進撃の巨人 Final 感想

漫画完結から約二年半。終わる終わる詐欺をかましていたアニメ版もついに完結! あまり長かったという印象はないけれど。

Finalの大目標はエレンを止めること。全員にきっちり見せ場が用意されていて、流石の手腕だなと感服。
私としてはライナーが頑張っているだけで五百億満点を上げたいのですが、それをぐっと抑えて内容の感想をば。

とはいえ言いたいことは、おおむね一つに集約されてですね、それは何かというと、
「決定論かぁ……」です。
作中でエレンの言った「自由の奴隷」という言葉が、全てであると思っていて、最初と最後が施工されている世界でエレンは自由という力に縛られていた。
エレンは冷酷で残虐な人間ではなく、ちゃんと仲間たちを思いやれる人間で、どうしようもなく馬鹿だった。
一度見えてしまったものが、全てだと思ってしまう。
誰しもが、自分の視野の限界を世界の視野の限界だと思っている。という言葉がありますが、エレンはそれが広すぎた。
だからこそ、その視野の果てにある自由が全てだと思ってしまい、エレンは「自由の奴隷」でしかなかった。

誰が悪いかと言われれば、そりゃエレンが悪いんだろうけれど、何が悪いかと言われれば、きっと『壁』が一番悪い。
少年たちの無邪気は、そこから始まってますからね。

やっぱりこの物語のテーマは、平和、自由、愛みたいな普遍的なものなのだろうけれど、初めから定められているもののなかで追い求めているに過ぎないとなれば、やけに遠く見えてしまう。
ミカサは終わらせれる人物であって、枠組みから逸脱しているわけじゃない。
故に最後のセリフはそんな自身の肯定でもあったのだろう。
この終わらせ方は美しいし、ものすごく綺麗なのだけれど、やはり私は得意ではない。

と、エンドロールを見終わるまでは思っていた。
しかし、まだ続きがあったではないか。世界が発展し、戦争し、荒廃する。その後のお話が。
そびえ立つは樹齢何百、何千という木。私たちはこの木に見覚えがある。
まるで、巨人の力を受け取った木みたいだなと。
つまるところ『歴史は繰り返す』というやつです。
また二千年ぐらいかけて、同じことをするのだろうな。━━ですが、私はそうは思いません。

あの木にたどり着いたのは「ユミル」ではない。
それがとても大事なことだと思います。
私が最後のシーンを見て受け取ったのは、『歴史は繰り返す』ではなく『歴史は繰り返すことができる』という想いです。
エレンを主人公とした「進撃の巨人」という物語を通して描いてきたのは、始まりと終わりが定まっていて、そこに向かうだけの話だった。
だけれど、この木にたどり着いたのは純粋な『始まり』だ。

だからこそ『歴史は繰り返す』ではなく、『歴史は繰り返すことができる』なのです。
また、巨人に怯え続ける世界を生み出してもいい。差別まみれの世界に変えてしまってもいい。
でも、幸せな世界を創ることだってできるよね。
最後のシーンは、希望と期待の表れなのだと思います。人間の薄汚い部分を描いてきて、それでも人間を見限らないというある種の優しさなのでしょう。
エレンたちの物語は終わりましたが、『物語』はまだまだ続いていきます。その果てに何があるのかは、やはり誰にも分からない。
もしかしたら巨人が出現するかもしれないね。おしまい。


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