感情増幅器

研究者は機械的になるのではなく感受性豊かになるべきと山中伸弥先生などの研究者が言っている

ではどうやって感受性を豊かにしていけばいいのだろうか

感受性を心の変化として考えるために大衆の心について扱っている宗教からヒントを得る

様々ある宗教の中で外界からの心の変化について扱っている禅からヒントを得ようと思う。ただしここでは心の扱い方のみに着目する

禅では心の変化をコントロールするわけでもなく無視するわけでもなくただ受け取ることを良しとしています

ではこの状態は感受性豊かなのだろうか

心の変化を無視することが感受性を豊かにしないことは確かだが心の変化をコントロールすることはどうだろうか

感情を抑圧する時、自分の中で1番に沸いた感情に注目し減衰させてほかの感情と同じレベルにできるとする。これをすると色々な感情を同じレベルで感じることができ、勝利の喜びのみならず疲労感、痛みへの恐怖感、疲労によって自由に動かない体への怒りなどの様々な感情を受け取れる

これは感受性豊かと言えるのだろうか。確かに感情の種類は多くなったが負けていても似たような感情になってしまうのではないだろうか。結果がどうであれ同じような感情になるのでは感受性が豊かとは言えないだろう。

では増幅させることは有効なのだろうか。例えば試合に勝った時にハイタッチなどの行動を起こすと心の変化は増幅され、その後の行動にも影響を与えるほど強い感情になる

しかし心の変化の増幅は増幅された感情以外を無視することに等しく、人によって増幅しやすい感情に偏りがあるため感受性に偏りを作る。この特性によって多様性は生まれるが個人の中で感受性を豊かにすることには反する。

この問題に対しては色々な感情に出会うことやそれらの感情を体で表現する能力を身に着けるなどの練習である程度克服できる可能性はある。もし克服できればその時事に感情を引き出すことができ、長い目で見ると豊かさにつながることになる

最後に禅の教えである感情をただ見つめるのはどうだろうか。

原理的にはバイアスが発生せず色々な感情に出会える可能性が高まるため感受性を豊かにするためには便利なのではないかと考えられる。これは禅の考え方を取り入れた人たちの感受性を探ることで検証できると考えられるがその手法が思いつかないため原理的には最良の方法ということでとどめることにする。


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