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一期一会の本に出会う(13) 吉田洋一『数学の影絵』とは何だったのか?

数学の影絵から抽象論

前回のnoteでは数学者の吉田洋一(1898-1989)には『数学の影絵』に基づいて、吉田の考えた抽象論を紹介した(図1)。https://note.com/astro_dialog/n/n329030dc1364

図1 三角形の影絵の比較から導く、反射、対称、転移の法則。この図で「∽」は相似記号である。図に示した三つの二等辺三角形A、B、Cは、形は同じだが、サイズは異なる。ただし、形は同じなので、三つの三角形の影の形は同じになる。なお、(2)ではB影∽B、(3)ではさらにC影∽Cも正しいと仮定されている。「形」を利用して、吉田の抽象論の説明をまとめるとこうなる。

数学はそもそも抽象的である。数を数えた段階で、具象化は消え、抽象的になる。例えば、犬が三匹か、リンゴが3個かは関係なくなる。「もの」の個性は消え、「3」という数だけが重要になる。数そのものが抽象的だからしょうがない。

図1では三つの三角形A, B, Cの相似関係から、「反射」、「対称」、「転移」という概念が導入された。数学者にはピンとくるかもしれないが、はっきり言って、私にはちんぷんかんぷんだ。

『折々のことば』

では、なぜ吉田洋一の『数学の影絵』を紹介したのか? それにはきっかけがあった。

2023年5月31日、水曜日。朝起きて、朝刊(朝日新聞)を眺めた。最初に目をやるのは『折々のことば』だ。わずか10センチメートル四方もないスペースに、哲学者の鷲田清一が選んだ言葉と、その簡単な説明が出ている。2015年春から続いている連載だ。クローズアップされているのは、さまざまな分野、さまざまな人が書いた短い文章である。文章は短いが、含蓄がある。眠っていた脳に刺激を与えるには、ちょうどよいので、私の大好きなコラムだ。

この日、選ばれたのが吉田洋一の文章だったのだ。

ある日学校で「5から5を引くと0になる。」と教わってびっくりした。

数学者の吉田の言葉とは思えない。5 – 5 = 0。5マイナス5イコールゼロ。そりゃそうだろう。なぜ、吉田はびっくりしたのか。その理由は『数学の影絵』に収められている“算術で苦労した話”に出てくる(『白林帖』(吉田洋一、甲鳥書林、1943年、167頁)。

リンゴが五つあるとき、そのうち三つ食べてしまえば二つのこる。だから、5から3を引けば2になることはよくわかる。しかし、五つとも食べてしまったら、何ものこらない。したがって、5から5をひいても答えが出てこない。

0には数の0の他に、“存在しないこと(非存在)”を意味することがある。吉田はこのことを知らなかったのだ。子供時代、私がそのことを知っていたのかどうか覚えていない。しかし、5 – 5 = 0には疑問を持たなかった。「そういうもんだ」と割り切っていたのかもしれない。吉田は根本的なことに、常日頃から疑問を持つタイプの人だったということか。

実は、吉田の先生もすごい人だった。先生は吉田に次のような注意を与えたというのだ。

「答えが0だということと、答えがないということは区別しなければならない」

「相似」は数学の世界の出来事

ここで、図1に戻ろう。三つの三角形A, B, Cの相似関係から、「反射」、「対称」、「転移」という概念が導入されたが、これは数学の世界だけで通じることだ。現実の世界では「相似」関係は存在しない。図形の形とサイズが同じ場合は「合同」と呼ばれるが、これも現実の世界にはない。「えっ?」と思われるかもしれない。なぜ、存在しないのかは、中谷宇吉郎の次の言葉を読めばわかる。

「数学でいう線には幅がないが、物理で使う線には必ず幅がある」(『中谷宇吉郎随筆集』樋口敬二 編、岩波文庫、1988年、「地球の丸い話」316頁)

数学をうまく使え!

現実の世界には「点」はない。「線」は「点」を繋げて作ると言われるが、「点」がないのであれば、「線」もないことになる。「面」は「線」を並べて作ると言われるが、「線」がないのであれば「面」もない。要するに、現実世界にはゼロになる測定値はないのだ。体積=0はない。これは「点」がないことを意味する。長さ=0もない。これは「線」がないことを意味する。面積や体積がゼロのものもないということだ。

こう考えると、二つの三角形が同じ(合同)ことはありえないし、スケールを変えれば同じになる(相似)こともない。三角形の縁は原子スケールでは揺らいでいるので、厳密な意味での三角形そのものも存在しない。したがって、吉田の抽象論は数学の世界では正しいが、現実の世界では成立しない。では、無意味かというと、そうではない。私たちは現実の世界で起きていることを理解するために、数学を使っている。数学を使ってわかったことを、現実の世界での出来事に置き換えて、正しい世界観を得てきているのだ。

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