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宮沢賢治の宇宙(14) 風と会話する賢治

どっどどどどうど

どっどどどどうど どどうど どどう、
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいくわりんもふきとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、172頁)

風の音でこれほど有名な音はない。宮沢賢治の童話『風の又三郎』に出てくるものだ(初期形は『風野又三郎』)。有名だが、疑問もある。なぜなら、風が「どっどどどどうど どどうど どどう」と鳴る風の音はあまり耳にしないからだ。

嵐のとき、風の音が「ごうごう」、あるいは「ごおごお」鳴るというのであればわかる。ところが宮沢賢治は「どっどどどどうど どどうど どどう」という表現を好む。

基本は「どう」である。それは、賢治の童話『注文の多い料理店』を読むとわかる。

風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十二巻、筑摩書房、1995年、28頁)

やはり、賢治には風が「どう」と吹いてくるのだ。

花巻で聞いた風の音

もうだいぶ前のことだが、冬のある日、花巻を訪れた。まず、宮沢賢治記念館を堪能し、そのあと初めて高村光太郎記念館に行ってみた(図1)。とても寒い日で、風も強く吹いていた。いそいそと記念館に入ろうとしたところで、一陣の強い風に見舞われた。そのとき、風の音を聞いた。

どう

隣にいた妻に聞いてみた。
「今の風の音、どうって鳴っていなかった?」
「そう聞こえたわね」

風は確かに「どう」と鳴ったのだ。

図1 高村光太郎記念館。これは2023年10月に訪れたときに撮影したもの。高村光太郎が住んでいた建物はこの中にある。周りは大きな木に囲まれている。いわゆる、狭い荒屋。冬の花巻では、寒さを凌ぐのが大変だったろうと思う。

感覚イメージを写し取る

『風の又三郎』の書き出しの部分に出てきた風の音。

どっどどどどうど どどうど どどう

繰り返しになっている単語はないが、全体として風の音を表す、ひとつのオノマトペになっている。ここで、オノマトペは擬音語や擬態語のことである。

最近、『言語の本質』(今井むつみ、秋田喜美、中公新書、2023年)という新書を見つけたので、買って読んでみた。すると、オノマトペの言語学的定義がきちんと書いてあった(6頁)。

感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語

これはオランダの言語学者マーク・ディンゲマンセが定義したものだ。

「感覚イメージを写し取る」。この表現には賢治の心象スケッチに通ずるところがある。

オノマトペ作家

賢治は作品の中で、多くのオノマトペを効果的に用いた。「オノマトペ人」と言ってもよい。

『宮沢賢治のオノマトペ集』(栗原敦 監修、杉田淳子 編、ちくま文庫、2014年)では158種類のオノマトペがまとめられている。また、『賢治オノマトペの謎を解く』(田守育啓、大修館書店、2010年)には、その約二倍の299種類ものオノマトペがまとめられている。それまで誰も使ったことのなかったオノマトペがたくさんあるのだ。「オノマトペ人」というよりは「オノマトペ作家」だ。

吉本隆明も『宮沢賢治 近代日本詩人選13』(吉本隆明、筑摩書房、1989年)において、賢治のオノマトペの作法について一つの章を割いて議論している。巻末には賢治の用いた150種類のオノマトペの一覧をつけている。吉本は賢治のオノマトペの使用動機を次のようにまとめている(『宮沢賢治 近代日本詩人選13』吉本隆明、筑摩書房、1989年、315頁)。

目にうつる事象のうごきを、さかんに音の変化や流れにうつしかえようとした。

つまり、賢治にとってオノマトペを使う方が、彼の感じた心象スケッチを正確に表現できた。ちなみに吉本はオノマトペに対応する日本語として「音喩」を使っている。擬音、擬態、擬声と比べると、「音喩」の方がストレートな訳語のように感じられる。

また、「換喩」という言葉も見つけた(『言語の本質』今井むつみ、秋田喜美、中公新書、2023年、16頁)。ある状況、動作や音をオノマトペに置き「換」える。なるほど、「換喩」も言い得て妙である。

オノマトペ、いろいろ

言語学者の金田一京助(1882-1971)はオノマトペを細分類している(図2)。この分類は『オノマトペの謎 ピカチュウからモフモフまで』(窪薗晴夫 編、岩波書店、岩波科学ライブラリー 261、2017年、5-6頁)に紹介されている。

図2 金田一京助によるオノマトペの細分類。オノマトペは大きく三つに分類されるが(擬声語、擬態語、擬情語)、擬声語と擬態語はさらに二種類に分類できる(左から二列目の薄いグレーで色付けした用語)。そのため、全体では五種類のオノマトペがある。

さすがに言語学者である。論理的かつ明快にオノマトペが分類されている。日本人は感じたままをうまく「音」に変換し、その「さま」を表現しているのだ。

どっどどどどうど。これは風の音なのでこの図の上から2番目にある「擬音語」になる。風の音といえば「ひゅうひゅう」、「ぴゅうぴゅう」、「びゅうびゅう」、あるいは「ごうごう」が普通だ。「どうどう」では音が低すぎるような気がする。何しろ、童謡の『たきび』では、北風ですら次のように歌われている。

「きたかぜぴいぷう ふいている」

 「ぴいぷう」。北風とは思えないほど、可愛らしい音である。ただ、この「ぴいぷう」は風の音のオノマトペとしてはマイナーなようだ。『日本語オノマトペ辞典』(小野正弘 編、小学館、2007年)には32個の風の音のオノマトペが紹介されているが、そこには「ぴいぷう」は見当たらない。また、意外にも、「どうどう」も見当たらない。

童謡の『たきび』は昭和16(1941)年に発表された。作詞は巽聖歌、作曲は渡辺茂である。実は、作詞を担当した巽の故郷は岩手県である。賢治がイーハトーブと名付けた岩手県ではさまざまな風が舞っていたのだ。

なんと、「風の三郎」がいた!

賢治の童話のタイトルは『風の又三郎』。なぜ、このタイトルになったのか? 実は、東北地方や北陸地方には「風の三郎」という伝承がある。たとえば、新潟では9月1日は“風の三郎”と呼ばれているのだ。この日は210日に相当し、台風の多い日、あるいは風の強い日とされてきた(雑節の一つで、210日は立春から数えた日数)。

また、岩手県のわらべうたに次の文章がある(『定本 宮澤賢治語彙辞典』原子朗、筑摩書房、2013年;風の又三郎の項目、138-139頁)。

風アどうと吹いて来(こ)、豆けるア、風アどうと吹いて来、海の隅から風アどうと吹いて来

なんと、風の音としての「どう」は、宮沢賢治の独壇場ではなかったのだ!

岩手県、恐るべし。

賢治は岩手県を超えていた

岩手県では、風の三郎がどうと鳴くのは当たり前。では、賢治の工夫は三郎の名前を又三郎に変えただけだったのか? それは違う。又三郎には力強い動きがある。どうではなく、どっどどどどうどなのだ。この重厚な動きを表現したところに、賢治のオリジナリティがある。

なぜ、どっどどどどうどなのか? 理由は不明。

そういえば、童話『月夜のでんしんばしら』では、電信柱の行列が大威張りで行進すると、勇ましい歌になっていた。「ドッテテドッテテ、ドッテテド」 うーむ、よくわからない。

賢治は岩手県を超えていた。こう結論しておきたい。


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