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「交差性」への招待

フェミニストとしてインターネットに場所を見つけた私ですが、もともとは障害者の権利運動がやりたくて入ってきました。とはいっても、フェミニズムと障害者差別が関係あるように論じることもできると思います。

私は、認知がゆるい特性を持っています。私のことを、物事がいい加減だと言う人もいます。例えば、引っ越しして家を退去するときに、自分の荷物を本当に全部片付けたのか、自力のみで完璧にできる自信がありません。だから大家さんにいろいろ指摘してもらって、片付けました。大家さんとは、荷物のことを言われても気まずくならないような関係を作っておきました。

この認知のゆるさが、障害として現れることもあります。会社などでプロジェクトメイキングをするとき、項目を細かくびっしりと決めておかないといけないので、自分ではできたつもりで提出した企画書に穴がたくさんあって、いくら頑張っても企画書が上達しません。それで、「あなたは何か特性があるのか?」ということになったりします。

あるいは、家事をきちんとやらないと気が済まない人の近くで行動していると、机の上が雑然としているから片付けろと言われても、自分では最低限のものしか置いていないつもりなので、怒られてばかりになります。女らしくないという評価の原因にもなります。

一方で、私は大学院で自分の特性とその付き合い方について学ぶことができたので、周囲に助けを求めて、合理的配慮を求めることができます。「私は認知がゆるいので、物事を完璧にできません。もしいい加減なことがあったら言ってください」と伝えておきます。合理的配慮に理解のある人なら、先に書いた大家さんのように対応してくれます。

私の場合、認知がゆるいということがマイノリティですが、日本人であって、大学以上の勉強ができた面はマジョリティだと言えます。世の中に溶け込んで生きている人の中には、このようにマイノリティの面とマジョリティの面を両方持っていて、両者を補完しあっている人がたくさんいます。

マイノリティの面を複数持っている人もいます。その場合はより多くの助けや、自身のマジョリティ属性の使い方を考えなければいけません。ですが、基本的には、本人の力が及ばないときには快く助けてもらえることが望ましいです。

差別を受けうる属性とそうでない属性が複雑に絡み合い、全てを総合して一人の人を見る考え方を、インターセクショナリティと呼びます。日本語では「交差性」です。交差性をもとに人を見れば、誰もが得意なことと苦手なことがあるから、苦手なことを「失点」のように数えて、軽蔑したり攻撃したりするのは愚かなことだと気づくはずです。

障害者に「特権」があるから合理的配慮はいらない、などの意見が減っていくことを望みます。

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