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銀河のお話し(11) ソンブレロ殺しの謎


お話の設定の説明です。

ソンブレロ銀河

天文部の部室には小さな書棚があり、天文関係の本や雑誌が並んでいる。天文部員は気に入った本や雑誌を見ながら、宇宙に思いを馳せることができる。そのため、昼休みや放課後のわずかな時間を部室で過ごす部員もいる。

部長の輝明は定例部会以降、結局、毎日のように放課後は部室に来ていた。先月の定例部会で銀河の解説をしたが、面白いテーマは山のようにあることに気づいた。せっかくの機会なので、いくつか話をまとめておこうと思ったのだ。

ということで、今日も放課後は部室にやってきた。ドアを開けると、人の後ろ姿が目に入った。
「あれ、誰かな?」
振り返った部員は一年生の優子だった。
「あっ、部長。こんにちは。私、あんまり宇宙のことを知らないので、部室にある本を読んで少し勉強しようと思って今日は来てみました。」
「おお、いい心がけだね。」
輝明は優子を褒めた。見ると、優子は天体写真集を手にしていた。
「何か気になる天体が写っていたかな?」
「はい、今はソンブレロ銀河を見ていたところです(図1)。」

図1 (上)メキシコの伝統的な帽子、ソンブレロ、(下)ソンブレロ銀河の姿。異様に大きなバルジ、そして銀河円盤の中にはダスト・レーン(暗黒星雲の帯)があり、不思議な雰囲気を醸し出している。渦巻は綺麗な二本腕ではなく、ちりめん状の細かな模様になっている。 (上)ソンブレロ帽子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%AD#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sombrero_(PSF).png (下)ソンブレロ銀河 http://www.spitzer.caltech.edu/images/1419-ssc2005-11a-Spitzer-Spies-Spectacular-Sombrero

ソンブレロ銀河は「おとめ座」の方向に見える銀河だ。天の川銀河の比較的近くにあるが、それでも5000万光年も離れたところにある。M(メシエ)104やNGC 4594 というカタログの名前を冠した名前も持つ。
ソンブレロはメキシコでかぶられている帽子だ(図1上)。スペイン語でカウボーイを意味する言葉で、正確にはソンブレロ・デ・チャロという名前である。ソンブレロ銀河は円盤銀河だが、バルジが異様に大きい。その形がソンブレロを彷彿とさせるので、ソンブレロ銀河という愛称が定着した。この名前はほとんどの天文ファンに知られている。
ソンブレロ銀河の見かけの明るさは9.7等。銀河としてはかなり明るい方だ。双眼鏡や口径の小さな望遠鏡でも見ることができるので、結構人気のある銀河だ。実際のところ、ハッブルが銀河の形態分類したとき、ソンブレロ銀河はSa型銀河の代表例として紹介されていた(図2)。しかし、Sa型なら、きつく巻いた2本の渦巻が見えていて欲しい。その意味では、ソンブレロ銀河は典型的なSa型の渦巻銀河ではない。それにもかかわらず、ずっとSa型の代表例とされてきたのは、不思議なことだ。
note 「銀河のお話し(9)を参照:https://note.com/astro_dialog/n/n95d644f68c52

図2 ソンブレロ銀河(NGC 4594、M104)はハッブル分類ではSa型銀河の代表例に採用されている。ソンブレロ銀河の写真(上)は“The Realm of the Nebulae”に掲載されているものである。

赤外線が暴いたソンブレロ銀河の秘密

優子はソンブレロ銀河がお気に入りのようだ。

 ソンブレロ銀河は可視光で見ても美しいが(図2)、実は赤外線で見ると息を呑むほど美しい(図3)。優子はこの写真に魅せられたようだ。

図3 シュピッツアー赤外線宇宙望遠鏡が2012年に撮影したソンブレロ銀河の赤外線写真。ダストの放射する赤外線が美しいリングを見せている。撮影は波長3.6ミクロン、4.5ミクロン、5.8ミクロン、および8.0ミクロンの4つの波長帯で行われた。ダストの成分が目立つように3.6ミクロンのデータから星の放射する赤外線を評価し、差し引いてある。 したがって、星の分布ではなく、主としてダストの分布を見ている。 (NASA/SST) http://www.spitzer.caltech.edu/images/1419-ssc2005-11a-Spitzer-Spies-Spectacular-Sombrero

「真っ赤なリング、そして淡く光るバルジはハローへと拡がっていく。こんな綺麗な銀河は滅多にないと思います。」
優子は熱っぽく語る。輝明も優子の意見に賛成だ。
「可視光の写真ではわからなかったことがいくつか見えているね。」
「はい!」
「アンドロメダ銀河のときのように、ソンブレロ銀河の不思議な性質についてまとめておこうか。また、黒板に書いてもらえるかな。」
慣れたもんだ。優子はサラサラと黒板にソンブレロ銀河に見える三つの不思議な性質をまとめた。

図4 ソンブレロ銀河の不思議な性質。

「あら、不思議。」
「うん、どうした?」
「なんだか、アンドロメダ銀河に見える三つの不思議な性質と似たようなところがあるので・・・。」

(註 note「銀河のお話し(2)」の図3を参照:https://note.com/astro_dialog/n/n0911e1dbc2c5

言われてみれば、確かにそうだ。円盤の外側が反っていることや、綺麗な渦巻が見えずにリングがあるところはそっくりだ。ただし、円盤の反りは赤外線ではみやすいが(図3)、可視光ではあまりよく見えない。優子の注意深い観察に、輝明は感心した。一方、アンドロメダ銀河の場合、衛星銀河に謎があったが、ソンブレロ銀河の場合は分厚いけれど、非常に整った姿のダスト・レーンが謎めいている。
「なるほど、面白いね。じゃあ、これからソンブレロ銀河の秘密に迫っていくことにしよう。」
「はい、よろしくお願いします。」
優子は律儀に頭を下げた。

ESO 510-G13

「では、このリングはどのようにしてできたのか? これが問題だ。ちょっと考えてみてごらん。銀河円盤が自発的にこんな綺麗なリングを円盤の外縁部に作ることができるだろうか? 自発的に作る場合、円盤の中で角運動量の再分配が必要になる。しかも、ダストを含むガス成分に角運動量を与え、外側に分布してもらわなければならない。角運動量というのは回転する能力のことだ。角運動量が大きい成分は外側に移動することができるけど、問題はどうしてそんな成分があったのかということだ。銀河には自発的に角運動量の再分配をするメカニズムが存在しないからね。つまり、ソンブレロ銀河 が孤立した一つの銀河である場合、そういうことは起きないんだ。」
「自発的がだめなら、他力本願ということでしょうか?」
「他力本願! うーん、いい言葉だね。その意味することは、銀河同士の衝突か、合体だ。」
「なんだかアンドロメダ殺しに近づいた感じがします。」
「本当にそうだね。ここで、その可能性を示唆してくれる別の銀河があるので見てみよう。ESO 510-G13という名前の銀河だ(図5)。この銀河が円盤銀河だとすれば、バルジはソンブレロ銀河のように大きい。また、円盤部を見ると、うねりが見える。ウオープ構造と呼ばれるものだ。この構造も円盤銀河の合体のときによくできる。そして、ダスト・レーンがある。つまり、ソンブレロ銀河によく似た銀河であることがわかる。」
「そうですね。本当によく似ています。」
「しかし、この銀河は孤立した一個の円盤銀河じゃない。ダスト・レーンのうねりからわかるように、合体銀河なんだ。楕円銀河にガスをたくさん持っていた円盤銀河が合体し、その名残が新たな円盤構造やダスト・レーンとして見えている。」

図5 ハッブル宇宙望遠鏡が可視光で撮影したソンブレロ銀河に似た銀河、ESO 510-G13。 http://hubblesite.org/image/1089

楕円銀河+円盤銀河→ソンブレロ銀河


図6 ソンブレロ銀河=楕円銀河+合体してきた円盤銀河。ソンブレロ銀河は1個の銀河ではなく、2個の銀河が合体してできたものだった。 http://hubblesite.org/newscenter/newsdesk/archive/releases/2003/28/image/a

楕円銀河と渦巻銀河の合体の産物。それがソンブレロ銀河だったのだ。ハッブルを含めて多くの天文学者たちは、ソンブレロ銀河は孤立したひとつの銀河で、Sa型の代表選手だと思い込んでいた。実は、それは幻想だったのだ。
優子が手を挙げた。
「おっ、どうした優子。」
「一句できました。
ソンブレロふたつの銀河今ひとつ
こんなの、どうですか?」
「おお、すごいな! 優子は俳句も嗜むんだね。
「ときどきですが・・・」
「では、僕も一句。
合体や楕円銀河に花ひとつ
どうだろう?
あっ、もう一句できるかな。
合体の楕円銀河や花ひとつ
「すごい! 切れ字の「や」をどこに入れるかですね。」
「おっといけない、俳句の世界に行ってしまいそうだ。ソンブレロ銀河に戻ろう。」

奇跡的な産物

輝明はスライドに映し出されたソンブレロ銀河の写真に見入りながらつぶやいた。
「しかし、まあ、すごい偶然の産物だね。」
「そうか・・・、こんなに綺麗になるには何か秘密があるんですね?」
優子もわかったようだ。
「そうなんだ、銀河の合体が起こったとしても、ソンブレロ銀河のように綺麗な形になるかどうかは自明じゃない。いくつもの偶然が重なった結果なんだ。もちろん、いくつもの偶然を必然という人もいるけどね。」
「ソンブレロ銀河がソンブレロ銀河のように見えるための条件。いったい、どれぐらいあるんでしょうか?」
「まず、楕円銀河と渦巻銀河が一個ずつ必要だ。渦巻銀河には条件が付く。たくさんのガス、つまりダストが含まれていないとダメだ。ガスの少ないS0銀河じゃダメなんだ。」

輝明はさらに続ける。
「そして、まだまだ必要な条件がある。渦巻銀河がどのような向きで、どのような方向からぶつかってきたかも大切になる。そして、僕たちがその合体した銀河を見る方向も重要だ。出来上がった円盤をほぼ真横から見ないと、ダスト・レーンは綺麗に見えない。」
「うーん、たくさんのパラメータが上手く揃っていないとダメなんですね。」
「まだ、ある。」
「えっ? まだ、あるんですか?」
「見るタイミングだ。ぶつかりつつあるときは、渦巻銀河はその衝突で壊されている最中なので、円盤は綺麗に見えない。合体がある程度進んで、円盤が落ち着いたときじゃないと、ソンブレロ銀河のようには見えない。」
「どのぐらいの時間の経過が必要なんですか?」
「少なくとも10億年。ソンブレロ銀河は非常に端正な形をしているので、もっと時間が経過しているだろうね。一声、50億年かな。」
「ひえーっ! そんな昔に合体が始まったんですか! それを私たちは今見ているんですね。」
優子は夢を見ているような目になった。
「50億年前には、ソンブレロ銀河はなかったんですね。それが今では、こんなにきれない銀河になっている。なんだか、奇跡的です。」

ソンブレロ銀河の円盤は反っている

輝明は優子がまとめたソンブレロ銀河の性質のうち、円盤の外側での歪みについて話し始めた。
「ダストで輝いているリングは両端に少しだけど、うねりが見えている。さっき話をしたウオープ構造だ。このウオープ構造のできる理由を説明しておこう。楕円銀河に斜めの方向から円盤銀河が合体してきたとしよう(図7)。ぶつかってきた円盤銀河は最初、合体軌道面に沿って楕円銀河の中に入っていく。ところが、時間の経過とともに、楕円銀河の赤道面に落ち着くようになる。この現象は内側にある星々やガスから起こり始める。なぜなら、回転周期が短いため、早く効果が現れるためだ。一方、外側の星々やガスは回転周期が長いので遅れる。だから、外側でウオープ構造が残りやすいというわけだ。」

図7 楕円銀河に斜めの方向から円盤銀河が合体してきたときにウオープ構造ができる理由。時系列としては上から(a)→(b)→(c)となっている。

銀河は見た目で判断できない

「一見、孤立銀河のように見えても、銀河にはたくさんの合体を起こしてきた歴史がある。ソンブレロ銀河は「おとめ座銀河団」の中にあるとはいえ、周辺には明るい銀河は見えない(図8)。まるで、孤立した銀河のように見える。」
輝明見せてくれたスライドに映し出されたソンブレロ銀河は何か神聖的な雰囲気を漂わせていた。

図8 ソンブレロ銀河の周りの一度四方の天域の可視光写真。ソンブレロ銀河以外に目立つ銀河は一つもない。 (Digitized Sky Survey) http://stdatu.stsci.edu/cgi-bin/dss_search?v=poss2ukstu_red&r=12+39+59.43&d=-11+37+23.0&e=J2000&h=60&w=60&f=gif&c=none&fov=NONE&v3=

「ところが、より淡い構造が見えるように観測時間をかけて撮影してみると、意外な姿が浮かび上がってくる(図9)。ソンブレロ銀河の円盤部と直交するような方向(左上から右下方向)に淡い構造が見える。特に下ではループ状の構造が見えている。一個の孤立した銀河がこのような構造を作ることはない。合体の証拠がここにもある。」

図9 ソンブレロ銀河の周囲に拡がる淡い構造。下の横棒は0.5°で、約25万光年に相当する。 http://www.messier.seds.org/more/m104_deep.html

『青列車の秘密』

楕円銀河には年老いた質量の軽い赤い星が多い。一方、渦巻銀河には星を産み出すガスがまだあるので、質量の大きな星も生まれる。つまり、色で言うと、楕円銀河は赤、渦巻銀河は青だ。
優子は思った。
「ソンブレロ銀河は赤い楕円銀河に青い渦巻銀河が合体してできたんですね。」
なるほど、そのとおりだ。楕円銀河と渦巻銀河の共同作業が美しいソンブレロ銀河の誕生に大事な役割を果たしていたのだ。輝明は優子の発想に感心した。優子はアンドロメダ銀河の話のとき、「アンドロメダ殺し」という言葉に出会った。そのとき、アガサ・クリスティの推理小説『アクロイド殺し』を思い出したのだった。
優子は小さな声でつぶやいた。
「そうか、今度は『青列車の秘密』だわ(図10)。」

図10 アガサ・クリスティの『青列車の秘密』(青木久恵 訳、ハヤカワ文庫、2004年)

輝明が聞いた。
「なんだい、それは?」
「またまた失礼して、アガサ・クリスティの推理小説です。結局、この事件でも名探偵ポアロが活躍します。」
輝明は『青列車の秘密』を読んだことはない。
「どんなストーリーなの?」
 優子は、また、『アガサ・クリスティ完全攻略〔決定版〕』(早川書房、2018年)という本をカバンから取り出した。本当にお気に入りの一冊のようだ。そして、『青列車の秘密』の概要を読んでくれた。

概要:ロンドン発パリ行きの特急列車《青列車》。だが走行中、富豪の娘が惨殺され、暗い歴史を持つ宝石が盗まれた。容疑者として被害者の夫が逮捕されるも、本人は頑強に反抗を否認する。セレブから悪党まで多彩な乗客の乗り合わせた青列車には、誰あろう、名探偵エルキュール・ポアロの姿も・・・(29頁)
(註:『青列車の秘密』(早川書房、2004年)ではロンドン発、リヴィエラ行きになっている。実際の青列車は北フランスのカレーが起点になっており、パリは途中駅である。)

優子が『青列車の秘密』を思い出したのは、小説の内容とは直接関係がない。ソンブレロ銀河の形成メカニズムに関係して思い出したのだ。ダストをたくさん含んでいる渦巻銀河には星を造るガスが多く、星もたくさん生まれる。そのため、楕円銀河に比べれば、銀河の色は青い。つまり、色の青い渦巻銀河が青列車。その青列車が、色の赤い楕円銀河に衝突したことをイメージしたからだ。現在のソンブレロ銀河の形を見て、青列車が突っ込んできたことを思い浮かべる人はいないだろう。銀河は合体を繰り返して成長してきている。そうであれば、青列車が活躍してできた銀河も宇宙にはたくさんあるのだろう。そのとき、赤列車はどういう役割を果たしてきたのだろう。なんだか、千変万化のようにも思える。現在の宇宙ではハッブル分類に象徴されるように、穏やかな姿をした銀河がほとんどだ。しかし、それは銀河たちの仮初(かりそめ)の姿に過ぎないのだろう。優子はまた、美しい銀河の写真集の頁を開いた。

「私に銀河の真の姿、そして彼らの運命が見えるのかしら?」
優子には難しそうな気がする。
「そういえばアンドロメダ銀河の説明の最後で、輝明部長はまだ物語は続くそぶりを見せていた。アンドロメダ銀河にはいったいどんな運命が待ち受けているのだろう・・・。」

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