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宮沢賢治の宇宙(60) 時間のない頃って、いつですか?

「雲の信号」

宮沢賢治の『春と修羅』に「雲の信号」という短い心象スケッチがある。

あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸(がんけい)だつて岩鐘(がんしょう)だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
  そのとき雲の信号は
  もう青白い春の
  禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、30 頁)

12行の短い詩だが、興味深い言葉が出てくる。「時間のないころ」である。

私たちはひとつの宇宙に住んでいる。宇は時間であり、宙は空間である。つまり、私たちは「時間のあるころ」に住んでいる。「時間のないころ」とは、いつのことを指しているのだろうか?

岩頸と岩鐘

「時間のないころ」を考える前に、岩頸や岩鐘について説明しておこう。岩頸も岩鐘も地球科学の専門用語であり、普通の人なら知らないだろう。賢治は大の鉱物好きだったので、岩石の性質や地形の成り立ちについては詳しかった。岩頸と岩鐘を辞典で調べると以下の説明がある。

岩頸(火山岩頸) 火山噴出物の地表への通路を満たして生じた火成岩が、火山体が侵食された結果円柱状に露出したもの。 (『広辞苑』第七版、2018 年)

岩鐘 地中から噴出した溶岩が地上に出て。円錐形または鐘状に凝結したもの。鐘状火山。トロイデ。 (『精選版 日本国語大辞典』) https://kotobank.jp/word/岩鐘-2026065

火山噴出物の残骸だが、出来上がった形状は釣鐘型になる。シルエットは「おむすび型」になるので、比較的目立つ山になる。賢治は中学時代、親友の藤原健次郎と南昌山によく登った。この南昌山が岩頸である(図1)。

図1 南昌山。(上)クローズアップ、(下)遠景。 (上)https://ja.wikipedia.org/wiki/南昌山#/media/ファイル:南昌山_IMG_9394.jpg (下)畑英利

時間のないころ

次は「時間のないころ」である。この解釈は宇宙(時間と空間)の誕生がどうなっているかに依存する。宇宙の誕生はまだよく理解されていないが、ひとつの解釈として「無」からの宇宙誕生説が提案されている。ミクロの世界ではすべての物理量が揺らいでいるので、「無」も揺らいでいると考える。すると、「無」で粒子の生成が行われうる。正と負のエネルギーを持つ粒子がペアで生成される現象なので、対生成(ついせいせい)と呼ばれる。これらの粒子は生まれても、すぐに消滅していく(対消滅)が、ある有限の確率で正のエネルギーを持った粒子(領域)が残り、それが宇宙の誕生となる。宇宙が誕生する前には時間も空間もない。時間も空間も宇宙の誕生によって生じたものである。

「無」からの宇宙誕生説を採用すると、「時間のないころ」は宇宙が誕生する前のことになる。

図2 宇宙の誕生と進化のシナリオにおける「時間のないころ」。 https://map.gsfc.nasa.gov/media/060915/060915_1600.png

時間のない頃の夢を見ているのは岩頸と岩鐘

賢治の「雲の信号」では、時間のない頃の夢を見ているのは岩頸と岩鐘である。岩頸と岩鐘は地球の火山活動で生まれたものだ。したがって、岩頸と岩鐘にとって「時間のないころ」は「地球のないころ」と捉えてよさそうだ。

図3 宇宙の誕生と進化のシナリオにおける「地球のないころ」。 https://map.gsfc.nasa.gov/media/060915/060915_1600.png

賢治がそう考えたかどうかは不明だが、心象スケッチの中に「時間のないころ」という言葉を残したのはすごいことだ。

ところで、地球はいつまであるのだろう? なんだか、心許ない。そう思うのは私だけだろうか。

追記:「時間のないころ」の説明については以下の本を参照されたい。
『宮沢賢治と宇宙』(谷口義明、大森聡一、放送大学教育振興会、2024年、第6章)

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