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Fさんのこと

Fさんは60過ぎの女性。独身。
仕事で半年に一度、訪問している70代の女性がいた。20年のお付き合い。彼女もまた独身で、小さな商店を営みながら1人で生活していた。伺うたびに1時間、お話をする。コーヒーとささやかなお菓子を用意してくれて、最近のこと、ニュースのこと、生まれ育ちのことを話してくれた。若い時に結婚しようとしたけど、直前に浮気されたので婚約を破棄した。男なんてぐずぐずしていて、頼りにならない。あんたも男になんてなびかず生きていきなさいよ、というのが彼女の持論。
ある日いつものように約束して訪問すると、もう1人の女性がそこに座ってすでにお茶を飲んでいた。それがFさんだった。
お向かいに住んでるそうで、「あんたと気が合いそうだったから今日呼んでおいたよ。Fさんにも会わせたかったし」という。
Fさんは某有名旅行代理店の部長まで勤めて、早期退職し、毎日本を読んだりして過ごしているらしい。自分のことをあまり語らず、私のことばかり聞きたがった。そんな人は珍しいので、聞かれるままに話していった。そしたらFさんがこう言ったのだ。
「アスさんのいうことってこの年まで生きた私たちにはとてもわかるけど、同世代の人には伝わらないだろうね。淋しいでしょう。苦労したね」
そんなことを言われたのは初めてだった。同世代の人にわかってもらえたことは、確かになかった。どちらかといえば、自分のことを話して相手が引いてしまうことが何度もあったので、極力話さないようにしていた。でもそれが、苦労したからだとか、歳を重ねると理解できるようになるだとかは考えたことがなかった。

それで、この言葉に救われたような気がしたのだ。
私の、何もかもを話したわけではないし、本当の意味で、何かをわかってくれたわけじゃないと思う。それはそうだと思う。ただ、大変だったでしょうと労ってもらえたことが嬉しかった。ああだこうだと非難せず、可哀想にと憐れまず、ただ受け入れてもらえたように思えたから。

いつもより長く話して、会社へ戻った。また半年後、会えるのを楽しみにしていた。ところが、行ってみると、Fさんはその半年の間に病に伏せて亡くなっていたのだ。彼女がいたその場所の後ろに置かれた遺影がずっと、そのあとも、半年ごとに私に笑いかけてくる。あれからもう9年経った。嘘みたいに時が流れていく。

Fさんは身寄りがなかったので、商店のおばあちゃんが看取ったのだという。わかった時には末期のがんだった。治療は諦めて、すぐにホスピタルに入って、好きな本を読みながら家と財産を整理して、あっという間に死んだよと教えてくれた。
「まあ自由に短く生きて、友達に看取ってもらえて、幸せだったんだとおもうよ。私だって明日死んだっておかしくないんだからね!」と笑う。

私の理解者は、いつも、さきに亡くなっていくのだ。会いたい人は、いつも突然いなくなるのだ。若者はそういうことを、自覚なく生きている。それは彼らの特権で、幸せなことだと思う。そんなことを考えていると、Fさんが笑ってくれるような気がする。「その気持ちは私たちはわかるけど、同世代の人にはわからないだろうねえ。」って。

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