ゴッホの見た星空(24) 金沢で出会ったウルトラマリン(群青色)
ウルトラマリン
以前のnote「ゴッホの見た星空」(9)「《ウジェーヌ・ボック》の肖像の背景の星の謎」でウルトラマリン、群青色の話をした(図1)。https://note.com/astro_dialog/n/ne0571cde5ab5
ウルトラマリンは天然石の半貴石であるラピスラズリ(日本名は“瑠璃”)を原料とした絵具を使うと出る色だ。これは金と同程度に高価な絵具である。ウルトラマリンを多用した画家としてはフェルメールが有名だ。ゴッホは、弟テオの支援のおかげで、ウルトラマリンを手に入れたのだろう。
ゴッホの手紙に見るウルトラマリン
ゴッホの手紙を読むと、ゴッホは星の色、夜空の色にウルトラマリンの色を見ていた。そしてこの色が大好きだったことがわかる。
[1] 地中海に面したサント・マリー=ド=ラ=メールで見た空の色
1888年6月3日 日曜日 または6月4日 月曜日 テオ・ファン・ゴッホ宛
深い青の空に、普通の青より深い青、濃いコバルトブルーの雲や、天の川のように青白い、明るい青の雲がまだら模様を描いていた。この青い背景の中に星が明るくきらめいていた。緑、黄色、白、バラ色の星たちは、僕らの故郷より、さらにはパリよりも明るく、宝石のようにもっときらめいていた。オパール、エメラルド、瑠璃、ルビー、サファイア色と言った方がいいだろうか。海はとても深いウルトラマリン(群青色)の色だ。(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、226頁)
[2] アルルの夜空
1888年9月9日 日曜日 ならびに9月14日 金曜日(妹の)ウイレミーン・ファン・ゴッホ宛
今、絶対に描きたいのは星空だ。よく思うのだが、夜は昼間よりもずっと色彩豊かでこの上なく鮮やかな紫、青、緑の色調を見せてくれる。
よく目を凝らしてもらえれば見えるが、星のなかにはレモン色のものもあり、バラ色、緑色、忘れな草の青色の輝きもある。そして言うまでもなく、星空を描く際には黒っぽい青の上に白い点々を置いただけでは明らかに不十分だ。 (『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、316-317頁)
[3] サン=レミで見た《糸杉と星の見える道》の風景
ただし、この絵は、パリで描かれた。1890年6月17日ごろ、ゴーギャンに宛てた手紙に書かれている。ゴッホはパリ近郊にあるオーヴェール・シュル・オワーズにいた頃、三日間だけパリに出かけたときのことが書かれている。
・・・こちらに戻ってから毎日あなたのことを考えています。パリに滞在したのは三日だけでした。・・・
・・・僕があちらでやった最後の試みとして一本の糸杉と星ひとつの絵があります。− 夜の空に輝きのない月、それも地上に投げかけられた暗い影のなかからかろうじて現れ出ている細い三日月 – 星の方は誇張された輝きと言えるでしょうが、ウルトラマリンの空にかかるピンクと緑の柔らかな輝きで、その空には雲が流れています。下の方は街道で、道端は丈の長い黄色のヨシタケ、その背後には低いアルピーヌの青い山並み、窓にオレンジ色の灯のともる一軒の古い宿屋、そしてまっすぐの黒々とした非常に高い一本の糸杉。
街道には白い馬にひかれた黄色の馬車一台と帰りの遅くなった散歩の二人。とてもロマンティックだと言えば言えるでしょうが、しかし、これもプロヴァンスだと僕は思っています。・・・ (『ファン・ゴッホの手紙』二見史郎 編訳、圀府寺司 訳、みすず書房、新装版、2017年、390-391頁)
[4]《ウジェーヌ・ボックの肖像》にある背景の夜空
1888年8月18日 土曜日 テオ・ファン・ゴッホ宛
僕はある友人の芸術家の肖像を描いてみたいと思う。彼は大きな夢を抱き、ナイティンゲールがさえずるように仕事をする。それが彼の天性だからだ。その男の髪はブロンドになるだろう。僕はこの絵の中に、僕が彼に抱いている感謝や愛情を込めようと思う。そこでまず手始めに、彼をありのままに、できるだけ忠実に描こうとするだろう。 しかし、絵はそこで終わらない。絵を完成させるため、次に僕は自由で気ままな色彩画家になる。僕は神のブロンドを強調し、オレンジ色やクロームイエローや明るいレモンイエローの色調にする。頭の後ろには安っぽいアパルトマンの陳腐な壁を描く代わりに無限を描く。最も豊かな青で単純な背景を描く。出せる限りもっとも強い青で描き、この組み合わせ、つまり豊かな青の背景の上に輝くブロンドの髪は、深い青の中の星のように神秘的な効果を獲得する。 (『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、300頁)
友人のある芸術家と書いてあるが、この人物がウジェーヌ・ボック(1855-1941)、ベルギーの画家である。次の手紙を読めばわかる。
1888年9月9日 日曜日ならびに14日 金曜日 (妹の)ウイレーミン・ファン・ゴッホ宛
手はじめに描いたのは若いベルギーの印象派の画家の肖像で、詩人のような感じに描いた。繊細でデリケートな顔が、星のきらめくウルトラマリンの夜空を背景に浮かび上がっている。 (『ファン・ゴッホの手紙II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、300頁)
金沢の成巽閣
先日、金沢に出かけたとき、兼六園に隣接する成巽閣(せいそんかく)に行ってみた(図2)。
成巽閣は加賀藩の13代藩主である前田斉泰(まえだなりやす)が母の真龍院のために建てた隠居所である。とても隠居所とは思えない贅沢な造りの建物で圧倒されてしまう。これが文久3年(1863年)に建てられたのだから驚く。庭も美しい(図3)。
成巽閣の中を歩いていたら、「群青の間・書見の間」という部屋があった。この部屋の壁の一部の色は、なんとウルトラマリンの色だった。あまりに美しく、息を呑んだ。
成巽閣のホームページを参照されたい:http://www.seisonkaku.com/midokoro/shoken-no-ma.html
「ゴッホもこの部屋で絵を描けば・・・。」
ふと、そんなことを思った。
追記:金沢生まれの群青色
金沢のお店「はなもっこ」が制作した時計を持っている。文字盤の色はまさに群青色なのだ。ウルトラマリンではなく、アズライト(藍銅鉱、らんどうこう)だが、素晴らしい群青色である(図4)。
ご存知のように、ゴッホは夜景を絵にするとき、黒を使わなかった。《夜のカフェテラス》を見ればわかる(図5)。
成巽閣でウルトラマリンを見てよくわかった。ゴッホは深い青、ウルトラマリンに吸い込まれたのだ。
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