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「性格悪い」と言われる勇気

今夜は寝苦しい夜です。

実は今日退勤中に、「政治に『かわいい』が必要な理由」というnoteを書こうとしましたが、タイトルだけ思い浮かんで内容を思いつきませんでした。夜のノルマを済ませて寝床についたのですが、政治に「かわいい」を導入する以前に書かなければいけないことがあると思い直しました。

それは、「性格が悪い」と言われることを恐れるな、ということです。

「性格が悪い」という言葉が何を意味するかは、発言する人によって違うと思います。中学生や高校生くらいだと、「他人の悪口を言う人は性格が悪い」と言われることが多いのではないでしょうか。

では、おととい「国葬」された安倍晋三元首相のことを、「私は安倍さんに励まされたことはない」「女性の非正規雇用を増やした。ジェンダーバックラッシュを扇動した」と批判する人は、性格が悪いでしょうか?

この手の議論では、「批判と悪口は違う」といったことが言われがちですが、ここではあえてそこをスルーします。

私に言わせれば、「私は安倍さんに励まされたことはない」と言う人は、今回の国葬で弔意を強制された人に対して「自分は励まされたと思わなくてもいいんだ」と、逆に励ます効果を持っています。また、「女性の非正規雇用を増やした」「ジェンダーバックラッシュを扇動した」という批判に関しては、非正規雇用で給与が減り、生活が困難になった女性を思いやっているし、ジェンダーバックラッシュに苦しんでいるフェミニストの気持ちを軽くするものです。言葉の深みを捉えれば、これらの批判は他人を思いやっているから、「性格が悪い」発言ではない、というのが私の意見です。

さらに、「性格が悪い」ことと「かわいくないこと」が同じものだとして語られることも多いですが、私はこれはおかしいと思います。発言者によっては、性格が悪いこととかわいいことが両立する場合もあるでしょう。また、性格がよくてもかわいくない人もいると主張する人もいるかもしれません。

政治に「かわいい」が必要かどうかを議論する前に、政権批判することが「性格が悪い」とする人があまりに多いので、「性格が悪い」から「かわいくない」わけではないという前提をまず押さえておかないと、そもそも政治に「かわいい」を導入することはできないと思いました。

こんなことをもったいぶって文章にする必要のある社会になってしまったのが非常に残念ですが、そうした社会を作った一人が私でもあるので、罪滅ぼしのために書いておきます。

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