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宮沢賢治の宇宙(7) 童話『やまなし』に出てくる「イサド」に行けますか?

宮沢賢治の童話『やまなし』に出てくるイサドはどこにある?

二つの謎の言葉

宮沢賢治の童話『やまなし』には謎の言葉がある。賢治の童話には謎の言葉がよく出てくるので、驚くには値しない。と言いたいところなのだが、『やまなし』に出てくる謎の言葉はかなり手強い。

謎の言葉は二つある。まず、クラムボンとイサドである。クラムボンについては「ミズクラゲ説」を提案させていただいた(『クラムボンに会えますか?』 https://note.com/astro_dialog/n/naadd4b3b9098)。そこで、ここではイサドについて考えてみる。

イサドはどこにある?

『やまなし』に出てくる幻燈、十二月の風景を見てみよう。

蟹の兄弟はヤンチャである。


蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡らないで外に出て、しばらくだまって泡をはいて天上の方を見て居ました。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十二巻、128頁、筑摩書房)


 どちらのはく泡が大きいか兄弟で競って遊んでいると、父蟹が出てきてこう言った。


『もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。』(第十二巻、129頁)


 あしたイサドへと言われても困る。何しろ、イサドがどこか、皆目見当がつかないからだ。クラムボンも難関であったが、イサドも難関そうである。

伊佐戸?

イサドではないが、伊佐戸(いさど)という場所の名前が出てくる作品がある。童話『種山ケ原』である。主人公は達二(たつじ)という少年である。


達二のうちは、いつか野原のまん中に建ってゐます。急いで籠を開けて、小鳥を、そっとつかみました。そして引っ返さうとしましたら、
「達二、どこさ行く。」と達二のおっかさんが云ひました。

「すぐ来るがら。」と云ひながら達二は鳥を見ましたら、鳥はいつか、萌黄色の生菓子に変ってゐました。やっぱり夢でした。
風が吹、空が暗くて銀色です。

「伊佐戸の町の電気工夫のむすこぁ、ふら、ふら、ふら、ふら、ふら、」とどこかで云ってゐます。
それからしばらく空がミインミインと鳴りました。達二は又うとうとしました。
 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第八巻、106-107頁、筑摩書房)


 いったい誰が言ったのかよくわからないのだが、伊佐戸の町という表現が出てくる。『種山ケ原』は二つの文庫本に収録されている。新潮文庫の『ポラーノの広場』(1995年)と角川文庫の『イーハトーボ農学校の春』(1996年)である。それぞれ、伊佐戸については注釈が付いている。


伊佐戸 創作地名(496頁、天沢退二郎による注釈)

伊佐戸 『やまなし』にも「イサド」が登場する。江刺市の岩谷堂がモデルだと言われる。(177頁、大塚常樹による注釈)


 『やまなし』に出てくるイサドと、『種山ケ原』に出てくる伊佐戸が同一の地名なのかは不明である。

また、『定本 宮澤賢治語彙辞典』(原子朗、筑摩書房、2013年)には次の説明が出ている(47頁)。


伊佐戸(いさど) 賢治の造語かと思われる地名だが未詳。旧江刺郡の中心、岩谷堂を念頭においたものと思われる。


 天沢退二郎と大塚常樹による注釈を併せた記述になっている。

 調べてみると、確かに現在でも岩手県江刺郡岩谷堂町がある。花巻の南に位置するが、北上川には近い。東北自動車道の水沢インターチェンジが西にある。岩谷堂から足を伸ばして北上川に行けば、クラムボンを見ることができるのだろうか?

イサドは伊佐戸(いさど)。なるほど、そういうこともあるだろう。しかし、少し残念な気持ちもある。なぜなら、クラムボンは皆目見当のつかないネーミングであった。イサドもそうあって欲しい。ところが、実際に存在する町の名前だという。蟹のお父さんが血迷ったとしか思えない。

イーサゴ?

そこで、少し考えてみたのだが、よいアイデアは浮かばない。困ったなと思っていたら、気になる言葉に出会った。「イーサゴ」である。これは花巻にあるお花屋さんの名前である(『趣味の園芸』2023年2月号、16-21頁)。これがまた、いかにも賢治っぽいネーミングなのだ。そして、実際に賢治と関係があるから驚く。

 賢治が花巻農学校で教師をしていた頃のことだ。教え子に笈川寅蔵(おいかわとらぞう)がいた。笈川は賢治の提唱する農民芸術に影響を受け、1926年(大正15年)に和賀郡谷内村砂子(いさご)に入植して農業を始めた。庭いじりも好きで、園芸にも精を出した。そして、現在、笈川の三代目が花巻で園芸店を開いているのだ(クレマチス・ナーセリー「及川フラグリーン」が営むプランツ・ショップ)。

 笈川は賢治の薫陶を十分に受けていた。そこで、自分の住む砂子を“いいさご”と呼ぶことにした。これは盛岡をモーリオ、仙台をセンダードというようなものだ。砂子(いさご)をイーサゴ。よい呼び名ではないか。

 どうだろう、このアイデアは。もちろん、イサドが何を捩って生まれた名前かはわからない。その意味では、まったく根拠はない。ただ、『やまなし』に出てくるイサドは、賢治が賢治の流儀で名付けた何処かの素敵な町だったのではないかと思いたい気持ちがある。こういうのは“賢治病”の一種なのかもしれない。気をつけたほうがよさそうだ。

 そういえば、センダード市の近くには石巻市がある。北上川が太平洋に流れ込む街だ。“い”で始まる名前だから・・・。 おっと、危ない、また賢治病だ。

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