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天文学者のひとり言(3) 谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』 なぜ二十億光年なのか?

なぜ二十億光年なのか?

谷川俊太郎(1931-2024、図1)の詩に『二十億光年の孤独』がある。1952年に刊行された谷川の処女詩集『二十億光年の孤独』(図2)に収められた詩のひとつである。

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

図1 谷川俊太郎。1954年撮影なので、処女詩集『二十億光年の孤独』を出した二年後の面影。https://ja.wikipedia.org/wiki/谷川俊太郎#/media/ファイル:Postwar-Japanese-Poets-volume-1-1.jpg
図2 『二十億光年の孤独』の表紙。私が所有しているのは日本図書センターが刊行した愛蔵版シリーズのもので、2000年に出版されたものである。左は函(はこ)。

若い頃この詩に出会ったとき、不思議に思ったことがある。
「なぜ、二十億光年なのだろう?」
いかにも中途半端な数字のように感じられたのだ。

当時、宇宙の年齢はだいたい100億年から200億年ぐらいと推定されていた(現在では138億年になった)。二十億光年の意味がわからなかったのである。

宇宙は膨張している!!!

しかし、二十億光年と言うからには、この広大な宇宙に関係していることは確かだ。大学院に入り、天文学の研究を始めた頃、エドウイン・ハッブルの著書『The Realm of the Nebulae』に出会った(エール大学出版、1936年)。日本語訳では『銀河の世界』戎崎俊一 訳、岩波文庫、1999年で)読める。ハッブルは20世紀初頭、銀河と宇宙論の研究を牽引した大天文学者だ。主な業績を上げると次の三つだ。

[1] アンドロメダ星雲は天の川銀河と独立した、別の銀河であることを明らかにした。
[2] 銀河の形態分類を行い、銀河研究の道筋を開いた。
[3] この宇宙は膨張していることを突き止めた。

この中で特筆すべきは、宇宙膨張の発見だ。遠くの銀河ほど、より速い速度で遠ざかることでわかったことだ。銀河の遠ざかる速度vは銀河までの距離rに比例する(図3)。これはハッブル - ルメートルの法則と呼ばれる。

図3 ハッブル – ルメートルの法則の説明図。遠い銀河の方が、速い速度で遠ざかるように観測される。 https://astro-dic.jp/hubble-lemaitre-law/

比例定数H0はハッブル定数と呼ばれるが、これが宇宙膨張率を与える。

v=H0 D

この式で、速度vの単位は km/s、距離Dの単位はMpc(メガパーセク)である(ここで1pcは3.26光年、1光年は約9.46兆km)。H0の0は現在の値であることを意味する。

ハッブル – ルメートルの法則を単位だけで表すと次のようになる。

[距離 / 時間] = [H0の単位]×[距離]

したがって、[H0の単位]は[1 / 時間]になる。ハッブル定数の逆数は[時間]の単位を持つことがわかる。実は、これが宇宙の年齢を与えてくれるのだ。

ハッブル定数は現在の測定値では

H0= 67 km/s/Mpc

この逆数から宇宙の年齢は138億年になる。

宇宙年齢は20億年???

ところがだ。ハッブルが1929年に出した論文では次の値が記されていた。

H0= 500 km/s/Mpc

これだと、宇宙の年齢は20億年になってしまうのだ(図4)。ハッブルが距離測定に使った変光星にいくつか問題があり、誤った結果を得ていた。とにかく、ここに20億年と言う数字が出てきた。この年齢は、宇宙の大きさが20億光年であることを意味する(観測できる宇宙の大きさ)。谷川はこの数字を使ったのだ。

図4 ハッブルが1929年に出した論文で示された銀河の後退速度と距離の関係。黒丸は個々の銀河、白丸は銀河群に属している銀河のデータ。それぞれに対する比例関係は実線と点線で示されている。現在の測定値に対する比例関係は赤い実線で示した。ハッブル定数は、なんと7倍も過大評価されていたのだ。そのため、宇宙年齢は1/7になっていたわけである。 https://astro-dic.jp/hubble-lemaitre-law/ この図を利用して作成。

ハッブルは知っていたのだろうか? ハッブルの成果が日本の詩人、谷川俊太郎に影響を与えたことを。『二十億光年の孤独』が出版されたのは1952年。ハッブルが亡くなる前年のことだった。

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

アインシュタインの一般相対性理論では、質量を持つ物体の周辺の時空は歪む。それが重力を生み出すので、物体は引き合う。谷川の文章は正しい。

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

宇宙は膨張するにつれて温度が低下する。星には寿命があるので、皆死んでいく。待っているのは暗黒の冷たい宇宙。谷川のみならず、誰しも不安になる。

『138億光年の賑わい』

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

谷川は去る11月13日に逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。
天国では『138億光年の賑わい』を楽しんでいただけたら幸いです。