見出し画像

満月の夜話(4) - ラスト・フルムーン -

窓の景色がビュンビュンと流れていく。
大阪行きの新幹線に乗るのは、何年ぶりだろうか。
ポケットから今夜のライブのチラシを取り出し、ボーっと眺める。
『12月27日 最後の満月 ラスト・フルムーン』
チラシの真ん中には、若かりし頃の俺と相方が印刷されていた。

3年前まで、俺は大阪でお笑い芸人として活動していた。
頭に「ちょっと有名な」が付く芸人として、それなりに忙しくしていた。
専門学校を出て、一旦就職した後にどうしても夢を諦め切れず「養成所」の門を叩き、芸人を目指したというよくある話。

今も養成所の階段で、相方と出会った時の事をよく覚えている。
暗くてカビ臭い階段の踊り場。狭い踊り場の隅には水の入った青いバケツが置かれており、ひっくり返さないように注意しながら歩いていた時だった。
「お兄さん、今年入所の人ですか?」
「え?」

声の方向を見ると、階段の上に青いジーンズを履いた金髪の大男が立っていた。彼はゆっくりと階段を降りてきて、俺と同じ狭い踊り場に立った。近くで見ると彼は格闘家のように大きかった。
「今年入所の人ですか?  2時からの教室がどこか分からなくて・・・」
「あ、そういう事ね。じゃあ一緒に行こう。俺も今年入所。」
安心したのか彼はニカッと笑った、目玉が見えなくなるほど目を細める。
彼のその三日月目の笑顔、俺はその後もずっと好きだった。

「俺は宇佐美です、21歳。よろしく」
「こちらこそよろしく。俺は若槻。今年で22歳。」
単に挨拶をして簡単な握手を交わしただけ・・・それだけで宇佐美の育ちの良さが分かった気がした。彼は図体の割に繊細で、優しいヤツなんだと思った。
それが宇佐美の第一印象で、俺は好感を持った。
それもあってか、コンビを組んだのは当たり前の流れだと思った。後に宇佐美からも同じような事を聞いた。


コンビ名は「フルムーン」。
俺の名字の若槻のツキ、そして宇佐美の名字をもじったウサギと合わせて『ツキとウサギ』や『十五夜』、『ムーンライト』などの候補もあったが、いつか客席を満席にしたいという思いから「満月」の意味の『フルムーン』に決まった。

「お前ら、いつも仲ええなぁ。」
先輩芸人からそんな風にからかわれるほどコンビ仲が良かった。
1年で養成所を卒業した後は、同じ居酒屋でバイトし、ライブ会場への入りはいつも一緒、更には2人でワンルームマンションを借りて同居していた。
毎晩深夜までネタ作りと稽古に没頭していた。それは楽しい2人の時間で、お互いに思い付いたネタを言い合い、それを取り込んでは練り直し、次々に笑いを作り込んでいった。まさに2人で1つという感じが好きだった。

そう、俺は宇佐美とウマが合った。相方が言いたい事、考えている事は言葉にしなくても分かった気がした。だからこそ、このコンビは割と最強かもしれない、そんな馬鹿げた自信を2人なら持てる気がした。
今から思えば若さから来る自信だったのか、それとも他を知らないせいか。

「30歳になって売れてなければ辞めよう。」
宇佐美がそんな言葉を明るく言ったのは、移動中のロケバスの中だった。
もちろんお互いにシラフだったし、まるでそんな雰囲気ではなかったから驚いた。俺にとっては聞きたくない言葉だったためか、それとも何かの間違いか、それを確認するように相方に聞き返した。
「いや、だから30歳までに売れなかったら芸人を辞めよう。」
「いきなりやな。なんでまたいきなり?」
「俺はお前と気が合う。だから言わんでも分かるやろ?」
「まぁ、分からんでもない。」
「辞めたいわけや無い。絶対売れたる、そのためのルールや。」

最後の言葉で2人は笑いあったが、本心ではたぶん2人とも怖かった。
相方と気が合う、以心伝心とはある意味残酷だった。
俺は宇佐美の言っている事、思っている事をほぼ完璧に理解出来ていた。
宇佐美の実家は、おそらくそれなりの良家で、彼自身が芸人をしている事を心から賛成していないに違いない。彼の育ちの良さを生かしたボケは、2人の鉄板ネタだった事は今から考えると皮肉なものだった。

「ある程度売れる」までは早かった。TVにも出たし、ファンも付いた。
しかし2人が目指す「売れる」にはほど遠かった。言葉で確認しなくても同じ事を思っていたに違いない。『俺達、フルムーンは中途半端に売れるレベルじゃあダメだ』と。
だから、最短距離で6年間、毎日全力疾走した。
「売れる」と手応えを感じ、最も充実した1年を過ごしたのは28歳の1年間だった。だからこそ、だからこそ、あと2年、もうあと2年さえあれば世界は違っていたはずだった。

約束の30歳まで残り2年となった2020年、世界は大きく変わった。
その年、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が発令されたのだ。
結果、ライブは軒並み中止となり、ロケや営業、テレビ出演もなくなり、細々とバイトをしていた居酒屋も休業、開店しても客入りは細かった。
全てが急激だった。何もかもが同時に手の中から消えた。
多くの若手芸人が一旦実家に戻り、身の整理を行う空気が流れていた。
俺は宇佐美の気持ちが良く分かっていた。彼も実家に一度戻り、カタを付ける時期の限界に達していた。そのタイミングに丁度コロナが重なった。

俺の迷いはその時、頭を掻きむしる程にグチャグチャだった。
本音を言えば、2人でもっと舞台に立ちたい「ここからじゃないか」と思う反面、宇佐美がココにいても良いのか?という事は、宇佐美自身よりも彼を相方として繋ぎ止めている俺の方が良く分かる気がした。


「あっけないな。」
先輩芸人からはそう言われた。
以心伝心の2人には話し合わなくても、口論をしなくても分かり合える決断だった。だから傍から見れば、その決断はあっけないものに映っただろう。

コロナの影響により誰もいない新大阪駅のホームで、俺と宇佐美は博多行きの新幹線を待った。
カビ臭い階段で出会った時、この新大阪駅から東京へ行く事を夢見た2人の結末は、こんな形だったのかと思うと、やりきれなく虚しかった。
黙っていたら泣きそうなる。その空気に耐えかねて俺は切り出した。
「7年間、楽しかったなぁ。」
「そんな事言うなや。まだ終わってへんやんけ。」
「いや、まぁな。それでも一旦は一区切りやな。」
「コロナが落ち着いたら、絶対またやろうや。2人で。」
「いやいや、俺はええけど、お前は家業を継いでよろしくやるんやろ?」
「俺の本業はフルムーンやんけ。いつまでも。」

宇佐美の目は少し赤かった。
「おいおい、目が赤いぞ、ウサギさん。泣くなよ。」
「泣いてへんわ!お前こそ千葉に戻って、結婚とかすんなや?」
「さぁ、どうかな?俺、モテるからね。」

博多行の新幹線を何本もスルーして話し込み、気付けば暗くなっていた6月の春の夜、宇佐美と俺はとうとう別れた。
「楽しかったぞ、相方!絶対またやろうな。」
「楽しい青春やったわ。お前とコンビを組めて良かった!」


そこからの3年間、コロナの影響もあり相方とは一度も直接会っていない。
新幹線は新大阪駅に着き、俺は3年ぶりに大阪に戻ってきた。
あの日、この新大阪駅で話した事は皮肉なほどに予想通りになった。
俺は千葉に戻り、地元の広告企業に就職、2年後に地元の同級生と結婚した。いわゆるデキちゃった結婚で、今年長女を授かった。
宇佐美は、岡山県で家業の運送会社を継ぎ、コロナ禍の宅配需要の波で業績を急激に伸ばし、今では専務取締役として忙しく活躍している。

芸人時代の後輩からの計らいで、何度もお世話になった小さなライブハウスの舞台に特別ゲストとして出演する事が決まったのは、コロナが5類に移行した直後、今年の初夏の事だった。
SNSのライブ告知には『12月27日 ラスト・フルムーン』と書かれたポスターの画像が掲載され、ありがたい事に沢山の『いいね』が付いた。
「リモート」「オンラインミーティング」そんな言葉や技術が産まれたお陰で、千葉と岡山の距離でもネタ作りと稽古はあの頃、あの部屋と同じように2人の時間だった。コロナによって引き裂かれたにも関わらず、次はその恩恵を受けるとは、世の中何が起きるか分からないものだ。

3年振りに再会した宇佐美は相変わらずの図体だった。
くしゃっとした笑顔も相変わらずの三日月目だった。
そして、相方の気持ちは言葉にしなくても分かる事も相変わらずだった。

夜になりライブが始まる。
出番が近づいてくる。
2人で舞台袖に立ち、初舞台のように緊張している反面、カラオケで自分の番が回ってくるのを楽しみにしているような、早く舞台に立ちたいウズウズが2人の体を小刻みに震わせる。
途端、大きな拍手が起きて、前出番のコンビが舞台から降りて来た。
徐々に静かになって、MCが俺達の出番を紹介する。
『フルムーン』そのコンビ名をあの日から3年後の耳に懐かしく届く。

相方を見る、相方も相方の俺を見る。
お互い真面目な顔が似合わない。俺は片方の口角をクイッと上げた。
相方はフーッと大きな息を1つ吐いた後、ゆっくりと言った。
「さぁ行こう。今夜は最後の満月、コレで終わりや。」

背中をバチッと叩かれて、強い痛みと共に気合いが入った。
このデカい図体の宇佐美がツッコミでなくて本当に良かった。
そして、このデカい図体の宇佐美とコンビを組んで本当に良かった。


センターマイクに向かって走り出す。
会場が揺れる。舞台の熱が体を包む。
2人で確かに満月を見た、最後の舞台の上から。


(了)


年末ご多用な時期に長々しいものをお読み頂きありがとうございました。
もちろんフィクションのお話です。
次回の満月は1月26日(金)のようです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?