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共同親権での「子ども連れ去り論」の危険性

「共同親権」で検索すると、「大多数が賛成、少数ながらDVから妻が逃れられないという理由での反対意見も根強い」という論調が強くてびっくりしました。「少数ながら」とは本当だろうか、反対意見の声がか細いだけではないか、と思うので、このnoteを拡声器にしようと思います。

「共同親権とは何か」の定義も検索しましたが、DVに苦しむ女性を納得させられるものにはなっていません。要するに、子どもの両親が離婚したときに、子どもの親権を両親ともに持つことができるというものです。これがどんな危険性をはらむかを、DV被害者の視点から説明します。

DV被害者は、夫から暴力を振るわれ、いつ殺されるかわからないという恐れを持っています。自分の安全を守るために、「家族は仲良く」という浅い一般論に基づいて周囲が反対しようが、離婚という重い決断をしているわけです。そこで共同親権が通用すると、夫婦の縁は切れているのに、夫婦両方が親権をもつようになるため、子どもを通じて夫婦が事実上関係をもつことになり、離婚しているにもかかわらず妻がまた暴力に晒される危険性が高まります。そして、共同親権が通用すれば、離婚したとしても妻が暴力から逃げられるすべがなくなります。

共同親権賛成派は、「離婚した結果、子どもの親権が妻のものになり、夫が親権を失い、妻が子どもと逃げた場合、それは妻の『子ども連れ去り』になり、誘拐罪に相当する」と主張しますが、DV被害者にとって、この賛成論がいかに恐ろしいものかおわかりでしょうか。

日本国憲法の前文には、次の一節があります。

われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。

もし共同親権が法律に実現するならば、DV被害者にとって「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する」という文言はただの絵にかいた餅になってしまいます。

共同親権法案を制定しようとする人は、その法案が憲法の理念に反しないかどうか、よく考えていただきたいと思います。

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