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女性的な視点とは?

深夜ですが、無性に書きたくなったので。

衆院選直前に、新宿駅西口前で日本共産党が街頭宣伝をやっていて、生で見に行きました。共産党の政策に関連するスピーチを何人かの人が展開して、最後に志位さんが話したのですが。

一番印象に残ったのは、少女を保護する活動を行う一般社団法人Colaboの仁藤夢乃さんのスピーチです。

仁藤さんは、「日本共産党はジェンダー平等を一番考えている政党です。だけど私は共産党に言いたいことがある」として、次のように話しました。「ジェンダー平等を掲げる政党が、多様な性の人が自分らしく生きられる世界をめざす池内さおり候補を、比例名簿の3位にしている。そのために池内さんは前回落選した。そのとき私は、党派性を気にして池内さんを十分応援できなかった。そのことを後悔しているから、今回は池内さんを精いっぱい応援したい。池内さんを比例名簿の上の方にしてください。森友・加計の追及が期待できる議席などももちろん必要。だけど今池内さんを上の方にしなくてどうするんですか」と。

恥ずかしながら私はこのとき、仁藤さんの言う意味がはっきり理解できていませんでした。でも今夜いきなりその意味にひらめいたため、キーボードを打っています。

結論からいえば仁藤さんの言う意味とはこれです。「権力勾配の下の方の人間が何を考えているかを国会で取り上げる人がいないなら、世の中は変わらない」ということです。

よく、「女性的な視点」と言われます。だけど女性的って何をさすんでしょうか。家事ができること?精神的に不安定なこと?いいえ、「権力勾配の下にいる」というのが、「女性的」の現状意味するものだと思います。

Colaboの行う活動内容は次のようなものです。例えば、家に居場所のない中高生の少女が、夜間に家を出て繁華街をさまよう。すると、繁華街の裏道に潜む悪い大人が、「夕食をごちそうするよ」などと声をかけて連れ去って、そこで性搾取が起きてしまう。少女の性搾取は大人から子どもへの暴力です。仁藤さんらは、このように子どもが暴力に遭うことのないように、子どもの安全地帯を作る活動をしています(私はColaboを訪問したことがあります)。

権力勾配の下の方にいる人は、上の方の人から暴力を受けないかを心配します。安全地帯があってほしいと願います。その願いが多くの場合「女性の願い」とされることが多いため、そうした視点は「女性的な視点」と言われるのです。当面はその状況が続くかもしれません。しかし何十年後かにもう少し女性が強くなったら、こんな言い方は残らないのではないかと思います。弱い立場に置かれやすいのは女性だけではないので。

そして仮に、社会性が高いと思われている「リベラルな」男性が、性搾取をしていたとしたらどうでしょうか。私ならこう説明します。性搾取を行う男性は、自分の権力の中毒性に気づいていないか、気づいていても無視している。したがって自制心が弱い。権力勾配に無頓着だったり、自制心が弱い状態を放置したままでは、今はリベラルだという評価を受けていても、やがては思わぬことで批判され、地位や信頼を失うだろう、と。

「女性」などの言葉を使わず批判するなら上記のようになりますが、このような視点で批判ができる議員を国会にぜひとも送り出したいというのが、仁藤さんの願いだったのだと気づいた夜でした。

もし権力勾配の上下という視点が国会にインストールされるならば、その考えを応用して、非正規労働者の問題などにも切り込むことができるでしょう。もちろん、森友・加計問題にも。

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