見や感想、Twitterでの応答もあり、高橋桐矢さんのブログ記事、コードネーム:はらさんのSpotifyでも取りあげられました。
さて「勝手に第三者の占い結果を公開する」には二つのテーマを含んでいます。ひとつが「勝手に占うこと」もうひとつが「占断を公開すること」です。
そこで、この二つをスペースでも質問として取りあげました。事前に取り決めたことは一つだけ。「強いて性急な結論を導かない」です。理由は後述します。
以降、スペースの後に考えたことを中心に述べます。
本稿は僕の偏見に基づいた意見です。倣う必要も真似するものでもありません。また、こうした方が良いという提案でもありません。スペースでお二人から話を伺い、また最後にはリスナーのお一人から貴重な意見を頂きました。それに対する現時点での考えを明示するために書きました。
勝手に占うこと
現在「対面鑑定は依頼に応じてのみ行う」という決まりを守っています。でも占星術と出会った20代、かなりの人数を対面で勝手に占いました。やがてそれに興味を抱いた人の紹介、依頼も手伝い、数は増えていきました。でもある時そんな調子で占った方から、大ヒンシュクを買います。それが止める直接のきっかけでした。その時はじめて「(勝手な)占いを嫌がる人がいる」という事実と直面したのです。
こうした体験は「占い師あるある」のひとつかも知れません。僕がプロを名乗るのはそれからずっと後のことですが、すぐにプロとして市中に出る人もいれば、学校や師に学ぶ人もいます。あくまでも僕が「いきなり野に出て、図々しく申し込み試合の様なことをやった」ということです。これが自身の占星術原体験であることは間違いがありません。そして、口にこそ出さなかっただけで、不快な思いをした人はもっといたはずです。当事者だからこそですが、この方法は絶対に薦められません。依頼の有る無しはそれほど大切なことだと今は考えています。
公開すること
実占例から学ぶことは重要です。算数の公式、英文法と同じく、例題/問題集とセットでなければ身につけることはできません。占断手順は人によって様々ですから、そうした違いを読むことから視野を広げることもできます。占断結果やその過程がメディアから消えれば、そうした機会は失われます。スペースの話題では、ネットでの公開を暗黙の前提としていました。本稿では広義の掲載について考えます。公にする(他の人が見る)という点において、ネット、紙媒体、講座での掲載に明瞭な線引きは困難だからです。
ネットが変えたこと
ネットが台頭する以前。講座や師事する以外の場では、書籍や雑誌の記事だけが手がかりでした。現在も、実占例として著名人が採用されることは珍しくありません。最初は誰もがこうした内容を手がかかりに学びます。公にすることが問題視され始めたのは、長く見てもこの15年。もちろんブログ、SNSの台頭がその背景にあります。個人参入の障壁が取り払われ、それまで大手企業の独壇場だったメディアのあり方が大きく変容しました。同時に著名人のプライバシーに対する考え方もシフトし始めています。
前ネット時代、個人が公に意見を発信する方法は主に二つでした。ひとつにメディア企業を通す方法。たとえば新聞社、雑誌、ラジオの投稿や受注。担当者に評価されると、定期的な執筆依頼や出演依頼へと繋がりました。もうひとつは、ニュースレターや同人研究会。ローカル・コミュニティを通しての発信です。ごく一部の人たちが参加するパソコン通信は80年後半から。そして95年頃から、ネットの一般化が始まります。
「検閲性」二つの時代を分けるもの
ネット前とその後の発信を明確に分けるものとして「検閲性」の有無を挙げます。検閲は古臭く強権的な響きがあります。でも、ここで云うそれは一定の規程に従って内容を分別することです。
まず第一に広告主(スポンサー)の存在。メディア企業は広告主の意向を無視した発信は出来ません。広告主を冠するメディアにとっては最も強大な力です。
第二に、各メディアの内部規程。これはオーディエンス、読者に対する企画方針や編集方針。より広義では言葉の使い方、表現方法の規程も含まれます。たとえば、ここ十数年の変化では「障がい者」「認知症」などの言葉です(以前は障害者、痴呆症と表記)。こうした方針は個々の企画者、編集者、企業によって決められます。
つまり、メディア企業は広告主の意向、オーディエンス、読者の反応、内部規程に照らして発信内容、表現を自主的に検閲しているのです。
執筆者個人が良しとする内容であっても、編集部、編集長、会社、広告主の拘束力が必ず働きます。こうした面倒な手続きを経て一般に伝えられることから、その内容は一定の社会的拘束力によって担保されているとも言えます。
一方で、個人発信に検閲はありません。すべて個人の自由裁量で決められます。これが前時代と今を明確に分ける「検閲性」(拘束力)の違いです。
嘘に鈍感になったのか
さて、ネット台頭の影響はメディア全体、さらには日常感覚の変容に及んでいることに異論はないでしょう。極端な具体例をひとつ挙げます。90年代までは政治家の嘘、失言が一般に知られることは政治生命に関わる一大事でした。一国の首相がテレビキャスターとの問答で発した言葉が原因で、退陣させられる時代だったのです(嘘つき解散 参照)。
現在はどうでしょう。言わずもがなです。
では、なぜこうも変わったのでしょうか。
その仮説として、情報耐性を原因のひとつに挙げます。どの様な刺激でも、繰り返されるに従いその反応は減衰します。イソップ物語「オオカミ少年」を挙げるまでもなく、情報においてはそれが顕著です。僕たちが公人の嘘に鈍感になったのではなく、実は日常に溢れる嘘に反応しなくなっているのだとしたらどうでしょう。
もちろんこの仮説の根拠はネットに溢れる誤情報です。事実と思っていた情報の誤りに最初は怒りや不安を抱く。それを二度三度繰り返す。そのうち反応しなくなる。個人が書いた記事どころか、Wikipediaも完全に信用はできない。こうした環境に慣らされ、嘘に対するセンサーが鈍化し、強く反応しなくなっている可能性です。
もしそうだとするなら、「嘘」は放っておけば消えて行く時代です。それでも、痛みを負うのは当事者だけという構造は残り、拘束力に担保されない発信が人を追い詰める事件が起きる。
メディア発信に対する著名人の態度変化や、プライバシーを尊重する意識にはこうした状況が関わっていると考えています。
この環境は20年以上かけて作られてきました。だから一朝一夕に変えることは出来ません。それが「強いて性急に結論を導かない」とした理由です。
おそらく、一定の拘束力を持つ検閲や規程は必要なのでしょう。個人的に信頼を置く発信者のブログやSNSはあります。それでも、真剣に調査をする際は刊行された著作物を求めます。ネットの情報よりも遙かに強い社会的拘束力の下で作られ、それにより信頼性が担保されていると考えるからです。
自身の規程について
コードネーム:はらさんのSpotifyを拝聴し、コンプライアンスについて改めて考えました。元々の意味は「法令遵守」。ただ、現在はより広がりのある概念になりつつあります。これを、自らのうちに規程を敷くこと〜行動・言動を律する基準とするなら、全体のコンセンサスが不在であっても、自身が守る規程、つまり拘束力になり得ます。
雨森亜子さんの「恥ずかしいことをしているという自覚は必要」という話には大変共感をしました。こうして、文章を公にすることも、恥をばら撒いているという側面が必ずあります。また、何かを提示・発表する行為は、自分が完全に誤っている前提と常にセットだからです。
かとうふみえさんから伺った「海外占星術記事の一文」に触発を受けました。ジェフ・ベゾス氏を占断した記事の「起業家の彼について、占星術家として誠実に占断をする」といった前フリです[*1 参照]。こうした姿勢は自らの姿勢を省みて、傍若無人な振る舞いを諫めると思います。
どう考え、どうするのか
以上の考察を踏まえ、現時点での自身の考えを述べます。
メディアの種類、方法に関係なく、第三者のチャートを元に学べる機会はあった方が良いと考えています。問題はその取り扱い方です。占星術に「表現」「エンターテインメント」の側面があることは認めます。だからといって、何を書いても良いというのは違うと思います。求められるのは節度や倫理という意見があります。大いに同意します。ではそれは何処に書いてあるのでしょう。法律の様に、誰かが決めてくれたらいいのでしょうか。 共通認識とするものはまだありません。
そうした状況で、できることは自分で決めたことに照らして分別することです。そこで、自身の規程を改めて立て直しました。
公人(選挙で選ばれた議員)とする理由
まず前提として、僕自身が信じる政治信条はなく、個別政党に興味がありません。議員の模範性、善良性への期待も皆無です(法律違反はもっての他ですが)。注目するのは、彼らが持つ一般人から預託された予算分配と立法に対する権力です。突きつめれば、政治力はこの二つの力に集約され、それが一国(もしくは自治体)の方向性を決めます。議員個人の考えと、彼らの人間関係が予算を動かし、法律を決めるのですから、行動と言動を色々な角度から見ておくことが必要と考えています。
前文/後書き
新しく追加した規程です。スペースで教えてもらった事例に触発を受けて採り入れました。目的は公開する占断への姿勢を明示することにあります。
事前調査
書き手として好き勝手にしないための縛りです。経歴、過去に通した法案、信条、他者評価など調べて分かることは今後も調査します。占い師だから占断結果だけを見るという意見もあります。これには同意しません。占星術は霊感占いではなく、占星術の文脈で現実を測る方法と考えているためです。鑑定で事前調査は行いませんが、質問に至る経緯等の聞き取りは行うことがあります。
自身の講座では、受講者の先入観が関与することから、特定の理由がない限り著名人のチャートは用いていません。でも著名人の方が学びやすいという場合は選んでも良いのではないかと、スペースの後に考えるようになりました(講座内規程は改めて決めます)。
(了)
[追記 2022年1月16日 12:00]
公人以外のチャートについて
2021年12月4日より、受講者、受信者、読者から対価を受け取る講座、配信、出版(メディアに関わらず)で上記に定義した公人以外の著名人の出生情報、また当該人物を題材とするチャートを用いています。配信、出版に際して占星術解釈であること、当人とは何ら関係の無い事柄を含む可能性があることを記載する点は、一般公開記事と同様とします。
参考
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