51戦目 1998年10月16日

分かっています。

覚えていないのです。
きっと記憶から引っ張り出せない様、見えない力がどこかで
働いてそれをさせないことも理解しています。

子供も産まれて、もうやめるべきなのかも知れない。
そんなことを真剣に考えていました。
でも、生まれたばかりの子が物覚えついて、うろ覚え
であろうと、父親である僕のリング上の姿を覚えていて
くれるまで頑張りたいというのは欲張りだったのかも
しれません。

初めて1RKO敗けを喫しました。
言葉なんてありません。
でも、だからといって予定から逃げるのも嫌だったのです。
いつくらいからでしょう。
ファンクラブを作りたい旨を会社に告げました。
でも、断られました。

「お前だけなんて駄目だ」
訳の分からないいい分でした。
でも、ファンや会場に足を運んでくれたお客さんらには
思い出を持って帰ってもらいたいのです。
その人にとって、それが一生に一度のことかも知れません。
いつだって、一期一会です。

遠くから着てくれている人もいます。
新幹線や飛行機、泊まりがけで自分の試合を遠くから
観に来てくれているのです。
大したことは出来ません。

でも、その目当ての試合後の選手と話をしたり、写真を
撮ったり、サインをもらえたりというのは自惚れになる
のかもしれませんが、思い出にしてもらえると思ったのです。
小さなマイナーなプロスポーツ選手です。
そんな競技を応援してくれているのだから小さなことですが、
見返りくらいあったっていいと思うのです。 

店を貸し切って、毎回百数十名集まりました。
何回目かのその日、決めていました。
毎回、今はデニーズになってしまった場所にあったハンバーガー
ショップ、ハンプティーズで打ち上げを行っていました。
勿論、その日も。

参加者は僕の身体を心配してくれていましたが、僕は気持ちで
生きています。
「ファンクラブ、結成します」
呼称を希望者から名前を集って、でも、どれも恰好よすぎて
自分で考えたそれにしました。

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521字
特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。