53戦目1999年6月1日

人にはそれぞれ思い出したくない過去があるように
僕にもそれがあります。
ここだけではなく、しれっと記したそれもありますが、
でも、思い出してしまうこともあります。
そりゃ人間ですから仕方ありません。

誰だって気持ちを裏切られたら誰も悔しいと思います。

練習には一試合だけ付き合ってくれただけで、以降、付き合って
くれることはなくなりました。
試合直前にやってきて、でも、あれこれ云うのです。 
中学生時代から10年間所属したジムの会長は、ボクシングの
世界戦があると、選手の試合前でもジムに来ません。
そして、試合が終わると知りたくもない結果をいいに来るの
です。
名前が売れてテレビや雑誌の取材があると、来るのです。
テレビや写真に写りそうな角度に場所に陣を獲るのです。
自分が写ると見せびらかし、吹聴し、そうでないと

この人の場合、僕につくことによって、全日本の内部に
物申せる立場を取りたかったのです。
全日本の社長に数百万貸していることは幾度も本人の口から
耳にしていました。
名前のある選手と二人三脚になって内部に入り、それなりの
見返りを、そう思ったのでしょう。
今もですが、その当時の僕は、自分にそれ程の価値があるとも
思っていなかったので、何で自分に声をかけてくれたのだろう
くらいにしか考えていませんでした。
逆に感謝していました。

前回の試合、ミットも持てないし練習相手になってくれる訳でも
なかったですが、でも、ロードワークのタイムを計ってくれたり
ダッシュの本数を数えてくれたり、体育館でピンポン玉を
左右に投げてくれたり、でも、その時の僕にはもう、それだけで
十分でした。

でも、たった1試合でもう付き合ってくれることはなくなり、
数回練習を見て、数回電話で話しただけで、当日を迎えます。
試合当日も控え室に着て、顔を合わすのも微妙でした。
チーフセコンドは彼なので、でも、タイオイルを塗ってくれる
訳でもなく、バンテージが巻けるわけでもありません。
そんなものかなと残念に思う反面、現実を冷静に受け止める
自分もいて、誰が味方なのか、そもそも味方などいないのか、
続ける価値はあるのかなどと想いを巡らせて、でも、
続ける方法を考えながらやることを選択しました。

間借りしている空手道場に1人で通い、自主トレに励みました。
全然気にしません。
これまでもずっと1人でした。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。