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魂への問いかけ

先日 誕生日を迎えた。
ひとつ歳を重ねたから、というわけでもないのだけれど近頃 物忘れがひどい。
本当にひどすぎる。

多分 誰しも妙齢になると、「あれ、それ」がやたらと多くなるし(物の名前が出てこないから)、
顔は思い浮かぶのに名前がさっぱり出てこないなどは、もはや共通の「あるある」な体験だと思うが、例にもれず年々ひどくなる。

先日も通りすがりで見かけて、面白くて後でゆっくりと読もう!と思っていたブログの存在を不意に思い出した。

(はて、何だったっけな?)

ブログのタイトルが思い出せない。

(そうだよね、もう優に半年は過ぎてるし。
どこかにブックマークしておいたはずなんだけどなぁ…。)

何となく変わったタイトルだった(気がする)
カタカナだった(気がする)

記憶の残滓は、たったこれだけ。

仕事中にど忘れした場合は、即効で調べて記憶を速やかに取り戻す必要がある。
先日も会話の中で「リーマンショック」が出てこなくて、“12年位前の世界的な金融危機ってな~んだ“の問いに、見事 後輩が答えてくれて救われた。

それでも、今すぐに思い出さなければならない、緊急性の高いもの以外は、検索もしないし人にも聞かないをマイルールにしている。
これは単純に脳の衰えを防ぐため。

全ての記憶は潜在意識の中に埋まっていて、必要ならば思い出すことができる(らしい)。

質問を投げ掛けておけば、忘れた頃にふっと答えが浮かんでくる。だから、あまり必死で答えを探さずに、ゆったりと答えが降りてくるのを待った方が良いらしい。

それでも、私は頭の体操の為に一生懸命思い出すこととする。
変わった名前、カタカナだった、をヒントに男性っぽいイメージ、固めの感じ、など色んな角度から記憶を引っ張り出そうと試みる。

先のブログの場合、カタカナ→4文字位の韻、男っぽい、固い感じ、などを頼りに、まずはそのフォルムを探ってみる。
日常の用事を片付けながら、要所要所で「何だったけな?」を挟み混んでいくと、記憶とは大したもので、おぼろげな形が次第に浮かび上がり、次にようやく探していた言葉がフーッと浮かび上がってくるから面白い。

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例えていうなら、記憶という大海から、うっすらと姿を表した獲物に針をかけて吊り下げ上げる感覚に似ている。

飛び魚みたいにポンっと勢いよく言葉が飛び出してくるというよりは、似ている言葉から芋づる式に浮かび上がってくる。
記憶貯蔵庫があって、たくさんの記憶がしまわれているんだな、って体感する貴重な体験だった。

めでたく探していたブログにたどり着けたものの、同じ日に私が占星術を初めて習った先生の名前をど忘れしたことに気がついた。

東京まで習いに行き、それっきりお会いすることがなかったとはいえ、それにしても薄情な話ではないか。
自分を責めつつ、脳ミソの薄くなってしまったシワに嘆きつつも、何がなんでも思い出さなければ、恩知らずのそしりを免れない。

この必死の願いが叶い、またもや、ゆっくりと記憶をゲットできたわけですけれども、どうやら忘れていた記憶は、呼び掛けに応じて、その姿を現してくれるらしい。

これに確信を得た私は、より一層問いかけ続けることを諦めないことにした。

「私は何をするために生まれてきたのか」

多分、いやきっと、その答えは記憶の中に埋もれているけれども、必ずあるはず。
この人生を始める前に、きっと予定していたことを魂は記憶している。
それを思いだそうとするならば、おぼろげながら、そして次第にはっきりとした形で、必ず姿を現してくれるだろう。

思い出そうとするならば。

多分、きっと大丈夫。
必ず思い出せる。

ホロスコープは、その一端を見せてくれる。それでもホロスコープにある天体は、材料みたいなもので、それを使って何をしようとしているのかは、魂に尋ねるしかない。

自力で思い出していくしかないけれど、魂への問いかけは必ず答えが返されるのだと、確信している。

その為に、日々「あれ、何だっけ?あの人思い出せない」に向き合う訓練の日々を過ごしている今日この頃です(笑)






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